遠いようで近い場所から、聞き馴染みの声が聞こえる。鎌鼬の妖と戦った後に出会い、創造系統偽・魔術師の戦闘に関わり、瀕死の俺を助けた氷系統偽・魔術師の声が。
しかしそれはただ聞こえるだけ、方向も位置も分からず、ひたすらに近場を走り回るだけ。 向かおうと啖呵を切ったのにこのザマだ。
何も無い虚空に向かって『太刀 鑢』を振り回し、辿り着ける可能性の無い、存在するかどうかも怪しい “空間の端” を探す。
全速力で走り、違和感のありそうな場所を片っ端から捜索する。この空間内で妖術の使用は可能だが、『共有感覚』『鑢 魔獣』『周囲調査』などの 探査系妖術 は使用出来なくなっている。
―――心臓の鼓動が早くなる。
早く氷使いの居場所を特定しないと、何かマズイ予感がする。そう思い何も見えない空間を手当り次第に探るが、何も成果も得られない。
―――心臓の鼓動が早くなる。
探し方が悪いのか、それとも氷使いの声は幻聴だったのか。そんな思考が脳内を埋めつくして手の動きが鈍くなる。
―――心臓の鼓動が、早くなる。
何処だ何処で何処に居る。見えない空間を彷徨い続けて、護れるべきモノを取り零してしまう気がする。急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ。
―――心臓の鼓動が、聞こえる。
小さく、そして素早いリズムを奏でる心音が反響する。近い、近くに居る。見えはしないが、確かに氷使いが居る。
いや違う、最初から俺は氷使いと同じ場所に辿り着いていた。ただ見えないだけで、ここに氷使いが居るんだ。
「………箱の二重底と同じ原理か」
元から氷使いと俺の居る空間は同じ位置で、同じ座標で固定されていた。ただ、空間の上に空間を重ねて、上下の座標を変更したのだ。
つまり、俺が今立っている地点の真下。底を突き破れば、俺は 目的地へと到着する。
「『太刀 鑢』」
所持していた刀を振り上げて、まるで大岩を斬るかのように素早く、そして力強く振り下ろした。
刀身が地面と接触したその瞬間。空間全体が無造作に波打ち、構造そのものが次第に変化して行く。
次第に、背後からタイルの様なモノが剥がれる音がして地面が崩れ、俺は何も無い空間へと投げ出された。 ただ落下し、闇に呑まれるように。
落下し始めて数秒が経過し、俺は遂に待望の地面と、激突した。強い衝撃が足の骨にまで響いた俺は、少しの間だけその場で蹲った。
治癒の術を使用…となるほどのダメージでは無いが、痛いものは痛いので影から取り出した湿布でも貼っておこう。
「妖術師!!君は今どこから………じゃなくて、まさか本当にこんな空間まで辿り着けるとは」
不意に、背後から女性の声がする。 いや女性と言うと誤解が生まれてしまうかもしれない。
正しくは容姿と声共に幼くまだまだ偽・魔術師としては未熟者の少女、である。
そして俺に助けを求め、再会を祈った少女。
「………氷使い、お前が呼んだのになんだその反応は。俺もよく分からない空間に飛ばされた後、どうにかしてここまで来たってのに」
氷使いの方へ振り返り、手を地面に付けて勢いよく立ち上がる。その弾みで足に少し負荷が掛かり、ツンと痛みが走った。
何も見えない空間内だけど、人物だけはハッキリと鮮明に見える。
「それで、氷使い。お前は何故ここに居る?」
まず第一に聞きたい事、それはこの謎の空間に氷使いが存在する理由。
「何故って……君がここに呼んだと、 彼か彼女か分からない『声』が教えてくれたのだけれど」
そう言って氷使いは上を指差し、俺もその動きに合わせて上を見上げる。その先は真っ暗で、何も無い。何も無いが………気配はする。邪悪な、俺の事を忌み嫌う気配―――、
