テラーノベル
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エルカが十歳になった年の春。勇者の里に、近隣の商業都市から緊急の討伐依頼が舞い込んだ。
内容は、北方の街道を占拠したオーガの群れの掃討。本来なら里の熟練戦士が数名で向かう案件だが、長老たちはこれをエルカの初陣として利用することに決めた。
「エルカよ。これは聖なる試練だ。人々を恐怖から救い、勇者の名を世に知らしめるのだ!」
里の広場で壮行会が開かれる中、エルカは一人、手元の羊皮紙を無表情に見つめていた。それは長老たちが用意した任務仕様書……という名の、体裁のいい命令書だ。
(……救う、知らしめる。抽象的な言葉ばっかり。肝心なことが一つも書いてない)
エルカは溜息を吐き、隣に立つ祖父バルカスを仰ぎ見た。
「おじいちゃん。この依頼、交通費は出るの? 現場まで片道四十キロ。徒歩なら一日、走り続けても三時間はかかる。私の時給を考えたら、移動時間だけで相当なコストだよ」
「……エルカ。勇者は無償の愛で民を救うものだと言っただろう。報酬は人々の笑顔だ」
「笑顔じゃパンは買えないよ。それに、オーガの死体はギルドで換金できるはず。その所有権が私にあるのか、里にあるのか、今のうちにハッキリさせておきたいんだけど」
バルカスは返答に窮し、顔を赤くして「とにかく行ってこい!」とエルカの背中を突き出した。十歳の少女は、最小限の荷物が入ったリュックを背負い、まるでこれから工場へ夜勤にでも向かうような、ひどく憂鬱な足取りで里を後にした。
里を出て視界から大人が消えた瞬間、エルカは立ち止まった。
「……歩くわけないでしょ。時間の無駄だし、疲れる」
彼女は自身の足元に魔力を集中させた。
風属性魔法[浮遊]に、後方への指向性爆発を組み合わせた独自の推進術。
ドォォン、という重低音とともに、エルカの体が弾丸のように加速する。
一般の魔導師がこれを見れば腰を抜かしただろう。飛行魔法は高度な制御を要し、魔力消費も激しい。しかしエルカは、空気抵抗を最小限にするための魔力膜を全身に張り、さらには追い風を自作することで、燃費を極限まで高めていた。
「時速約百六十キロ。これなら十五分で着く。……あ、でも加速しすぎると服が摩擦で傷むな。買うと高いし、速度はちょっと少し抑えよう」
空を飛ぶ少女の頭の中にあるのは、英雄的な高揚感ではない。
いかにして装備の消耗を抑え、現場滞在時間を短縮し、残業を回避するか。
彼女にとっての初陣は、徹底したコスト管理との戦いだった。
現場となる街道の峠道には、見るも無残に破壊された馬車と、鼻を突く獣臭が漂っていた。
二十体を超えるオーガの群れ。彼らは力自慢の亜人種であり、一体でも熟練の兵士を数人は殺せる力を持つ。
「グハハ! 小さな人間が来たぞ! しかも女だ! その肉はさぞ美味かろう!」
リーダーらしい巨大なオーガが、岩のような棍棒を振り回しながらエルカに近づく。
エルカは無造作に懐から時計を取り出し、時間を確認した。
「ええと、現在午前十時十五分。……よし、十分で終わらせよう。十時三十分の定期馬車が通るまでに道を空けないと、交通渋滞で私の帰宅が遅れる」
「何をブツブツと……死ねぇ!」
オーガの棍棒が振り下ろされる。
だが、その一撃がエルカに届くことはなかった。
彼女は一歩も動かず、左手をただ前方にかざした。
「[崩壊]――一点集中で、ほい」
瞬間、オーガの棍棒、そしてそれを握っていた腕が、音もなく砂となって崩れ落ちた。
[崩壊《コプラス》]は、物質の結合を魔力によって強制的に解除する、エルカ独自の闇属性派生魔法だ。
「……ア? 俺の腕が……ない?」
「次は、全員まとめて」
エルカは右手の指をパチンと鳴らした。
彼女の周囲に、数百本の氷の針が展開される。水属性魔法と風属性魔法の複合。ただし、彼女はそれを美しく輝かせるような無駄な装飾は施さない。ただひたすらに鋭く、硬く、殺傷能力だけを追求した弾丸だ。
「[星屑の礫]」
光の雨が、オーガたちの眉間を正確に貫いていく。
叫ぶ暇も、逃げる隙もない。
ただ効率的に、事務的に。
エルカが歩くたびに、強大な亜人たちがゴミのように地に伏していく。それは戦闘と呼ぶにはあまりにも情緒がなく、強いて言うなら害獣駆除あるいは大掃除に近い光景だった。
群れの奥にいた、身長四メートルを超えるオーガ・キングが、恐怖に顔を歪めて立ち上がった。
彼はこれまでに多くの冒険者を殺し、喰らってきた。だが、目の前の少女から放たれる気配は、かつて対峙したどんな英雄とも違っていた。
