テラーノベル
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白山小梅
12
#借金
* * * *
駅に着くや否や、着いたことを知らせるために昴にメッセージを送る。するとすぐに『今行く』と返事が来た。簡潔でぶっきらぼうな印象を受けるメッセージなのに、何故か七香をホッとさせた。
はやる気持ちを抑えながら、人混みの中を抜けて改札の前まで行くと、いつもと変わらずTシャツにデニム姿の昴がスマホを見ながら立っている。
その姿を見て、七香の時間が一瞬止まったような気がした。
こうして人混みの中にいると、彼の姿が際立って見える。これは七香が友人として好意を寄せているからではなく、誰が見ても一度は目を奪われるに違いない。歳を重ねたが、またそれが新たな魅力を引き出しているように思えた。
すると七香の視線に気付いたのか、昴が顔を上げてうっすらと笑顔を浮かべた。その途端、心臓が大きく跳ね上がり、息苦しさを感じる。
あぁ困った……こんなふうに私をときめかせてくれる人が、世の中に他にいるとは思えないーーどう考えても、彼を越える人と出会える自信は全くなかった。
私、一生独身かもしれないーー近寄ってきた昴の顔を見上げ、思わず苦笑した。
「お疲れ様。変な顔して、何かあった?」
「変な顔なんかしてないよー。お腹空いちゃったから早く食べに行こう」
「何がいい?」
一瞬『オムライス』と言いそうになったが、明日岩田と食べに行かなければならない。そう考えると食べる気が失せてしまった。
「昴くんは?」
「ラーメン」
「えっ、夜のラーメンはダメ! 一気に体重増えちゃうから」
「そんな一食くらいで増えないだろ」
「昴くんと違うの。とにかくラーメンはダメ」
「じゃあつけ……」
「つけ麺もダメ。っていうか、ほぼ同じ麺じゃない」
「いや、かなり違いがあって……」
「わかったよ。食べながら聞くから、とりあえずお店探しちゃおう」
「まぁそうだな」
駅ナカにはたくさんの飲食店が点在しており、二人は歩きながら店を探し始めた。
「そういえば今日、何かあった?」
突然昴に尋ねられ、七香はドキッとして表情が強張ってしまう。
「えっ、なんで……」
「七香って本当にわかりやすいよな。よく言われない?」
「……よく言われる。まさか昴くんにまで言われるとは思わなかった」
「いや、なんか電話の時の声がおかしい気がして」
長いこと一緒にいた友人に言われるのはわかるが、数ヶ月一緒に隣に住んで食事をしているだけの昴に気付かれたことに、恥ずかしくなりながらも嬉しさも感じた。
その時だった。
「あれっ、島波さん?」
突然背後から誰かに声をかけられたのだ。
その声に聞き覚えがあり、恐る恐る振り返ると、そこにはいつものように笑顔を浮かべた岩田が立っていた。
「岩田さん!」
ここは会社の最寄駅なのだから、誰かに偶然会ってもおかしくはないのはわかっていたが、まさか岩田に遭遇するとは思いもしなかった。
「あぁやっぱり! 似ている人がいるなぁと思っていたんだ」
岩田がこちらに近寄ってくるが、それよりも七香は隣で無表情のまま立っている昴が気になった。岩田とは同じ会社に勤めているというだけで、別にやましいことはない。それよりも岩田に昴のことについて聞かれたら、どう返答したらいいのか悩み出す。
しかしそこで妙なことが起こったのだ。岩田を見る昴の目が一瞬大きく見開かられ、また岩田も同じように昴を見つめた。二人はまるで睨み合うように目を合わせる。
この態度の意味がわからなかったが、珍しく他人に敵意を見せている昴を落ち着かせようと、彼の腕を優しく叩いた。
「昴くん……?」
七香の声でハッと我に返った二人は、パッと視線を逸らした。
「彼は……島波さんの知り合いなのかい?」
「あっ、はい、友人です。これからご飯を食べようって話してて。岩田さんはお帰りですか?」
