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すっかり日が暮れてしまった。アイモールの街の隅々へ、歩哨の行き交う城壁の歩廊から誰もいないと思われている民家の床下まで冷たい夜が染みわたっていく。しかし昼間の竜巻が巻き起こした喧騒は人々の口々から絶えることなく、今なお街のあちらこちらで、遠い異国から遥々伝わった不思議な噂話のように囁き交わされていた。


悪目立ちするユビスの巨体を何とか狭い路地の奥にねじ込み、噂好きの人々の気配から逃がれ、寒さで丸くなったグリュエーを除く四人は意見を交わしていた。


「加護官に見つかった以上、宿屋には戻れない」とユカリが零す。「他の宿も同じだよね」

「街を出るしかありませんわね?」とレモニカが問いかける。

「城門は僧兵が固めているでしょう」とソラマリアが答える。「よしんば押し通れたとしても、夜通しの逃避行は得策ではありません」


焚書官に比べれば加護官の頭数は多くない。街の隅々まで虱潰しに捜索することは難しいだろうが、しかし要所を抑える程度には人数がいるということだ。


一方グリュエーは加護官について考えていた。宿屋を取り囲んでいたのは護女エーミグリュエーの加護官だったが、猫に貼り付けられていた使い魔磨く者マグファンのそばに倒れていた三人の加護官は違った。自身の加護官の顔さえうろ覚えなグリュエーだったが、その三人の顔はうっすら覚えていた。それはユカリと旅してきた風のグリュエーの方の記憶だ。あの三人の加護官は護女ノンネットの加護官だ。生真面目だが、どこかずれたところのあるノンネットのことがグリュエーは少しばかり苦手だったが、今は会って言葉を交わしたかった。


亡国クヴラフワで呪い除けの偶像に変えられていた元護女ネガンヌのことを思い出す。呪い除けの偶像は他にも沢山あった。シグニカに戻ってそのことを伝えられない自分がもどかしかった。


護女とは聖女候補として育成される尼僧だ。聖女にならなかった者の多くはそのまま尼僧として聖女会か別機関で勤めるか、あるいは還俗するか、のはずだった。魂を失った肉体を利用されるなど、グリュエーは考えてもみなかったことだ。グリュエーにとって救済機構で護女として教育された過去など一顧だにするつもりはなかった上に、そこで出会った護女たちと深い関係を築いたつもりもなかったが、しかし彼女たちの危機を黙殺するほど薄情にもなれなかった。この街にノンネットが来ているならば、呪い除けの偶像についても何とかして伝えたい。


「とにかくこんな路地裏に引き籠っていたら、どう動けばいいかも分からないよ」とユカリが窮屈そうに訴える。

「かといって皆で動けば目立ちすぎるし、何よりグリュエーを連れ回す訳にはいかない」とベルニージュ。「この人除けの結界の中で何人かは夜明けを待って、残りは夜明けまでに街の様子をできる限り把握する。そして脱出する策を練る。で、どうかな?」

「グリュエーとユビスはもちろん残ってもらうでしょ」ユカリが一つ一つ確認する。「ベルは結界を維持しないといけないから残る。となると私、レモニカ、ソラマリアさんだね」




「まさか街中で野宿することになるなんてね」グリュエーは毛布を引っ被り、ユビスの体毛に包まって呟く。「まあ、でもひと眠りできるだけ良いか。ユカリたちはこれからずっと街を脱出するまで起きてなきゃいけないもんね」


「眠くないの?」とベルニージュが長い睫毛をゆっくりと瞬かせながら問いかける。

「そんなに、かな。でも寝るよ。少しでも元気になっておかないとね。いざ脱出って時に眠気で失敗しないように。でも良かったのかな。偵察ならグリュエーが一番得意なのに」

「偵察ならグリュエーが一番得意ってことはワタシも知ってるし、加護官たちも知ってると思うよ」ベルニージュは目を瞑ったまま答えた。


「ユカリたちが特別見つかりにくいって訳じゃないと思うけど」

「そうだね。他の誰かにできるなら任せればいいよ。人助けも、偵察も、魔導書集めも……」

「そっか。そうだよね。でも……」


ノンネットが本当にこの街を訪れているのか、探ってみたい気持ちがあった。

その時、静けさに満ちたアイモールの夜に星の囁くような美しい歌声が聞こえて来た。ずっと遠くで歌われているはずで、裏路地の奥まで聞こえるそれは確かに微かな調べなのだが、はっきりと美しさが聞き取れる。誰も知らない森の奥のせせらぎのように慎ましく、言葉の通じない異国から海原を渡ってくる風のように力強い。


