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白山小梅
12
#借金
あれから布団に潜り込んだ七香は、ひたすら泣き続けた。そして朝起きると、目が驚くほどに腫れていて、普段の半分ほどしか開かなくなっていた。
今日の朝食はホールではなく調理場を手伝うように言われ、マスクと前髪で顔を隠しながら皿洗いや片付けを必死に頑張った。朝食の時間が終わって、外にゴミを捨てに出たところで、まるで待ち構えていたかのように昴が立っていた。
気まずくて無視しようとしたが、ペンションに戻りかけたところで腕を掴まれる。
「離してくださ……!」
「ありがとう」
「えっ……」
すると昴は七香はの手を取ると、手に何か握らせた。不思議そうに手のひらを見ると、輪切りのレモンに生クリームとミントの葉がついたデザインのネックレスが透明な袋に入っていた。
「これって?」
「俺の七香のイメージ」
「酸っぱいってこと?」
「わかんない。なんかそう思っただけ。痛いとこついてるってことかもな。なんとなく七香っぽいって思ったんだよ。昨日のネックレスはまだ少し大人っぽい気がしたから、しばらくそっちをつけてなよ」
「それって……私が子供っぽいってこと?」
昨日のネックレスだって似合うはずーーでも彼の目にはそう映らなかった。そう思うと涙がこぼれ落ちた。
「ねぇ……私にもあの人にするみたいなキスしてよ。そうしたらすぐにでも大人になれるはずだから……」
私はあの人にはなれないーーそれでも彼の記憶の片隅に、少しでも大人びた姿で残りたいと思った。しかし昴は首を横に振った。
「無理だよ、俺は早織さんが好きだから」
わかっていたのに、傷が深く|抉《えぐ》られていく。
「どうしてあの人なの? あの人より昴くんを好きになる人はたくさんいるはずなのに……どうしてあの人しか見えていないの……?」
「ごめん、俺の目には早紀さんしか映らないから」
映らないーーそれなら自分から映りにいくしかない。そして七香は自分から昴にキスをした。しかしキスなんてしたことのない七香はどうしていいか分からず、唇を押し付けるだけになってしまう。
昴は微動だにせず、七香の気が済むまで待っているように感じた。なんて一方的なキスーーその時、早紀の言葉が頭に蘇る。
『こう思っていて欲しいっていうのを、ただ押し付けてるだけにしか聞こえないわよ』
これは私の一方的な想いーーキスも気持ちも押し付けてるだけであることに気付いて、七香はゆっくりと昴から離れた。
昴は無表情のまま七香の頭を撫で、
「ごめん」
と小さく呟いた。それが七香の悲しみをさらに助長する。
「もう知らない!」
七香はネックレスを昴に投げつけると、ペンションの中に戻った。
* * * *
部屋にこもっていた七香だが、チェックアウトの時間が過ぎてから、カメラを首から掛けて外へ出た。しかし靴を履いたところで、叔父の海舟に呼び止められたのだ。
「七香ちゃん、ちょっといいかな?」
「はい」
頷いてから、叔父について受付まで行く。
「何かお手伝いとかですか?」
「うん、いや、そうじゃなくて……」
海舟はオドオドした様子でカウンターの引き出しを開けると、七香の前に小さな袋を差し出した。その中には、今朝昴に投げ返したはずのレモンのネックレスが入っていた。
「これって……」
「うん、頼まれたんだ。本当はこういうのは良くないって思うんだけど、なんか彼の様子を見てたら断れなくて。いい男を見つけていい恋しろよって伝えてくれって。確かに七香っぽいね」
「私っぽい?」
「爽やかで、甘くて、まだ何色にも染まっていない感じ」
「そっか……」
よく考えてみたら、いつこんなものを買ったのだろう。二人が離れたのは、帰りのバスに乗る前にトイレに行った時くらい。その短時間で購入したのだろうかーーそう考えれば、包装していないのも頷けた。
自分のことを考えて選んでくれただなんて、少し胸がくすぐったくなる。
ネックレスをポケットにしまい、七香は靴に履き替えて外へ出た。昨夜の出来事が嘘のように、爽やかな風が吹き抜ける。
昴とお喋りをした時間を思い出し、ふとカメラを起動させてデータを開く。その途端、七香の目から再び涙がこぼれ落ちる。そこには何枚もの昴の写真が保存されていたのだ。
笑顔、真顔、照れたような顔ーーシャッターを切るたびに、七香の心は彼に奪われていたことにようやく気付く。
これはこの夏の恋の記憶。きっと一生忘れることはないだろう。
七香はポケットからネックレスを取り出す。先ほどよりもさらに愛着が湧いた気がした。しばらくはこのレモンを付けよう。買ってもらったネックレスが似合う女性になれるよう、自分を磨いて、いつか愛し愛されるような人と恋がしたい。
受け入れてもらえなかったキスの感触を思い出すとまた泣きそうになるけど、あの二人みたいな恋はしたくない。
そして初めての苦い恋を知った七香の夏休みは終わり、一夏のアルバイトも幕を閉じたのだった。
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