「待て……! 貴様、何者だ! なぜ、これほどの力がありながら、そんな退屈そうな目をしている!」
「退屈? 失礼だね。私は真剣だよ。……これだけの死体を処理するのに、どれだけの手間がかかるか計算してるんだから」
エルカはキングを見上げ、冷淡に告げた。
「ねえ、キング。君の角、立派だね。ギルドの資料によると、その角は高価な薬の材料になるらしい。……それを自分で折って差し出すなら、一撃で楽に殺してあげる。そうじゃないなら、もっと痛い方法で殺すけど、どうする?」
「ふ、ふざけるな……! 俺は誇り高き王だぞ!貴様なんぞに屈するものか!」
「…交渉決裂だね。やっぱり魔物との交渉なんて、時間の無駄か」
エルカが指先を動かす。
次の瞬間、キングの視界は上下が逆転した。
エルカの振るった長剣――里から持たされた旧式の鉄剣——が、魔力の付与によって音速を超え、キングの首をなぞったのだ。
ドサリ、と巨体が倒れる。
エルカは返り血一滴さえも浴びることなく、手際よくナイフを取り出し、キングの角を切り落とした。
「……えーと、十時二十五分。予定より二分早い。よし、後片付けを急ごう」
夕暮れ時。
エルカは里へ戻る前に、近くの街の冒険者ギルドへ立ち寄った。
傷一つない服、息一つ乱れていない少女が、血に濡れた大きな布袋と、依頼書をカウンターに乗せる。
「……え、あ、討伐依頼の……エルカさん、ですか?」
受付の職員が、震える手で袋の中身を確認する。そこには、峠を支配していたオーガたちの耳と、キングの巨大な角が入っていた。
「はい。依頼完了です。これ、受領証にサインをお願いします。あと、オーガ・キングの素材は時価で買い取ってくれるんですよね? 里を通さず、私の個人口座に振り込んでほしいんですけど」
「えっ、いや、それは……一族の方との契約が……」
エルカの瞳が、スッと細くなる。
その眼圧に圧された職員は、ひぇっと声を上げて、即座に裏金の……もとい、手数料を差し引いた正当な報酬の計算を始めた。
手に入れた金貨を数え、エルカはようやく少しだけ口角を上げた。
「……よし。これで、あの不味い粥を食べなくて済む。帰りに美味しいパンを買って行こう」
里に帰ると、長老たちが彼女を英雄として迎えようと待ち構えていた。
「おお、エルカ! よくぞやった! 人々は救われたか!? 民の感謝の声は聞いたか!?」
「いいえ。定期馬車が通る前に討伐を終わらせたので、誰にも会っていません」
「な……。そ、それでは勇者の名が売れぬではないか! もっとこう、劇的な戦いをして、人々に見せつけねば……」
エルカは長老の言葉を遮り、一通の書面を差し出した。
それは、彼女が道中に作成した今回の任務における改善提案書だった。
「移動手段の確保、および消耗品費の支給。それと、次回からは感謝ではなく現金での歩合制を要求します。……そうでなければ、もう二度とやりません。労働の対価が不明確な仕事は、モチベーションが維持できないので」
唖然とする長老たちを置き去りにして、十歳の少女は自分の部屋へと向かった。
彼女はこの日、確信したのだ。
勇者とは、世界を救う高潔な存在ではない。
勇者とは、無能な大人たちの代わりにリスクを背負わされる、最も条件の悪いブラックな職種であると。
(……だったら、私がやることは一つだ。誰にも文句を言わせない圧倒的なスピードで実績を積んで、定年退職を一日でも前倒しにする。そして、手に入れた金で、絶対に誰も来ない場所へ引きこもってやる)
彼女の背中に、もはや初陣を終えた子供の初々しさはなかった。
そこにあるのは、理不尽な労働環境を実力でねじ伏せようと決意した、一人の最強のスペシャリストの孤独な決意だけだった。
コメント
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うわ、このエルカちゃん、最高ですね……。「時給」「交通費」「残業回避」を呪文のように唱えながらオーガを駆除する十歳、初めて見ました。勇者の里の「笑顔で報酬」という昭和ブラック感に対して、現実を突きつける姿勢が痛快でした。魔法一つ一つにコスト計算が潜んでいるのも、設定好きにはたまらない。最後の「定年退職=魔王討伐」という発想にも、思わず膝を打ちました。次はどんな案件を合理的に片付けていくのか、すごく気になります!
#ドライ
1,898
#主人公最強
杯雪乃
1,748
#勇者
りな
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