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ご注意
・神聖ローマ≒√(肉体は神聖ローマのもの)設定です。
・この二次創作は、ある程度史実に準じてますが、細かい点は捏造です。また、実際の歴史的な出来事、人物とは無関係です。
・神聖ローマと北伊、独と北伊の恋愛感情を扱っているため、腐向けタグをつけております。
「海が見たい」
消える寸前で、何年も床から起き上がることもできず、毎日窓の外を眺めるばかりだった彼に、何かしたいことはあるか、と尋ねると彼はそう答えた。
「海か。分かった、何とかして俺がお前に海を見せてやる。必ずだぜ」
「無理はしなくていい」
後から思えば、この時の彼は本当に彼の求める「海」が見られるとははなから思っていなかったのだろう。だが、自分は彼に海を見せようと必死になって走り回った。今のように、カメラで簡単に写真を撮って現像できる時代ではなかったから、彼に見せた「海」の大半は城やら要人たちの屋敷にある絵だった。死んでいるはずの彼のことを話すわけにいかず、絵を貸してもらうにはなかなか骨が折れた。
水色の凪いだ海、日差しを受けて輝く紺碧の海、荒れ狂うどす黒い海、しけた海、荒涼とした灰色の海。
思いつく限りの海の絵を見せたが、どれを見ても彼は絵を褒めはするが、満足したような素振りを見せはしなかった。気に入らなかったか、と聞くと、彼は窓の外の南の空を眺めながらこちらを見ようとはしなかった。
「どの絵も素晴らしいものだ。お前が苦労して集めてきてくれたことがよくわかる。だが」
違うんだ、俺の見たかった海は。こちらを振り返りながら小さく付け足した。
「お前が見たかった海は、どこの海だ?もし絵や何かがあれば、持って来られるかもしれねぇ」
彼は小さく首を振る。
「俺が見たかった海はもうどこにもない。だから、見ることが出来ない」
「消えちまったってことか?」
海が干上がったなんて話はついぞ聞いたことがないが、彼は自分より長く生きているし、そういうこともあるかと思った。
「そうだ。消えてしまったんだ。いや、お前には見えるだろう。だが俺には見えない…違うな、見ることが許されないんだ」
「意味わかんねぇよ。そんなことってあるか?海なら誰だって見られるし、お前が許されないことなんてないはずだ」
「….そうだな。今はわからないだろう。だが、お前もいつかわかるかもしれない。ただそうなったときにはきっともうお前は手遅れになっているだろう」
警句めいたことを口にする彼の眼は碧く、凪いだ海のようだった。
それから彼は海が見たいとは言わなくなった。代わりにずっと、何かを求めるように窓の外を見つめるだけだった。
そんな日が何か月も続いたある日の夜ーーーーー彼は逝った。
「お前がこうして俺を守ってくれたことには感謝してもしきれない。お前と過ごせて楽しかった。そして….後を頼む、お前は俺のようになるな。俺の体を引き継ぐ国もそうならぬよう、お前が最期まで責任を持って導いてくれ」
小さな手で必死にこちらの手を握りしめる力はあまりにも弱い。それでも微かに痛みを覚える細い指の食い込みで分かる。
ーーーお前はまだ逝きたくないんだろう?
「…わかってる。任しとけ。どんなことにも負けねえ強い国に育ててみせるぜ。だから、安心しろ」
逝くな、と。お前は幸せだったか、と。海を見つけてやれなかったと。
言いたい言葉はたくさんある。何人もの大切な人たちや同胞を失っていく中で、言葉を飲み込むようになってしまった。
かの王が亡くなったとき、逝かないでくれと何度叫ぼうとしたか。
しかし、叫んだところで人間は終わりを迎える。そうであるなら、せめて最期くらいは安らかに。
国であれば、なおのこと。何世紀にも渡る重荷を下ろすその瞬間に、苦しみなどあるべきではない。
「ゆっくり休め、神聖ローマ」
悲しみと悔しさが見え隠れする彼の顔に、ふっと穏やかな色が宿る。
「…….おやすみ、プロイセン」
灯りのない部屋の中で彼の海のように碧い瞳だけが窓から入ってくる微かな月の光に照らされて燃えるような輝きをとどめている。そしてそれが幾度か瞬いて、部屋はーーー真っ暗になった。
「…、いっ、」
持ち主を失った空っぽの冷たい人型をかき抱けば、胸元に冷たいものが染み込んでいく。
きっと塩辛いだろうそれは、彼の望んだ海を思い起こさせ、結局見つけられなかったことへの無念を搔き立てた。