テラーノベル
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休日の朝は普段の朝よりゆっくりと起きる。時計の針が朝の八時を指しているのをぼんやりと眺めながら、七香は寝返りを打った。
今日は久しぶりに大学の友人たちと会うことになっているので、そろそろ準備をしないと間に合わない。なのに一週間の疲れが溜まり、ベッドから出る気になれなかった。
その時玄関のインターホンが鳴り、七香は大きなため息をつくと、ようやくベッドから立ち上がってインターホンまで歩いて行く。
「はい……」
『今日出かけるんだろ。そろそろ起きないとまずいんじゃない?』
画面は真っ白で何も見えないが、声の主は明らかに昴だった。
そういえば昨日の夜に、出かけることを伝えていたっけーーそして昴も今日、早紀と会う約束をしているのだと思い出した。無表情ながら、言葉の端々から喜んでいる様子が窺え、そんな彼を可愛いと思いながら眺めていたのだ。
思わずクスッと笑いながらドアを開けると、
「早紀さんに会えるからって、早起きしちゃったの?」
と声を掛ける。
昴は手にコンビニの袋を下げ、ドカドカと部屋に入って来た。
「だってニヶ月ぶりだし。はい、これ朝食」
「えっ、朝食?」
「疲れて起きられなかったんじゃないかと思って。レンチンするだけだから、一緒に食べよう」
渡された袋の中を覗き込めば、昴が言っていた通り、レンジでチンするだけの焼き魚と白米、パックの煮物、レトルトの味噌汁が入っている。先ほどインターホンの画面に映っていたのは、このビニール袋に違いない。自分のだけ買ってくれば楽なのに、わざわざ七香の分も購入して来てくれることが嬉しくて、ついニマニマと笑ってしまう。
「うふふ。昴くん、案外優しいよねぇ」
「別に」
そんなふうに言いながら、彼は慣れた手つきで電気ケトルに水を入れてスイッチを入れた。
四月に彼が帰国してから二ヶ月が過ぎ、どちらかに飲み会が入らず、残業にもならない限りは一緒に食事を摂るようになっていた。
そのため近頃の昴は、七香の部屋の中の物の位置をしっかり把握し、まるで自分の部屋のように過ごしていたのだ。
「だから合鍵くれれば、こっそり中に入って準備出来るのに」
「部屋に勝手に入られるなんて嫌だもん」
七香が眉間に皺を寄せると、昴は自分のポケットから何かを取り出し、七香の前に差し出す。よく見るとそれは部屋の鍵で、昴はそれをドアに取り付けられたキーフックに引っ掛けた。
「俺の部屋の合鍵、ここに置いておくから」
「えっ、なんで⁈」
「……俺が生きてるかを確認してもらうため」
「それなら、食事の時間で十分確認出来ると思うけど」
「じゃあ食事に来なかったら?」
「それは……まぁ確かに必要かもね」
「そういうこと」
言いくるめられた感は否めなかったが、確かにあれば便利な気もしてくる。そんなふうに七香が納得した表情を浮かべると、昴が口元に微かな笑みを浮かべた。その顔が可愛いくて、七香の胸はほっこりと温かくなる。
昴が味噌汁を、七香が電子レンジでの温めを担当し、あっという間に出来上がった朝食をいつものようにテレビの前のローテーブルに運んでいく。
「いただきまーす」
「いただきます」
「昴くんのおかげで、起きてから十分で食事にありつけちゃった。ありがとね」
「……まぁたまにはな」
すると昴はキョトンとした顔で七香を見てから、頭を掻きながら下を向く。その照れたような表情にキュンとした七香は、衝動的にスマホのカメラを起動して写真を撮った。
「あっ、また撮ったな」
「だって可愛かったんだもん」
「じゃあその代わり、あとで服選び手伝ってよ。なんか今日はちょっといい店に連れて行ってくれるらしいから」
「いい店……それはさすがにTシャツじゃ行けないよねぇ」
昴はアメリカでの研修を終えて日本に帰国すると、卒業した大学の法医学研究室に入った。ちょうど空きが出たタイミングだったのと、お世話になった教授が呼び戻してくれたらしい。
生きている人間の治療をする道よりも、事件性のある御遺体の解剖を行う道を選んだ理由は、『生きている人との関わりが面倒だから』らしいが、それ以上は話したがらないので、知る由もなかった。
「昴くん、本当に早紀さんが好きだよね。でもそんな昴くんが私は好きなんだけど。あっ、もちろん友だちとしてね」
これは自分自身の本音なのか、それとも自分自身にいいか書かせているだけなのかーーわからなくて困惑する。
「はいはい、何度も聞かされてるからわかってるって」
すると味噌汁を啜っていた昴の動きが止まり、神妙な顔をしてこちらを見つめてきたので、七香は不思議そうに首を傾げた。
「どうかした?」
「この間解剖したご遺体がさ、すごく七香に似てたんだ。家で殺害されていたのを、出勤してこないからって心配した同僚が見つけたんだって」
「あぁ、ニュースで見た気がする」
「今はこうして朝晩を一緒に過ごしてるから安否もわかるけど、もし一人の時に七香に何かあったらとさ、ちょっと不安になったんだ」
そんな心配をしてくれるだなんて、彼にとっての特別になれたような勘違いをしてしまいそうになる。でも隣に住んでいるのだから、心配するのは当然だろう。
「でも……それは昴くんもでしょ?」
「俺?」
「そうだよ。昴くんが一人の時に何かあったら、私だって不安だもん。それはお互い様だよ」
昴は何かを考えるように一度口を閉ざす。
「……俺さ、思ったんだ」
「ん? 何を?」
「もし俺も七香もずっと独り身だったら、俺と結婚しない?」
"結婚"という二文字を聞いて、七香は固まった。嬉しいのか、動揺しているのかが自分でもわからず戸惑った。
「なんでそんな考えになったの?」
「いや、安心かなと思って。七香となら暮らしていける気がする」
「……昴くん、前にも言ったけど、寝言は寝て言おうね。別に結婚しなくたって、隣人で十分な案件じゃない?」
昴は視線を揺らしながら一瞬口ごもり、それから頭を掻いて俯いた。それを見て胸がツキンと痛む。
「……だよな」
「ま、まぁでも、もし本当に相手が見つからなかったら、考えてみるけどね。こんなふうに一緒にご飯を食べられる人がいるって、結構貴重だもの」
七香が言うと、昴がクスッと笑った。
「なんなら、子どもも作っちゃう?」
「それは絶対に無理。ちゃんと愛がある関係じゃ無いと、子どもが可哀想だからダメ。そもそもがおかしいし」
「それもそうだな」
結婚って、そんな簡単じゃないんだよーー愛のない二人が結婚したって、長く続くわけがない。愛があって結婚したって、いつ燃え尽きるかわからないのだからーー。
彼の心は早紀の元にある。自分を愛することのない人をそばで友だちとして見守ると決めた時から、苦しいことが待っている現実は覚悟していた。
「わかればよろしい。さっ、今日は忙しいでしょ? 早く身支度しないとね」
私はまるで依存症患者みたいーー昴の笑顔は七香の心の栄養源、見るだけで幸せな気分になれた。そしてそんな自分に満足していた。
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白山小梅
12
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