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――深夜の閑静な住宅街。この時間帯に於ける人の気配無き無音は、闇に沈んでしまったとさえ錯覚してしまう。
まるで彼等以外、息づく者が存在していないかのような――
「ターゲットは彼処ね。電気は点いてないみたいだけど……反応から居るね」
四つの人影が二階建ての屋根から見下ろすは、一階建ての白い小さな建物。庭付きで独り暮らしにはお洒落で丁度良い家だが、まさか此所が凶悪な殺人鬼の住まい等、普通は誰も思わないだろう。
時雨はターゲットの所在を確信しながら、メンソールの煙草を吹かしていた。
「声が大きいですよ……。皆さんお休みになられてますので……」
「シィー!」
「…………」
琉月も悠莉も、幸人も見下ろしながら確信に至る。
それより四人は何時の間に此所に来たのか?
仲介室内からその姿を消してから、殆ど時間経過はしていなかった。
彼等が消えて、此所に居る訳――
“分子配列相移転”
現在の科学力では実現不可能とされる、狂座の象徴、専用液晶型生体機具“サーモ”が持つ、多岐制機能の一つ。
幸人を始め、狂座の者が突然姿を消すのが、この分子配列相移転という機能による現象だ。
この機能の極意は、分子ごと空間を自在に移動させる事に有る。
即ち己を含む範囲内の分子を一旦分解し、目的の場所へと再構築させる。
これにより距離を一瞬で移動し、まるで突然消えたり現れたりと云った、所謂転移という現象だ。
この機能は密室に於ける暗殺や、侵入が困難な場所へも楽に移動出来るので、裏の活動に於いて重宝かつ最適な機能と云えよう。
だが当然、この機能にも制約は有る。
移動範囲内はせいぜい区間内程度で、県別移動や大陸間移動は出来ない。
そして何より、全ての分子を一度分解するので、その異様な感覚は馴染めぬ者も多く、多用により精神に異常をきたすという報告事例も有る。
※御利用は自己責任と計画的に。
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「じゃあ行ってくるね~」
悠莉はまるで遊びにでも赴くかの様に、無邪気な声を残して二階から飛び降りていた。
着地音さえ聞こえない程の身体操作能力。
とてとてと玄関まで忍び足で歩み寄って行き、その姿は溶け込む様に内部へと消えていった。これは先程の、分子配列相移転の力だろう。
「さて……お手並み拝見といきますかね」
時雨は悠莉の姿が消えたのを目に取ると、吸いかけの煙草を揉み消しながら呟いた。
消去御披露目開始である。
「それにしても……最初見た時はビックリしたわオレも。お前が動揺するのも無理はねえ……」
見下ろす三人を前に、やはりというか、指定席である幸人の左肩で呟くのはジュウベエ。
「あそこまで一緒だとはな……オレも懐かしさからつい――」
それは先程の仲介室内での、悠莉とのやり取りを言っているのだろう。
“二人は悠莉の事を知っている?”
「だがあの子はやっぱり違う……。間違うなよ?」
「ああ……分かってる」
否、誰かと重ね合わせていた。
それ程までに二人にとって、悠莉という少女は誰かに似ていたのか――
「では御二人方……始まりますよ。透視の方を」
二人を遮る様に琉月が見届けを促す。
「ほいほい」
瞬間――眼前にある建物の内部構造が剥ぎ出しとなっていた。
“立体透視鏡還”
サーモに備えられた、多岐制機能の一つ。
これにより対象となる建物の内部構造を、視覚を通して外部から直接伺う事が出来る。
俗に云うマジックミラー感覚として視る事となり、実際に建物内部が剥ぎ出しになる訳ではない。
プライベートを垣間見る趣味の悪い機能だが、諜報活動や裏の情報収集をする狂座に於いて欠かせない機能の一つ。
※目的以外での使用は控えましょう。
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――室内灯が消えた居間内。全貌は闇に溶け込み、皆目伺えない。
「…………」
ただ液晶の燈だけが朧気に室内を照らし出し、対面に息づく者が僅かに確認出来た。
「ふふ……」
液晶に写し出された映像を肴に、晩酌に勤しむ者が一人。
映像は無音ながら、そこには“あってはならないモノ”が写し出されている。
解体映像――その見事な手順は芸術の域に在り、医者や屠殺業者でもこうまでスムーズにはいかないだろう。
映像内の五体が、速やかに“パーツ”として分離されていく。
人の形が黒い廃棄袋に収容されるまで、五分にも満たない所要時間は人間業ではない。
“スナッフビデオ”
殺人映像。殺人の様子を撮影したビデオ。
これらはよく再現した“偽物”である事が殆どだ。
だが今此所に写し出されたこの映像は、紛れもない“本物”である事が確信出来た。
夥しい出血描写に、生前の恐怖に見開いた犠牲者の瞳。そして分離した断面から覗かせる繊維は、作り物にしては生々し過ぎる。
そして何より、撮影者兼実行者と思わしき映像内の人物が、写し鏡のように閲覧するその者と同一だったからだ。
「さて……」
