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語られる時間は遡る。ユカリたちが襲撃した時よりも少し前のロガット市の砦、ガレイン半島における救済機構の拠点の、ある個室でノンネットと秘密の会話をしていたところへやってきた使い魔除く者に、手紙が回収されてしまった直後のことだ。
湿り気と滑り気を帯びた泥人形のような姿の除く者は、知ってか知らずかグリュエーの魂の欠片が憑依した手紙を何処かへ持ち去ろうと通路を進む。
除く者? 何で同じ名前の使い魔がいるの? グリュエーは逃げる隙を伺いつつも、突如突きつけられた疑問の答えを求めて、散らかった櫃を漁るように思考を巡らせる。
除く者と名乗り、ユカリたちと行動を共にしているユカリ派を率いる使い魔は魔法少女狩猟団の団長シャナリスを裏切り、その体を乗っ取ったのだと言っていた。
更にグリュエーは思い出す。団長シャナリスもまた使い魔の名を借りているだけなのだ、という話を。本物の使い魔シャナリスとシャナリスを名乗る団長。本物の使い魔除く者とガラシムを名乗る使い魔。シャナリスと除く者を名乗る者が二人ずついることになる、少なくとも後者、同じ名前の使い魔が二人いることは考えにくいが、その意味をグリュエーが推し測るには情報が足りなかった。
ともかく今はこの泥の塊の使い魔除く者から逃げることを考えなくてはならない。
増改築によって継ぎ接ぎだらけの壁は所々に隙間があるのか、絹の如くか細い月光が差し込んでおり、眩惑的な隧道迷路に彷徨い込まれたかのような錯覚を引き起こす。暫く進むと砦の狭い通路の行く先から言い争う声が聞こえてきた。
「道を尋ねただけじゃないですか。何故、そう意固地になるんです?」
聞き覚えのあるその声は年若くして焚書機関第二局首席に上り詰めた、サイスのものだった。山羊の鉄仮面に変わりはないが、記憶の中より少し背が高いようにグリュエーは感じた。
もう一方は若い女のようだが僧服ではないあたり使い魔らしい。淀んだ青い瞳に気の強そうな鉤鼻、褐色の髪は短く纏めている。
「気に喰わないからだよ、坊ちゃん」と言うが使い魔の声色には微塵も苛立ちを感じない。「命令口調で、まるで主人のようなその振る舞いがさ」
「使い魔の魔導書は救済機構の所有物で、命令には絶対だと聞いたんですけどね」
どうやらサイスはこの魔導書の概要しか聞いていないようだ。
「道なら僕が教えてあげよう」と除く者が間に入る。「どこへ行きたいんだい?」
「口を挟まないでくれ。除く者」と使い魔の女は楽しげに拒む。「子供の内からこういう勘違いしているようでは将来が危ういというものさ」
「僕の将来は僕が決めることだ。お前こそ出過ぎた真似は慎め」
サイスの方は少しばかり感情が昂り始めたが、除く者は冷静に落ち着いた声色で話す。
「サイス首席焚書官はまだ使い魔のことを詳しく説明されていないんだよ、革める者。言い争っても何も解決しないよ」
「もちろん、言葉は争いをするためのものじゃない。それはつまり、よく知らない相手に命令口調で横柄に振舞うためのものではないということだ」
「では今は大事なことだけ伝えておこう、サイス首席焚書官」と除く者は鷹揚に説明する。「我々使い魔には人格があるんだ。御僧の振舞い次第で気分を害することもあるということを知っておいて欲しい」
「そして自由もある」革める者はそう言って、更に付け加える「人間ほどではないにしてもね。それと除く者、別に気分を害してはいない」
サイスは思うところがあったのか、食って掛かるような顔つきを抑え、一歩引きさがり、小さく溜息をついて頭を下げる。
「申し訳ありません。初対面の相手への態度ではありませんでした。非礼を詫びます」
「こちらも言葉が足りなかった。済まなかった」と革める者は返す。
「それで、どこに行きたいんだい?」と除く者はさっさと話を戻す。
「護女ノンネットのところです」とサイスは愛想の良い笑みを口元に浮かべて言う。「彼女の任務に同行する予定でしてね。先に挨拶を済ませておこうかと」
「やはり物を知らない子供だね。今何時だと思ってるんだか」と革める者が言った。
確かにすっかり日は暮れて、夜とその眷属が砦に降り立ち、息づいている。昼の気配はもうどこにもない。
サイスが反撃する前に除く者が言葉を返す。「ノンネットさんの部屋は此の先だけど、もう休むところだったよ。明日に改めた方が良いんじゃないかな」