『我が嫌う訳はお前が一番分かっているだろう、妖術師』
「…………狂刀神」
まぁ、狂刀神が言う事は間違っていない。何せ狂刀神から制御を取り返し、神器を自分の物にして濫用し続けた。
その点に関しては本当に申し訳ないと思っている。
『………思っておらぬだろ、お前』
………思ってる訳ねぇだろ。
そんな喧嘩紛いなやり取りを無言で行っていると、氷使いがジト目でこちらを見て来た。凄く何か言いたげな目をしている。
「二人でなんのやり取りしているかは分からないが………妖術師、君の力を貸して欲しいんだ」
遂に本題へと話の路線を戻す。
「私達が居るここは『声』が作り出した安全地帯の様な場所だ。あそこの奥で立っている人が居るだろう?アイツを倒さないと外に出られないらしい」
氷使いが指差しした先には、全身が赤黒い何かで形成された人間の様な物体が佇んでいた。その容姿と持っている武器は、あまりにも俺の見た目と『太刀 鑢』に似ている。
「…………あれは、俺か?」
思ったことがつい我慢出来ず声に出てしまった。
「―――そう、アレは『声』が作り出した未来の妖術師らしい。そしてあの妖術師はこの安全地帯に近づく事が出来ないようだ」
未来の、俺。その言葉がどの未来を指すのか、 どこまでの未来を示すのか分からない。 『魔術師を全て討伐した後』なら、使用する術も限られてある程度の予測は可能だ。
だが、もし『妖術師としての成長を果たし、”進化”を遂げた後』なら………、
「あの偽物は、何か術を一度でも使ったか?」
寿命を全うして妖術師の高みへと至った俺なら、恐らく手も足も出ずに殺されて終わりを迎えるだろう。
偽物が使う術もほぼ初見、予測して見切る事は確実に不可能。
「たった一度の踏み込みで、私が創った氷の壁を全て破壊し、雷の様な速度で距離を詰める術。確か『疾風迅雷』と『声』が言っていた」
「………そうか」
偽物が使用した術、 『疾風迅雷』の事を俺は知っている。今の俺が扱う術の中に『疾風迅雷』は無いが、一度だけ視た事がある。
「未来視の時に視た、あの術と同じ………」
二年後に起こる、二度目の東京大規模魔法。ソレを未来視で視た時、ほんの一瞬、ほんの少しだけ未来の俺が視えた。
周囲の瓦礫を移動で吹き飛ばし、雷と同等の速度で偽・魔術師の首を断つ俺。まるで何かに追い詰められている様な鬼の形相で戦っている姿を。
「この情報だけでどっちかの区別は出来ねぇが、前者だと思って戦うしかねぇな」
刀を交えずとも、俺と偽物の力の差は段違いだと本能が告げる。一度の隙を見せれば死ぬかもしれない、その情報だけが脳内で繰り返される。
「そこで、だ。私はあの偽物と戦う為に、魔術師に成る事を選んだ 」
魔術師に成る、か。偽物とは言え、妖術師の特性と能力そのものは俺と変わらないはずだ。故に、妖術師を殺せる魔術師に進化するのは間違いじゃない。
ん?いや待て、氷使いは何て………、
「………今、魔術師に成るって言ったか?」
「あぁ、言ったとも。その方法しか偽物に太刀打ちできる手段は無い、そうだろう?」
聞き間違いじゃなかった。本当に「魔術師に成る」と、一言一句同じ事を言っていた。
いやそもそも、偽・魔術師から純粋な魔術師に進化など出来るのか?俺も文献資料上でしか聞いたことが無い情報だ。
………氷使いの言う通り、例え可能か不可能か未知数でも試すしか方法は残されていない。
この空間で『遡行』が使えるのか分からないし、もし使えたとしても何度も何度も『遡行』をする羽目になるだろう。
「………死ぬのだけは、もう御免だ」
「分かった、氷使いが魔術師に進化するのを手伝おう。まず俺は何をすればいい?」
