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高粱畑は、わたしたちを覆い隠してくれるには充分の高さがあって、お母さまや富士子さんもすっぽりと包んでくれた。それでも用心のためにと、前屈みになって歩いて行くのだけど、頭上に浮かぶ南方の星を頼りにする時だけ、頭を上げなくてはならない。
これは、石田さんがみんなに教えてくれた護身術みたいなもので、小屋の中ではしつこいくらいに、
「そんなことにはならないと思う…」
と、言っていた。
ほんの数時間前の出来事でも、あの時に戻りたいと思うことがある。
お父さまを困らせるほんの少し前だったり、お母さまに口答えをして怒られる前だったり。
それは、ケンカはイヤだし、みんなと仲良く笑っていたいからだ。
大人たちや、お国のえらい人たちも、そんなふうに思うのかな…。
わたしは今、小屋の中で石田さんが、みんなに気を配って笑っていた時に戻りたい。
どうしてもっと、何かお手伝いが出来なかったのだろう。
あの時に戻れたなら、みんなを助けることだって出来るかも知れないのに…。
わたしは泣き出してしまった。
お母さまは、わたしを抱きしめてくれたけど、涙は止まらない。
乾いた銃声が聞こえたのはそんな時だった。
お母さまはもちろん、富士子さんもわたしも、立ち止まって振り返り、さっきまで石田さんと話をしていた場所を見つめた。
お母さまは、わたしの目を隠そうとしたけれど、わたしは泣きながらお願いした。
それが、石田さんへの最後のお礼だと感じたし、そうしなければならないと思った。
高粱畑は、緩やかな下り坂になっているから、茂みの隙間から丘の上を見ることは出来た。
だけどわたしは、
「お母さま、お願いします。石田さんを見届けたいのです!お願い、お母さま」
「…」
「お母さま、お願いします!」
「わかりました、響子、しっかりと目に焼き付けておきなさい。わたしたちは、石田さんからいのちを頂いたの。わかるわね…」
わたしの身体を、ひょいと持ち上げたお母さまの瞳は、強くてやさしかった。
わたしは大きく目を見開いた。
トラックの周りに、人だかりが出来ている。
みんなは軍服を着ていて、小屋の方を指差したり、こちらの方を双眼鏡で眺めたりしている。
笑い声も聞こえた。
わたしには、何故笑っているのかわからなかったし、その声は野蛮に思えた。
ひとりの大きな人が、人間の足を空に掲げて振り回している。
あれはきっと…。
石田さんの義足だ…。
そこから先は、あまりよくわからない。