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#独占欲
「具体的にどんな仕事してるの?」
そこから藍子と市川の質問攻めが始まった。
私はたじたじとなりながら二人に答えていたが、後輩たちがわいわいと市川の元へやってきたおかげで、ようやく二人から解放される。
「俺、ちょっとトイレ」
席を立った辻の背中を見送った後、喉が渇いていた私はグラスの中身を飲み干した。次に飲むものを選ぼうと、メニューに手を伸ばす。
脇から彬がそっと声をかけてよこす。
「あんまり飲みすぎるなよ」
「分かってるよ」
「ホントかなぁ。去年のあの時みたいに潰れるのは、勘弁してくれよ」
「さすがにあんな風にはもうならないわ。だけどもしもそうなっても、彬が介抱してくれるんでしょ?」
私は彬と二人きりでいる時限定の口調で言葉を返した。辻は今席を離れているし、市川と藍子は後輩たちと話し込んでいる。私と彬に注目している者はいないはず、とすっかり安心しきっていた。
ところが突然声が割り込んできた。
「なんだなんだ、今のは」
私は飛び上がらんばかりに驚いた。まだまだ戻って来ないと思っていたはずの辻が、真後ろにいたのだ。どんな風に誤魔化そうかと頭をフル回転させながら、隣の彬を見た。しかし彼には動じた様子がまったくなかった。
辻は元の席に腰を下ろし、私と彬の顔をしげしげと見る。
「夏貴ちゃん、今、矢嶋のこと、名前で呼んでたよね?」
「いやいや、辻さんの聞き間違いですよ。ね、矢嶋さん?」
うまく話を合わせてくれるだろうと期待しながら、私は彬に同意を求めた。
ところが、彼はにっと笑ってこう言う。
「辻さんには話してもいいんじゃないか?辻さんは口が固いし、大丈夫だろ」
「何の話かわかんないけど、言うなと言うなら絶対に言わないよ」
「ほら、こう言っているし」
「彬がいいなら、私はいいけど……」
「え、今やっぱり、矢嶋のこと、彬って呼んだよな……」
辻の目が大きく見開かれた。
「おいおいおい、いったいどういうこと?」
彬はおもむろに口を開き、辻に告げる。
「実はですね、俺たち、来年には籍を入れるんです」
「えぇっ?」
余程驚いたらしい。辻の声が裏返った。
この賑やかさなら、私たちの会話が周りに聞こえてしまう心配はなさそうだが、彬は声を潜める。
「このことはまだ内緒ですよ。ちなみに俺たちの親兄弟以外でこの話を知ってるのは、辻さんだけですからね」
「えっ、じゃあ、それって本当の話なわけ?」
「はい、本当です」
辻は信じられないという顔で何度も瞬きを繰り返していたが、ようやく納得したのか、私たちの顔を交互に見比べて、はぁっと息を吐き出した。
「いやはや、夏貴ちゃんが人妻になるなんて、何やら複雑な心境だよ」
言いながら辻は私の頭に手を乗せようとした。
しかし、その手はすぐさま彬に払いのけられる。
「痛いじゃないか」
辻はわざとらしく手をさすった。
彬は呆れ顔を見せる。
「どうして、女性に簡単に触ろうとするかなぁ。しかも、夏貴は俺の彼女だってのに。そういう距離感、なんとかした方がいいですよ」
「はいはい、気をつけますよ」
辻は軽い調子で謝り、私たちの顔をしげしげと眺めた。
「しかし、二人がねぇ……。夏貴ちゃんの方は、全然そんな感じには見えなかったから、てっきり矢嶋の一方通行で終わると思ってたんだけどねぇ」
「一方通行?」
私は首を傾げた。
辻はちらりと彬に視線を走らせてから、私に向き直る。
「矢嶋は隠していたつもりだったかもしれないけど、俺、気づいてたんだよ。夏貴ちゃんが手伝いに来てくれるようになって、二人の様子を間近に見るようになってからね。それで、ちょっとやきもきしたりもしてね。この二人、いったいどうなるんだろう、矢嶋の想いが通じる日が果たして来るのか、って。……へぇ、でも、そうか」
辻は感慨深そうに目元を緩めて私たちを見た。
「二人とも、幸せになれよ」
しみじみとした辻からの祝福の言葉に、胸の中が温かくなり、涙ぐみそうになった。かすみそうになる視界の向こうで、辻が私と彬のグラスにビールを注ぎ足している。
辻は自分のグラスを手に取り、私たちにしか聞こえないほどの小声で言う。
「本当におめでとう。話が公になったら、その時は盛大に祝ってやるよ」
「ありがとうございます」
その後、飲み会は盛り上がったまま終わった。皆、適度以上に酔っていて、私と彬が一緒にいることを気にする者はいないようだった。市川などは、私がまた泥酔でもして、前回同様、彬の手を煩わせているとでも思っていたかもしれない。
さり気なく彼らから離れた私たちは、当然のように一台のタクシーに乗り込んで帰路に着いた。
その車の中、私はほぼ一年前の夜のことを思い出していた。
その夜、私は初めて彼から「夏貴」と名前を呼ばれてどきどきしたものだが、その時は、まさか彼と婚約することになろうとは想像すらしていなかった。こんなことになるなんて、まったく不思議なものだと感慨にふける。
「着いたぞ」
彬に声をかけられて私は我に返った。彼の後に続いてタクシーを降り、建物の中に入る。エレベーターに乗り込んで、二人きりとなった箱の中、私は彬の手をそっと握った。
彼は私の手を握り返しながら不思議そうに訊ねる。
「どうした?」
「あのね。なんだか急に、幸せだなぁって思ってね。そしたら、彬と手を繋ぎたくなっちゃった」
彼は嬉しそうに笑う。
「これから、もっともっと幸せになろうな」
「うん」
「ところで、また近いうちに、夏貴の実家に行かないとな。俺と住むことをお許しいただかないといけないからね」
少し前から、一緒に住もうという話になっていた。そのための私の両親への挨拶は不要だと言う私に、入籍前だから筋を通したいと彬は言った。
「じゃあ、明日にでも、向こうの予定、聞いてみるね」
「あぁ、頼む」
両親は反対などしないだろう。許可を得ると言うよりも報告になりそうだ。その後は、すぐにも引っ越す準備をしようと考えている。もう少ししたら、彼の部屋が私の帰る家になるのだと思ったら、胸の奥がじんとして、何やらこみ上げてくるものがあった。
「私、彬に出会えて良かったって思うよ」
私はしみじみとつぶやいた。
彬の腕が私を抱き寄せる。
「俺もだよ。お互いに素直になるのが遅かったけどね」
「確かに」
微笑みを交わして顔を近づけ合った途端、エレベーターが止まった。
「残念。この続きは部屋でだな。デザートは夏貴って決めてたし」
「もうっ……」
私は苦笑した。けれど、もちろん彼を拒むつもりはなく、むしろ、彼の温もりを求めるかのように、彼の手に指をからめた。きゅっと指を絡め返す彼の力強さを感じながら、これからも愛していると言ってほしい、私もあなたに愛していると言い続けたい、と強く願う。
彼に寄り添って、歩き慣れた廊下を進む。愛する彼の部屋であると同時に、もうしばらくすれば私が帰る場所にもなる部屋を、まっすぐに目指して。
(了)