その条件が”血肉を捧げる”だったとしても、俺は躊躇わず呑む覚悟はある。………流石に”命”まで来たら断るかもしれないが。
「私の氷を溶かした水をこの器で飲み干し、私の魔導書を『太刀 鑢』で真っ二つに斬る。ただそれだけで十分だ」
「………それだけ?」
「それだけ」
あまりにも簡単な方法で、俺は思わず驚いた表情で氷使いの方を向く。その顔を見た氷使いは薄らと笑みを浮かべて、俺と目を合わせた。
嘘か本当かを疑っている余裕は無い。提示された条件を今すぐ行うのが最善の選択。
「じゃあ器と魔導書をこっちに渡してくれ」
俺は手を伸ばして、氷使いから氷で出来た器と魔導書を受け取る。
少しだけ偽物の様子を伺う為に目線をズラしたが、その場で立っているだけで動こうとはしない。
冷たい氷の器を片手で持ち、口の近くへと運ぶ。顔の辺りで冷気を感じながら、器に入っていた水を俺は全て飲み干した。
「………後は、魔導書を斬るだけ」
『太刀 鑢』を両手で構え、地面に置いた魔導書に狙いを定める。このまま振り下ろせば儀式は終わり、偽・魔術師は純粋な魔術師へと変わる。
…………そうなれば、俺は氷使いを殺さなければならなくなってしまうだろう。
魔術師は全員殺すと誓い、空間支配系統魔術師『沙夜乃』を俺はこの手で葬った。なら、氷使いも俺の手で殺さなければならない。
俺は、仲間を殺せるのか?そんな疑問が頭をよぎったが、すぐにその考えは消えて、俺は『太刀 鑢』を力強く握る。
「………はぁぁぁあああ!!」
時間の流れが遅く感じる。ゆっくりと振り下ろされている『太刀 鑢』は、空気を斬りながら魔導書を目掛けて進み続ける。
あとは力に任せてこのまま刃を進めるだけ―――、それだけだった。
偽物から意識を逸らした一瞬、俺は判断を誤ったのだ。最善の選択を取ったが故に、最悪な結末を向けることになってしまった。
「………っダメだ!!」
偽物の拳が俺の左頬へと伸び、そのまま勢い良く顔面が吹き飛ばされる。少し遅れて胴体も顔と同様に物理の法則に従い、そのまま地面へと強く転がった。
音速を越えた攻撃を直接喰らった事で、肉が引き裂かれ、骨が粉々に砕けて変化し、顔面は人と呼ばれる形を保つ事が出来なかった。
頭部破裂、とまでは行かなかったが、生命の活動を続ける上で最も重要な器官である脳が破壊され、
俺は死んだ。
「どうしたんだい、妖術師。そんな悪魔でも見たような表情をして」
俺の手は『太刀 鑢』を振り上げ、その場で停止している。まだ振り下ろす前、何も起きていない状態だ。
―――死んだ。俺は死んだんだ。『遡行』を行った。
「死ぬのは御免だ」と言いながら、その数分後に俺は死んでしまった。強烈な一撃を頬で受け、そのまま即死したのだ。
「……ぁはぁはぁはぁ!!」
呼吸が荒くなる。この刀を振り下ろせば、恐らくまた拳が俺を目掛けて飛んでくる。そして、 その拳を放った人物は一人しかいない。
………偽物だ、俺の未来を模倣した妖術師が、一瞬で近付き、そのまま俺を殺した。
あんなのどの術師であっても、対応出来るわけが無い。例え神である狂刀神であっても確実に不可能だろう。
『………お前、遡行したのか?』
やっぱり気付いたか、こんなに動揺していれば気付かれて当然だ。
あぁ、お前の言う通り俺は『遡行』した。そこの偽物に綺麗な一撃をお見舞いされてな。 それも即死だ、痛みや攻撃された認識など無く、俺は死んだ。
『そうか、遡行の未来を見せた氷使いの助けがあっても、アレの攻撃からは避けられなかったか』
見せた……?まさか氷使いに今までの遡行を体験させたのか!? それに遡行の未来だと。まさか俺が死ぬ事を既に氷使いは知っていたのか?
