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薄暗い土蔵の奥で、それは静かに座っていた。
祖母の家は、山あいの小さな村にある古い日本家屋だった。
瓦屋根は苔むし、縁側の木は長い年月に磨かれて黒光りしている。大学を卒業したばかりの私は、祖母の遺品整理のためにひとりでそこを訪れていた。
「蔵だけは、絶対に夜に開けちゃいけないよ」
子どもの頃、祖母はそう言っていた。
理由を尋ねても、ただ曖昧に笑うだけだった。
だが、遺品整理をする以上、蔵を開けないわけにはいかない。錆びた錠前を外し、重い扉を押し開けると、湿った土と古布の匂いがむっと鼻をついた。
懐中電灯の光の先に、それはあった。
古びた雛人形のような日本人形。白い顔に細い目、艶やかな黒髪。朱色の打掛は色褪せているのに、顔だけは不自然なほどに白く、滑らかだった。
「……こんなの、あったっけ」
私は思わず近づく。
人形は、低い台の上に正座するように置かれていた。口元はかすかに笑っているようにも見える。
そのとき、背後で蔵の扉が、ぎい、と音を立てて閉まった。
振り返る。風はない。重い扉が、ゆっくりと最後まで閉じる。
心臓が強く脈打つ。
私は急いで扉に駆け寄り、引き戸を引いた。びくともしない。
外から何かで押さえつけられているかのようだった。
「……冗談でしょ」
背中に、視線を感じた。
振り向く。
さっきまで正面を向いていたはずの人形が、こちらを見ている。
確かに、こちらを。
懐中電灯の光が震える。人形の目は、さっきよりもわずかに開いていた。黒目が、光を反射している。
「動く、わけ……」
言い終わらないうちに、畳を擦るような音がした。
ずるり。
人形の足元。台から、ほんのわずかに位置がずれている。
私は後ずさる。背中が冷たい壁にぶつかった。
「やめて……」
人形の首が、ぎぎ、と軋む音を立てて傾いた。白い顔が、真上を向く。そして、ゆっくりと——
真っ逆さまに、落ちた。
ころん、と床に転がったはずの首は、しかし止まらなかった。まるで見えない糸に引かれるように、私の足元まで転がってくる。
足首に、何かが触れた。
冷たい。陶器のような感触。
悲鳴を上げようとした瞬間、背後から、細い腕が伸びてきた。
ぎしり、と骨の鳴る音。
人形の胴体が、いつの間にか私の背後に立っていた。首のないまま、両腕を広げて。
足元の首が、にたり、と笑った。
「……みつけた」
それは、祖母の声だった。
幼い頃、熱を出して寝込んだ夜、枕元で聞いたあの優しい声と同じ響き。
「ずっと、待っていたの」
人形の口が動くたび、乾いた音がする。白い頬に、ひびが入り始める。
「この家を継ぐ子を」
思い出す。村では、女の子がひとり生まれるたび、古い日本人形を蔵に納める風習があったことを。代々の“器”を選ぶための、儀式だったと。
祖母は、選ばれなかったのだ。
だから、蔵に閉じ込めた。
——次の器が現れるまで。
首のない胴体が、私を抱きしめる。冷たい。重い。逃げられない。
足元の首が、私の顔を覗き込む。
「あなたが、次よ」
視界が白く染まる。陶器のように、皮膚が硬くなっていく感覚。声が出ない。瞬きが、できない。
最後に見えたのは、蔵の隅に新しく置かれた台座。
そして——
翌朝。
村人が蔵を開けると、そこには一体の日本人形が増えていたという。
艶やかな黒髪に、かすかに怯えたような表情を浮かべた、真新しい人形。
その隣で、ひび割れた古い人形が、静かに崩れ落ちていた。
そして今も、夜になると蔵の中から、細い声が聞こえる。
「みつけた」