もう休んでいるかはともかく、ノンネットが手紙を追ってくる様子はない。この使い魔から取り戻すことは敵わないということだろうか、とグリュエーは不安になる。
「君こそこんな時間に護女ノンネットの部屋で何をしていたんですか?」とサイスが尋ねる。
「掃除です。モディーハンナ氏に頼まれまして。何かが見つかるはずだ、と」
「掃除? その手紙ですか? モディーハンナさんの所に持って行くのなら僕が代わりましょう。部屋を教えてくれたお礼です」
「おい。人の仕事を――」と革める者が言いかけるが除く者が制する。
「構わないよ。これは【命令】ではないから」
そう言って除く者は手紙をサイスに託した。
今度はサイスによってモディーハンナの所へ持っていかれる。使い魔除く者のような力はないかもしれないが、これはこれで逃げるには厄介な相手だ。
除く者と革める者の姿が見えなくなってから、「随分乗り気だね。モディーハンナとは仲が良いの?」とグリュエーは話しかける。
サイスはぴたりと立ち止まり、しかし狼狽えることなく手紙を目の前まで持ち上げ、不思議な生き物でも捕まえたかのようにしげしげと見つめる。
「驚いたな。その声は護女エーミですか。手紙に声を封じる魔法でしょうか。それで、どうして貴女が?」
「色々あってさ。それに、話すだけの魔法じゃないよ」
サイスは、無慈悲な神々が卑小な人間にそうするように手紙を弄び、様々な角度から眺める。
「間諜というわけか。それで、どうしてわざわざ正体を現したんですか? いえ、大体分かります。取引か何かですか?」
「うん。出世意欲の強いサイス君なら乗ってくれるかなって」
僧侶の世俗的な欲求など普通は知られていいはずはないが、子供故か、才能故か、サイスに関しては公然の事実だった。
「まあ、否定はしません。とはいえ、聖女の覚えめでたい総長、異例の出世を果たしたモディーハンナ女史に取り入るのも悪くないと思ってるんです。よほどの内容でなければ聞く耳持てませんよ」
「うん。救済機構の重大な秘密だから上手く使えば焚書機関に留まらない出世を果たせるはず」
「へえ、そうなんですか。興味深いですね。この手紙の内容以上に、ということですか」
「え!?」と発してしまったがすぐに取り繕う。「うん。それはもう、大変な――」
「噂の不良護女さん。機構から長らく逃げ果せるほどですから、それなりに智慧が回ると思っていたのですが。間抜けですね」サイスは改めて手紙に目を通す。「なるほど。護女の犠牲、ですか。これは確かに不祥事ですね。これを知ったことをモディーハンナに知られるのはまずいか。いや、多少は危険を冒さなければ懐に飛び込めないか。どうしようかな。まあ、貴女を引き渡せば、そう警戒されることもないかな。それにいずれ除く者を通じて伝わるだろうし」
グリュエーは今更になって弱った蝶のように非力ながら暴れ出す。一瞬、抜け出せたがすぐに捕まり、サイスの指から離れられなくなる。
風に憑依すれば魂は逃がせるが、まだノンネットを説得しきれていない。モディーハンナに手紙が渡ってノンネットが怪しまれるのも避けたい。
そこに不自然で不気味な青白い光が差し込み、廊下から月の光が気配を消す。
「おや、サイス君。こんばんは。こんな時間に何を?」と言ったのはモディーハンナだ。
鬼火の明かりを目にした瞬間にはもう手紙は死骸のように大人しくしていた。
「ああ、モディーハンナさん。こんばんは。ノンネットさんに挨拶をしようと思ったのですが、こんな夜更けなので明日にしようかと。賢明な忠告もいただきましたし。それよりモディーハンナさん。今護女エーミの捕獲が最優先事項なのだと噂に聞きましたが、やはり聖女の第一候補だからですか?」
グリュエーはサイスの薄笑いが自分に向けられているように感じた。
「最優先事項は、ええ、まあ、ですが聖女の第一候補なんかでは無いと思いますよ。一総長如きに聖女や聖女会の思惑の本当の所は知りえませんが、そもそも救済機構に反抗的な人物が聖女になれるわけがないでしょう。むしろ護女ノンネットこそが第一候補なのではないかと私は睨んでいます」
やはりそうだ。グリュエーはノンネットが飛び上がって喜ぶ姿を想像した。それに、ならばノンネットの立場が悪くなる可能性は低いはずだ。風に乗って逃げるのはまだだ。
「へえ、護女ノンネットが」そう言ってサイスは手紙に目を落とす。ただの手紙にしか見えない。「そうそうこれ。使い魔の除く者さんから預かりました」
「ああ、やはり、そうではないかと。ありがとうございます」そう言って手紙を受け取り、再び自室へと戻っていくモディーハンナの背中をグリュエーは見送る。