「綺麗な歌声だね。でもこんな真夜中に誰だろう」とグリュエーは一人呟いた。


ベルニージュはもっと隠微な雪片の降り積もるような寝息で答えた。


子守歌というには情熱的な訴えかけるような調べだが寝入りの供にはなるだろうと受け入れる。しかしその歌声には妙な力があった。

まるで魂を……。その先がグリュエーには中々思いつかなかった。掴む? 捕らえる? 引き寄せる?

何とかして身の内に揺蕩う穏やかな夢に身を浸そうとするが、その歌は毛布の内に忍び込む朝の冷気のように覚醒を促す。そして、ようやくグリュエーは言葉を見つける。その歌の力は、まるで魂を引き裂くように、あるいは分割させられるように感じられた。まるでグリュエー自身がその妖術で己の魂を扱う時のように。


観念するような思いでユビスの体とその温もりから離れ、毛布から這い出る。そしてベルニージュを起こすべきか迷う。ベルニージュを起こすことが正しいのだろうが、グリュエーは間違いを選んだ。一人で出歩きたかったので。


ほんの僅かな残照もないが、何かを語るように揺らめく灯りの掲げられた大通りは明るく照り映え、光と影の明暗に塗り分けられた人々が行き交っている。都がどこでもそうであるように、城塞都市アイモールにも夜の顔があるのだ。


喧騒というほどではないが酔っ払いのがなり声や客引きの呼びかけが波打っている。その波間に聞こえる泡の弾けるような歌声の航跡をたどる。


行き着いたのは街の中心である丘の間から外れた、広場ではないがそれなりの広さの交差点だった。そこで旅の一座が楽を披露していたのだった。いつかどこかでグリュエーとユカリが出会った旅の一座と違い、芝居をするには頭数が少なく、その楽の音の素朴ながら深みのある響きを奏でられることすらグリュエーには不思議に感じられた。弦は優美に響き、鼓は陽気に刻んでいるが、やはりもっとも存在感を示しているのは歌声だ。


時折下卑た野次や意味不明な喚き声、お道化た揶揄いが聞こえてくるが、次の瞬間にはそのような野暮な音など存在しなかったかのように歌声が場を塗り替えてしまう。不思議な、驚嘆すべき、力のある歌声だ。


耳を捉えて離さないのがその歌声ならば、目を捉えて離さないのは歌姫の衣装だ。

異国風だがどこの国とも知れない綺羅ドレスを着こなしている。繊細かつ壮大な星々の輝きの如き刺繍が施され、華やかかつ軽やかな花園の如きスカートが揺らいでいる。星々が地上に降り立つ時に着るような誰よりも目立つ豪奢な衣服にもかかわらず、誰よりもその場に相応しい気品を醸し出していた。


誘われるようにしてグリュエーが交差点の端へとやってくると、同じく遠巻きに耳を傾ける歳の近い少年がいた。このような時刻には相応しくない純粋さをその胸の内に秘めた若者だ。恍惚とした表情で歌姫に魅入っている。


「ねえ、君、ちょっと聞いてもいい?」とグリュエーは尋ねる。

「後にしてくれよ」少年はグリュエーの方を一瞥してから煩わしそうにそう答えた。「今はただ、この時間に身を浸したいんだ」

「じゃあ、歌が終わってからでいいよ」

少年は食い入るように歌姫を見つめ続けていた。




驚異に満ちた逸話の残る異国の品々の如き挽歌や譚詩が歌い終えられ、昼間の竜巻にも負けない嵐の如き拍手が鳴り響く。最早酒に酔う者はいなくなり、その場にいた誰もが歌の余韻に酔わされていた。


