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「兄さん。海、というのはどういうものだろうか」
ベッドで客人が祝いの品として持ってきた美しい装丁の手から取り落としそうな革張りの本を危なっかしくめくりながら生まれたばかりの弟は尋ねてきた。
「どうしたんだよ急に」
「いや、さっきの客人が俺の目は海に似ているのだと、言っていたから気になった」
「お前は…海が見てみたいか?」
彼よりも明るい青色の瞳が、太陽の光を受けた海のように耀く。彼の瞳が日の沈んでいく海の色だとするなら、弟の目は彼が憧れたあの南の海のように、明るい。
「見てみたい」
その喜びに満ちた幼い笑顔が胸をきつく締め付ける。
瞳の色は違っているのに、お前はあいつではないのに、同じ声で、同じ顔で海を求めるのか。
「…………そうか、なら連れていってやるよ」
海を見せたかった相手は目の前にいる幼子か、それとも最後まで海を見つけられなかった彼なのか分からないまま、そう返事をした。
そして、ルートヴィッヒが起きて動けるようになってすぐ、東プロイセンの海に彼を連れていった。初めて見る大きな海にルートヴィッヒは圧倒されたようにしばらく黙り込んでいた。
「どうだ。いい海だろ」
「…これが海なのか。兄さんの海、なんだな」
その顔には僅かな疑問の色が見てとれた。
「なんか気になるのか、ルッツ」
子供らしい大きな瞳を瞬かせてルートヴィッヒは口を開いた。
「よく、わからない。海を見たこともなくて、初めて見る海かこんなに素晴らしいんだと思った。それなのに、何か、違うと感じた。何かはわからないが」
その言葉を聞いて、亡霊に心臓を掴まれたような冷たさが体中を駆け巡った。
神聖ローマ。俺が、海を見つけてやれなかったから、まだお前の無念はここに残っているというのか?
今でさえ、まだ見つけられていない海を探して彷徨っているというのか。
だが、たとえそうだとしても、ルッツ。その感情はお前のものではない。
お前はその感情の正体を知ってはいけない。
お前は彼ではないのだから。
「…考えすぎだぜ。初めて遠出したから疲れたんだろ」
「そうかもしれない…連れてきてくれてありがとう、兄さん」
幼い弟は納得したように頷いた。
その顔に、ここにはいない彼のことを重ねずにはいられない。思わず口を突きそうになった言葉を必死に抑え、しっかりと弟の肩に手を置くと、その温かさにざわめいた心が落ち着いていく。
「お前の見たかった海はどこにあったんだ?」
そして、本当に存在したのか。
ついに答えを聞くことのできなかった言葉が、冷たい海に流され、消えていった。