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女装男子は恋したい 3
玄関のドアを閉めた瞬間。
——しん。
さっきまで隣にいた気配が、急に消える。
ヒールを脱ぐ。
ウィッグを外す。
肩までの髪がなくなると、急に軽くなるのに。
心は重い。
洗面台の前。
鏡の中には「ありさ」じゃない自分。
山中柔太朗。
リップを拭き取る。
ファンデを落とす。
少しずつ、“可愛い女の子”が消えていく。
「……俺、なにやってんだろ」
ぽつり。
今日のことがフラッシュバックする。
暗闇の映画館。
優しく絡んだ指。
「無理してない?」
あの声。
あの目。
声が低かった瞬間も、ウィッグが浮いた瞬間も。
気づいたはずなのに、気づかないふりをしてくれた。
それが、苦しい。
「待てる」
思い出す。
胸がぎゅっと痛む。
待たせてるのは自分だ。
嘘をついてるのも自分。
でも——
嫌われたくない。
「メイク落とした俺でも?」
そんなこと、まだ聞けない。
洗顔フォームを流す。
完全に素顔。
鏡の中の自分は、男。
「……好き、なんだよ」
声が震える。
レンタル彼氏。
期間限定の関係。
なのに、本気になってる。
ソファに倒れ込む。
天井を見上げる。
涙は出ない。
でも喉が痛い。
スマホが震える。
心臓が跳ねる。
画面。
『佐野勇斗』
呼吸止まる。
メッセージ。
《今日はありがとう。楽しかった》
指が震える。
さらに続く。
《ありさちゃん、たまにすごい不安そうな顔するよね》
どくん。
《俺の前で無理しなくていいからね》
もうだめ。
胸が溢れそう。
《次、映画じゃなくてさ》
《もっと話せるとこ行こ?》
涙が、やっと一滴落ちる。
「……ずるい」
なんでそんな優しいの。
嫌いになってくれた方が楽なのに。
スマホを胸に押し当てる。
小さく息を吐く。
「俺……ちゃんと言わなきゃ」
怖い。
でも。
このまま“ありさ”のまま好きになられるのは、もっと怖い。
画面を見つめる。
返信欄。
何度も消して、打ち直して。
結局送れたのは——
《私も、楽しかった》
嘘と本音が混ざった文章。
電気を消す。
暗闇。
映画館みたい。
目を閉じると、また思い出す。
指の感触。
肩の温もり。
「好きって言われたらどうしよ……」
涙が、もう一度。
でも今度は、少しだけ決意が混ざってる。
次のデート。
限界かもしれない。
次のデートは、水族館。
青い光。
静かな空間。
人はいるけど、声は小さい。
「クラゲ好きなんだよね」
「へえ、なんで?」
「ふわふわしてるのに、ちゃんと生きてる感じするから」
横で佐野が笑う。
「ありさちゃんっぽい」
その言葉に、少し胸が痛む。
また“ありさ”。
水槽の前で並んで立つ。
青い光が顔を照らす。
静か。
手は繋いでない。
今日は、佐野から繋いでこない。
それが逆に落ち着かない。
次の水槽に移動しようとしたとき。
不意に、腕を軽く掴まれる。
強くない。
でも、逃げられない力。
「ありさちゃん」
声が、いつもと違う。
振り向く。
真顔。
笑ってない。
「……なに?」
数秒の沈黙。
水の音だけが響く。
そして。
「なんか隠してるよね」
息が止まる。
世界が一瞬止まる。
「……え?」
誤魔化す声が、少し高すぎる。
佐野の目は優しいまま。
でも真剣。
「責めてるわけじゃない」
すぐ続ける。
「たださ」
一歩近づく。
距離、近い。
「俺の前で、ずっと頑張ってる感じする」
胸がぎゅっと締まる。
「そんなことないよ」
即答。
でも目が泳ぐ。
佐野は見逃さない。
「声も」
どくん。
「たまに違う」
逃げ道が消える。
「俺、気づいてないふりするの得意じゃないんだよね」
静か。
怒ってない。
でも本気。
「信じたいから」
その一言が刺さる。
「俺のこと、信じてる?」
苦しい。
涙が出そうになるのを必死で堪える。
「……信じてる」
「じゃあ」
少しだけ、声が低くなる。
「本当のありさちゃん、見せて」
青い光の中。
心臓の音だけがうるさい。
逃げる?