熱の無い爬虫類の如き瞳をした、冷徹な表情の全身黒き男は日本酒を好むのだろう。右手に持つ徳利をテーブルの上に置き、代わりに折り畳み式ナイフ、通称バタフライエッジに持ち代え、その刀身を剥ぎ出しにしていた。
銀色に妖しく輝く刃を目に思うは――
“美作 亮二”
裏通称 ブラック・リッパー。
私立請負として個人で殺人を請け負い、裏に於いてもその鮮やかな“解体技術”で名を馳せる、裏世界の実力者である。
彼はいつしか、殺人に芸術と悦楽を見出だし、己の仕事を映像に収めるまでに至った。
その昂りは仕事以外にまで手が及び、儀式と称しては無差別殺人を繰り返す事となる。
特に若い女性を率先して好み、この映像はそれらのなれはて。彼にとって何よりの肴である。
「――さっきから気配を消して隠れているみたいだが……何か用かな?」
刃から目を離さぬまま、美作は誰に問い掛ける訳でもなく――闇に呟いていた。
その問い掛けに“普通”なら返答等、有る筈もない。
時間帯は深夜。施錠した家屋に、部外者が何の用があろうか。
「……あぁ~バレてるぅ! ちゃんと気配消した筈なのに何でぇ?」
この場の雰囲気には場違いな程の口調と共に、闇から具現化するかの如く――
「折角驚かせようと思ったのに~」
闇でも驚く程映える少女。コードネーム『悠莉』が姿を現していた。
気配を消して隙を突くつもりだったのか、悠莉はとても不満そうに。だがその表情には、僅かな怯懦すら感じられない。
ただ見破られた事が不満そう。あるのはそれのみ。
「……いくら気配を消しても、人の持つ“肉”の匂いまでは消せはしない。あてが外れたな……」
美作はソファーに腰掛けたまま、悠莉の姿を見向きもする事なく、手に持つ刃のみを見詰めている。
「へぇ~、流石だねおじさん。勉強になっちゃった」
悠莉もそうだが、それにしても美作だ。
気配を消す技術や、深夜に侵入して来た明らかに普通では有り得ない人物、しかも場違いな風貌の少女に対し、彼は僅かな動揺すらも見せない。
「何の用……と言うのは愚問か。何処の組織かは知らんが、余程人材不足と見える。俺も舐められたものだな……」
これが裏で培った勘、即ち洞察力なのか。
その口振りから美作は、この少女が“裏”の住人である事に最初から気付いていた。
それでありながら、どこか侮っている。
彼はやはり悠莉を見ていない。否、眼中に無いと云った方が正しいか。
「おじさん酷いよ~。一応ボク、こう見えてもS級なんだけどな~」
足下を見られた事で悠莉は不満気味。頬を膨らませながら、うっかり口を滑らせていた。
「ホォゥ?」
“S級”
その単語に美作は反応。ようやく瞳を悠莉へと向けた。
「狂座……か。嘘か真か、あの三十三間堂が俺の消去にやって来るとはな……。個人、いや国からの依頼か? くくっ……これは面白い」
S級というだけで、知る者は知る存在。
“狂座”
“三十三間堂”
己の置かれた状況、そして真意を全て把握した美作は、愉快そうに薄ら笑いを浮かべながら立ち上がっていた。
背は高い。ゆうに百八十はあるだろう。悠莉との対比がまた、場の雰囲気にそぐわない。
黒一色の風貌が闇に溶け込むそれは、“仕事”しやすさの顕れか。
手に持つ銀色の刃のみが、血を求め燦々と輝いていた。
「……だが狂座も人材不足と見える。いや、噂だけが誇大されているだけか……」
美作のそれは悠莉を、そして狂座までも侮っている。
だが何処から見ても彼に隙は無い。御互いの距離が手に出せる位置にはないとはいえ、僅かにでも動けば即、捉えられそうな程の威圧が感じられた。
それは逃げる事も動く事も不可能と思えそうな――
「丁度昂っていた処だ……。やはり“肉”は若い女に限る」
熱の無い瞳は変わらずとも、口角を吊り上げながら美作は、刃を舌舐めずりしながらその異常な殺意を悠莉へと向けた。
「わぁ~怖~い。じゃあ消去開始だね! でもその前に――」
その殺意を前にして尚、悠莉の無邪気さは変わらず、目を離して腕の液晶画面を見出す始末。
「レベルきゅうじゅうきゅう――って凄いよおじさん! 異能無しで臨界値に近いなんてビックリだよ~」
悠莉は突如驚愕、だがやはり無邪気な声を上げた。
液晶を見ていたのは、美作のレベルを測定していたのだ。
“レベル99”
その数値から美作は、狂座A級エリミネーターのトップクラスに通ずる事を意味していた。
「狂座に入ってたら、きっとS級になってたと思うよ? 惜しいなぁ~。でもでも、もう遅いよね、だって――」
“もう死んじゃうんだから”
悠莉から何気無く発せられていた、思わず背筋に悪寒が走るような一言。
それは美作に向けた無邪気だが、はっきりとした殺意の宣告。
「…………」
だが美作に反応は無い。熱の無い瞳からその心境は伺えない。
「あはは~って事で罪状! うわぁ……おじさんホント酷いね? 無関係な人いっぱい殺してる……酷っ!」
悠莉は“御約束”の罪状を述べる、と言う程ではないが、美作の行状を罵った瞬間――
「もう死刑だよ死刑っ――て……えっ!?」
彼女は己の異変に気付いた。
「無駄なお喋りは危険だと……教わらなかったのかい?」
何時の間にかその左胸には、銀色の刃が突き立てられていた事に――。