コトリ、とマグカップがテーブルに置かれて、穏やかな笑みが、テーブルごしに近づいてきた。
カフェラテの、甘くてほろ苦い香りに、意識もしびれていく。
「こんなメガネ、はずそ?」
すっ…と耳が擦れて、視界が一気にぼやけた。
「ん…やっぱ、すげー可愛い。どうしてコンタクトにしないの」
ぼやけた視界の中で、雪矢さんがたしなめるように囁く。
「清楚で可愛いけど、三つ編みもやめちゃおう。昨日みたいに、ふわふわの髪でいなよ。そっちの方がずっといい」
手が伸びてきて、わたしはとっさに仰け反る。
けど肩をつかまれて、身動きできなくなる。
「だ…」
「…だめ?どうして?」
「あ、やと、くんが…」
と口にしたとたん、雪矢さんの表情が強張った気がした。
「ふぅん。彪斗が『だめ』って?…ほんとずるいな。彪斗ばっかり」
ぐいっと、ヘアゴムが取られて、痛みを覚える。
乱暴なくらいの手つき。
やさしいと感じていた雪矢さんとは思えない行動に、背筋がすこし、ひんやりとなる―――。
いや…。
こわい…。
彪斗くん…。
「…そう、こうした方がずっといいよ。君はこの姿でいるべきだ。それが一番、ふさわしい」
ふさわしい?
やっぱり、この特別な学園で過ごすには、地味な姿でいてはいけないの…?
「彪斗のやつ、君をあんな姿のままにさせて、ひどいと思わない?いったい、どういうつもりなんだろうね。君のことからかって遊んでいるようにしか、俺は思えないんだけどな…」
彪斗くんが、わたしをからかう…?
ズキリ
胸が痛む。
『絶滅危惧種』
バカにするように言った言葉が脳裏によみがえる…。
バカにした格好のままいさせるなんて、確かに、からかってるっているようにも、思える…。
彪斗くん…。
ほんとは、わたしのことバカにしてる、のかな…?
彪斗くんは…。
わたしのこと、ほんとはどう思ってるかな…。
気になる。
すごく、すごく。
気になる…。
「なにしてんだよ、おまえら」
不意に、ぐいと引き寄せられて、雪矢さんの顔が遠のいた。
この強引な強さ。手の感触。
覚えがある。
「彪斗くん…」
「へぇ、ずいぶん早起きじゃないか、彪斗。いつも俺のこと『じじいみたい』ってバカにしてたけど、自分もじじいになっちゃった?」
「黙れ雪矢」
彪斗くんは、わたしの頭上ですごみを帯びた声で言った。
「てめぇ、俺のものに勝手になにしてんだ?」
「誰のもの、だって?やれやれ彪斗、おまえのワガママには、ほんとにあきれるな」
答えずに彪斗くんはわたしが来ていた雪矢さんのカーディガンを引き剥がすと、椅子に投げ捨てた。
そして、メガネとヘアゴムをわしづかみにして、有無を言わさずわたしの手を引く。
「彪斗。その子はものなんかじゃないよ。あまりひどい扱いをすると、その内誰かの元へ逃げてしまうよ?」
「うるっせぇんだよ、雪矢。…だれがなんと言おうが、こいつは俺のものだ。おまえも、だれにも、指一本ふれさせねぇ」
そのまま手を引かれ、わたしは強引に彪斗くんに連れ去られてしまう。
※
痛いくらい強く手を引かれたまま、館の敷地内を歩く彪斗くん。
怒っていると瞬時に伝わってくる背中。
「あや、とくん…」
震える声で何度か呼び掛けると、ようやく彪斗くんは、霧が薄くたちこめた湖の畔(ほとり)で立ち止まった。
「早く、なおせよ」
ぶっきらぼうにメガネとヘアゴムをわたされ、命じられるままわたしは髪を編み始める。
けど、次第に手が遅くなって、やがて止まった。
「わたし、メガネも三つ編みも、しない方がいいのかな…」
「は?」
「だって…しない方がいいって、みんな言うの」
寧音ちゃんも、雪矢さんも…。
たどたどしくだけど、わたしは自分の気持ちを伝える。
「わたし、もね、今日から新しい学校生活が始まるし…寧音ちゃんも雪矢さんも彪斗くんも…みんな可愛くてかっこよくて素敵だから、わたし…みんなの『仲間』なってもいいようになりたいの。だから…」
「……だめだ」
「…どうして…?」
「…雪矢に、さんざん言われただろ」
『すげー、可愛い』
吐息まじりの、甘い声。
雪矢さんの言葉がよみがえった。
どきん、って胸が跳ねる…。
けど、それ以上に…
彪斗くんも、そう思ってくれてるってこと…?
そう意識した瞬間、胸が痛いくらい高鳴り始めた…。
「おまえは俺のものだ…。俺だけのものだから…」
何度も聞く、所有をしめす言葉。
けど不思議。
だって今は、『俺のものになれよ…』って請われてる気がするから…。
どうして?さっきと言い方がちがうよ…?
いつもの威張りっぷりはどうしてしまったの…?
どうしてふたりっきりの時は、思いつめたように言うの…?
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