それとも。
「言えないなら、それでもいい」
佐野が言う。
「でもさ」
少しだけ目を細める。
「俺、ちゃんと知りたい」
初めての、真剣な顔。
レンタル彼氏の笑顔じゃない。
一人の男の顔。
「好きになりかけてるから」
世界が崩れる。
頭が真っ白。
隠してるまま、好きになられるのは嫌だ。
でも言ったら、終わるかもしれない。
「……俺」
喉が震える。
言いかけて、止まる。
佐野の手が、そっと握られる。
「大丈夫」
優しい。
逃げ場がないくらい優しい。
「待ってる」
青い水槽の前。
選択の瞬間。
「……ごめん」
それだけ言って。
腕を振りほどいて。
歩き出す。
早足。
青い光が揺れる。
背中に視線を感じるけど、振り返れない。
出口の案内板。
トイレのマーク。
逃げるみたいに入る。
個室に駆け込んで、鍵を閉める。
——カチャン。
息が荒い。
鏡の前じゃない。
狭い空間。
でも今はそれが安全地帯。
「なんで……」
膝が少し震える。
好きになりかけてる、って言われた。
あの真顔で。
あんな目で。
スマホを握る。
画面は暗い。
自分の歪んだ顔が映る。
「言えばよかったのに」
でも怖い。
嫌われるのが。
気持ち悪いって思われるのが。
軽くノックの音。
心臓が跳ねる。
「ありさちゃん」
低い声。
トイレの外から。
逃げ場、ゼロ。
「帰った?」
静かな声。
怒ってない。
でも本気。
返事できない。
沈黙。
もう一度ノック。
「大丈夫?」
優しい。
それが一番きつい。
「……ごめん」
中から小さく返す。
「何に対して?」
即答。
詰める声じゃない。
でも逃がさない。
「俺、怖がらせた?」
違う。
違うんだよ。
「違う……」
声が震える。
外で小さく息を吐く音。
「開けて」
優しく。
命令じゃない。
お願い。
「顔見て話したい」
涙がにじむ。
今の顔、見せられない。
でも。
「逃げられるの、ちょっと傷つく」
その一言で、胸が崩れる。
震える手で、鍵を開ける。
ドアを少しだけ開ける。
隙間。
佐野が立ってる。
真顔。
でも目は柔らかい。
「……泣きそうじゃん」
そっと言う。
完全にバレてる。
強くもなく、無理に触れもしない。
ただ、そこにいる。
「俺、追い詰めたいわけじゃない」
低い声。
静か。
「でもさ」
目をまっすぐ見る。
「好きになる相手が、ずっと演技してるのは悲しい」
息が止まる。
“好きになる相手”。
「俺、ちゃんと見たい」
一歩近づく。
距離は近いけど、触れない。
最終決定権はこっち。
「本当は誰?」
逃げ道は、まだある。
黙ることもできる。
でも。
目の前の人は、待ってる。
「……ありさ、じゃない」
やっと出た声。
佐野の目が揺れる。
でも逸らさない。
「うん」
「本名……」
喉が詰まる。
でも、言わなきゃ。
「山中、柔太朗」
静かな空間。
数秒。
世界が止まる。
佐野の表情が、ゆっくり変わる。
驚き。
でも嫌悪じゃない。
ただ、理解しようとする顔。
「柔太朗」
名前を繰り返す。
その響きが、やけに優しい。
「メイク落としたら、男」
震える声。
「それでも……」
最後が言えない。
佐野が、やっと一歩近づく。
でも触れない。
「それでも?」
促す。
選ばせる。
怖い。
怖いけど。
ここが運命。
「メイク落としたら、男」
震える声。
逃げ場をなくすみたいに言い切る。
「それでも……」
言葉が途切れる。
佐野は数秒、黙る。
心臓がうるさい。
終わったかもしれない。
軽蔑されるかもしれない。
気持ち悪いって思われるかもしれない。
その一瞬が永遠みたいに長い。
——ふっと。
佐野が笑う。
柔らかく。
優しく。
「やっと本当の顔見れた」
息が止まる。
「……え?」
理解が追いつかない。
佐野は一歩近づく。
でも触れない。
選ぶのはこっちって分かってる距離。
「ずっと頑張ってたでしょ」
低い声。
責める響きはゼロ。
「声も、仕草も」
「俺、バレてないと思ってた?」
少しだけ悪戯っぽく笑う。
涙が、勝手に落ちる。
「気づいてたの?」
「途中から」
さらっと言うな。
「でもさ」
真顔になる。
「どっちでもよかった」
胸がぎゅっとする。
「ありさでも、柔太朗でも」
名前を呼ぶ。
ちゃんと。
「俺が一緒にいて楽しかったのは、中身だから」
涙が止まらない。
「嫌じゃないの?」
聞かずにいられない。
怖さがまだ消えない。
佐野は少し眉を寄せる。
「なんで嫌?」
本気で分かってない顔。
「好きになるのに、性別ってそんな重要?」
静かに。
強く。
「俺が好きになりかけてるのは」
一歩、さらに近づく。
「映画館で手握ったとき、震えてた人」
「水族館で泣きそうになってた人」
「今、ちゃんと自分の名前言えた人」
胸が壊れそう。
「山中柔太朗」
もう一度、優しく。
「その人」
目が合う。
逃げられない。
でも今度は怖くない。
「……ほんとに?」
小さく。
佐野は少し笑う。
「うん」
そして、ちょっとだけ意地悪に。
「むしろ」
「やっと対等になれた気する」
「え?」
「レンタル彼氏と客じゃなくてさ」
まっすぐな目。
「ちゃんと、男と男」
心臓が大きく鳴る。
でも嫌じゃない。
怖くない。
佐野がそっと手を差し出す。
触れるかどうかは、こっち次第。
「これからは」
少しだけ照れた顔で。
「柔太朗って呼んでいい?」
涙でぐちゃぐちゃなのに、笑ってしまう。
小さく、頷く。
その瞬間。
佐野の指が、そっと絡む。
前みたいに優しい。
でも今度は嘘なし。
「改めてさ」
少し顔を近づける。
「好きだよ、柔太朗」
レンタルじゃない。
役でもない。
本物の告白。
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