―――いや、知っていた。氷使いは知っていた。
偽物の攻撃を受ける前。俺が反応するより先に、氷使いは俺に対して「ダメだ」と言い、氷の魔術を使おうとしていた。
ただ単純に偽物の動きをいち早く察知したと言う場合もあるが、とても目で追える程の速さじゃなかった。
『そうか、氷使いの忠告が間に合わなかったのか』
「………さっきから何の話をしているんだい?」
………多分、氷使い忘れてるぞこれ。
今ここで遡行の事実を告げるか、いやしかしこうやって時間を費やしてる一瞬でまた偽物が攻撃してくるかもしれない。
「………氷使い、すまん!!」
俺は一応の謝りを述べた後、氷使いの手を取って影の中へと押し込む。その行動を見た偽物が、姿勢を変えて攻撃の準備に入った。
違う、あの構えとこの空いた時間。さっきの攻撃とは違う全く別のモノが来る。
一瞬の一撃に全てを注ぎ込んだ攻撃に備えて、俺は影を展開し、氷使いと俺を収納した。
「………おいおい嘘だろ?」
偽物は背中から何か大きな物体を取り出し、地面へと突き刺す。そうしてブツブツと唱えた後に、物体を 更に深く突き刺した。
足元から半径10m程の魔法陣が現れ、その輪っかは次第に広がり始める。
その円が俺たちが潜む影に触れた途端、俺たちは影の中から追い出された様に空中へと舞い、地面へと着地した。
「何の術かは分からないが、俺でも多分同じ手段を使った………なっ!!」
喋り切る余裕も無く、偽物は物体―――刀を構えて俺に近付く。
反応が遅れてしまったが、ギリギリの所で『太刀 鑢』で受け止め、鋼同士がバチバチと音を立てて火花を散らす。
「………っこの程度、どうって事は!!」
偽物の攻撃を受け流し、俺はその余韻を利用して偽物の胴体に『太刀 鑢』を振るう。
俺の『太刀』に対して、偽物の使っている武器は『大太刀』だ。小回りが効きにくく、その大きさ故に攻撃後には隙が発生する。
その隙を狙って、俺は防御から攻撃へと移行する。
―――取った、この攻撃は確実に偽物の胴体を真っ二つにする。防御する余裕も無い。
『………その偽物が、今のお前であるなら。その攻撃は通用しただろう。だが、そこに居るのは幾度の修羅場を乗り越えた最強の妖術師。こんなのは造作もない』
狂刀神の言う通りだった。 俺の攻撃は胴体を斬る寸前で停止し、その先に進む事はなかった。
小さな刀が、偽物が腰から抜き出した小さな刀が、俺の太刀を綺麗に防いで魅せたのだ。油断した、確実に殺せると思った。
まさかの短刀で重い太刀の一撃を受けた偽物は、たったの片手一本で大太刀を持ち上げ、思い切り振り下ろす。
まさに俺の言った通りだ、大太刀では無いとしても、太刀も大概が制御が効きにくく、次の攻撃までに隙が生じる。
俺が解説した全くその通りに、俺はそっくりそのまま反撃を喰らった。
「………クソ、また死ぬのかよ」
左腰から右肩まで刀が進み、そのまま内臓と鮮血が体の内側から大きく溢れ出る。 斬られた、見事に致命傷の一撃を、俺は受けてしまった。
偽物を倒す為に、刀を握る力さえない。動くための力も入らない。もう、負けが確定したのだ。
そうして戦いを諦めた俺は目を閉じ、後ろへと倒れ込んだ。大量出血で、俺は死ぬ。また遡行を繰り返す。
俺から離れた位置で、氷使いが何やら叫んでいるが、俺の耳はとっくに聞こえない。
『次、だな』
あぁ、次だ。俺はこのまま死んで、次の戦闘を行う事になるだろう。
もう偽物の動きと攻撃は大体予測出来た、次で不可解な動きをしない以上、俺は偽物と渡り合える自信がある。
『………死を受け入れるなど、常人には相当堪える感覚だ。やはりお前は、狂人だな』
狂刀神と名前が付くお前に言われたくないが………狂人か、そう言われたのは初めてだ。悪くない。
そうして俺は全身から力が抜け、もっと更に出血が酷くなった辺りで意識が朦朧とする。………暫くして、 狂刀神の言葉を最後に、俺は意識を完全に失った。
そう、死んだ。
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