「あぁ、そうなんだ」
「お疲れ様です。じゃあ私たちはこれで失礼します」
なるべく早くその場から離れたかった七香は、岩田に対して笑顔を向けると、昴の手を取ってそそくさと歩き始めた。
「島波さん! 明日のランチ、楽しみにしてるよ」
七香は聞こえていないふりをして、岩田に背を向けたまま歩き去る。何故か心がもやもやした。
今ここでそんなことを言わなくてもいいのにーーそう思いながら唇をギュッと噛み締めた。明日岩田と食事をすることを、昴には知られたくなかった。彼が知ったところでなんとも思わないのはわかってる。でもだからこそ、秘密にしておきたかった。自分にとっての一番は、何があろうと昴であると、彼自身に思っていて欲しかったからのだ。
「七香、そのまま行くと店がなくなる」
名前を呼ばれ、ハッとした七香はようやく足を止めた。気付けば飲食街を抜けていた。
「あっ、ごめん」
「別にいいよ。まぁここまで来たし、あそこにする?」
昴が指差したのは、英国風のダイニングバーだった。初見では入りにくい印象があるものの、雰囲気自体は七香の好みで、興味をそそられた。それに今は一刻も早くお店に入って気分を変えたかった。
「うん、いいと思う」
七香が言うや否や、今度は昴に手を引かれて店内に入った。
二人は案内された向かい合わせソファの席に座った。客席はほぼ満席で、各々のグラスを傾けながら、大人の時間を楽しんでいる。
店内は薄暗く、音楽が静かに流れている。テーブルの上には、ガラスのケースの中でキャンドルの灯りがちらちらと揺れ、七香の乱れた心を鎮めてくれるようだった。
「こういう雰囲気、すごく好き」
「そんな気がした」
「あはは。昴くん、私のことはなんでもお見通しって感じねぇ」
「かもな」
サラダとパスタとカクテルを頼むと、二人の間にしばらくの沈黙が訪れる。七香はキャンドルを自分の方に引き寄せると、うっとりと目を細めた。
「なんでキャンドルの灯りって、こんなに癒されるのかなぁ」
「キャンドルの炎の揺らぎには一定のリズムがあってさ、これって心臓の鼓動や波の音、木々のざわめきとかのリズムと同じらしい。平均値は一定でも瞬間的に変動して、規則性と不規則性が調和してるから心地良く感じるんだってさ」
「……急にお医者様になったね」
「元々医者なんだけど、俺」
「あはは! やだ、忘れてたー」
先ほどまでの鬱蒼とした気分が、昴との会話で晴れていく。呆れたように呟いた昴も、七香の笑顔を見た途端、穏やかな笑みを浮かべた。
「それで? さっきの奴は会社の人?」
「あー、うん、人事部の人」
「で? ランチに行くの?」
「……結構前から誘われてたんだけど、ずっと曖昧にしてたら、明日行くことになっちゃって……」
「ふーん、まぁ七香って誘われたら断れないタイプだしな」
「そ、そんなことないもん」
反論するように頬を膨らませたが、思い当たる点が多すぎて、徐々に頬もしぼんだ。
「でも曖昧にしてたなんて珍しい」
「だって……あまり男の人と話すの得意じゃないし」
「俺とは話すのに?」
「昴くんは特殊すぎ。出会いから何もかもが普通じゃないもの」
「確かに」
キャンドルの影に揺れる昴は、いつもよりも色っぽく見える。友だちという線引きをしていなければ、体が熱くなってしまいそうだった。
本当はこの感情の正体に本当は気付いている。けど認めるわけにはいかない。だってそれは自分で決めた決意を反故することになるのだからーー泣きそうになるのをグッと堪えながら、七香は俯いた。
「七香?」
昴が七香の顔を覗き込む。この目がずっと私だけを見てくれればいいのにーーでもそんな日が来ることはないことは知ってる。
「なんでもないよー。あーあ、お腹空いちゃった。早く来ないかなぁ」
彼を一番近くで見守るために、恋心を捨出たのだから。
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