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俺は透明人間だ。鏡の前に立っても、そこに映るのは白い長袖のTシャツと紫の半ズボン、そして靴だけだ。服の内側は空洞みたいに空っぽで、俺自身は見えない。
足もとで、猫が鳴いた。
灰色の毛並みの小さなやつ、レンだ。俺が拾ってきてから、ずっと俺の生活に付き合っている。
「腹減ったか」
透明な手で猫の餌の袋を持ち上げると、袋だけが宙に浮かんだ。レンはもう慣れたものだ。最初こそ怯えていたが、今では俺の姿が見えなくても、ちゃんと俺を“俺”として認識してくれている。
俺が透明人間だということを、唯一気にしない生き物かもしれない。
餌を皿に出してやると、レンは夢中で食べ始める。俺はその音を聞きながら、床に腰を下ろした。
俺が存在している証拠は、こうして誰かと過ごす時間にしかない。鏡にも写真にも映らない俺を、この猫だけが現実へ引き止めてくれる。
服の袖口をそっと伸ばして、レンの背を撫でる。透明な掌は毛並みに触れるが、やっぱり見えはしない。
それでもレンは、安心したように目を細めて喉を鳴らした。
俺はふっと笑った。
透明であることに悩む夜は多い。けれど、この音がある限り、俺は「ここにいる」と思えるのだ。