次の曲に入る前にしばらく休憩するようだ。歌姫は喉を潤し、演奏家たちは楽器を調整する。しかし誰もその場を離れる様子はなく。再び歌の神秘に彷徨い込む時を待っている。気が付けば交差点は人で埋め尽くされ、周囲の建物の二階、三階の窓からも人が覗き込んでいる。グリュエーは身をすくめて視線で辺りをさらう。救済機構の僧侶、加護官らしき者はいない。


「あの人たち、旅芸人? いつからこの街にいるの?」


少年はグリュエーに問われて驚いた表情になったが、すぐに先ほどの会話を思い出したようだった。


「さあ。つい最近なのは確かだけど。いつからかは知らないよ。君もよそ者みたいだね」そう言って少年はグリュエーの格好をじろじろと眺める。

「それでこの人気なんだ? すごい。まあ、美人だもんね」グリュエーは揶揄うような笑みを浮かべる。「君も随分夢中だった。競争相手は多いと思うよ?」


歌姫に熱視線を向けているのは少年ばかりではない。


「別にそんなんじゃない!」少年の顔は言葉よりも多くを語っている。「僕だけじゃない。みんな彼女の歌を聴いているんだ!」

「恋敵がいないのなら好機ってことだよ」


薄暗い通りにあっても少年の顔が火照っているのは伝わった。


「む、無理だよ。話しかけることすらできなかった」

「近づくことはできたの?」

「投げ銭する時に」

「なるほどね。グリュエーが代わりに声をかけてあげようか?」

「絶対にやめてくれ! ……あ」


再び歌姫の歌が響き渡る。やはり魔性の如き歌声だ。グリュエーは知る由もないが、虜になっているのは人間ばかりではない。屋根に積もった雪を落とす魔性や朝に霜を植える妖精が軒下や床下でその音色に耳を傾け、人の近寄ることのない夢の楽土に思いを馳せている。

再び皆が夢から戻って来た時、今宵の独唱会の終わりも告げられた。惜しみない称賛と投げ銭が飛び交う。


「声をかけるのも無理なら花でも贈ればいいよ」とグリュエーは少年の背中を押すべく言った。「何もしないよりよっぽどいいから」

「花。花かあ」


グリュエーは歌姫に近づく者たちに気づき、人混みに身を隠すように縮こまって言う。「その気持ちが残ってたなら、応援するよ」

「そう簡単に消えたりしない」と少年は胸を張って宣言する。


歌姫に近づいていったのはユカリとレモニカ、ソラマリアだった。グリュエーと同じくその魔性の力に気づいてやってきたのだ。

本来なら手伝うのが正しいのだろうが、グリュエーは間違いを選んだ。一人で出歩いていることを咎められたくなかったので。


そのままこっそりとベルニージュの結界を施された裏路地に戻り、道の端で丸まっているベルニージュの隣で毛布に包まり、何事もなかったかのように寝たふりでユカリたちを待っていたが、最初にやって来たのは睡魔だった。




まさか街中で野宿しているはずなどない。そう思わせることに成功したのだろう。加護官たちに徹底的に思う存分にアイモールの街を捜索させ、ユカリたちは完全に逃げ果せた。ベルニージュの結界、焼べる者ブリゾロス煮炊く者ピーセギトーの食事、観る者《スムーピオ》の警戒網、何より着る者ミーハの変装が功を奏した。


救済機構の僧侶たちが腑に落ちない気持ちを抱いたままアイモールの街を去ったのを確認し、グリュエーたちは真昼間に堂々と旅立つことができた。


数日を過ごした冷たい寝床とお別れし、城門へと向かっていたその時、かの歌姫の歌声が聞こえてきた。相も変わらず美しい響きだ。

グリュエーたちは誰ともなしに道を外れ、最後にあの歌を聞こうと交差点へと向かう。


あの夜と変わらない歌が響いていた。しかし着る者ミーハの力を失った歌姫の姿はありふれた旅芸人の一座の上品とは言えない派手なばかりの格好になっている。そして客も投げ銭の入りも悪い。花を贈る者もいない。

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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