テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
グリュエーたちを迎えた谷間の村の村人たちは一様に顔を曇らせ、何か得体のしれない化け物でも見るような不躾な視線を向けてくる。とはいえ、グリュエーたちの経験上、珍しいことでもない。女が五人、巨大な馬を引き連れて訪問してくることなど、どこの土地でも滅多にないことだからだ。
その名の通り、横たわった背骨のようなイーヴズ連山の二つの山に挟まれた谷間の奥深くにヨマドールの村はある。控えめな田園に綾なす畦道、その合間に日の光を浴びて輝く藁葺きの屋根が点在している。神話に連なる縁も名高い伝説も無いが、古くから引き継がれた素朴な村の生活は細やかな不思議と穏やかな驚異に隣接していた。
ここにやって来たのは訳があった。魔導書の気配を探す代わりに、魔導書の噂を聞き込みながら幾つかの土地を巡って得た情報、煌びやかな衣服を纏った少女が杖に跨って空を飛び去った先にこの村があったのだ。ユカリでないならば魔法少女かわる者の他には考えられない。
低い太陽が傾き、茜に染まる畑や山で働く者たちもそろそろ仕事を切り上げようという頃、グリュエーたちは村の中心地へとたどり着く。そこでも来訪者を疎む毬栗のような刺々しい視線は変わらない。誰かに魔法少女の噂について聞きたかったが、それも憚られるような落ち着きのなさだ。
「声を掛けたら逃げちゃいそう。鼠みたいに怯えてる」グリュエーは気配を隠している時のように声を潜める。
「何かあったのでしょうか」とレモニカも釣られて囁く。「猫でなければ、やはり魔法少女がやって来ていて、何か聞かされているとか」
「そうだね。ただ異邦人を警戒しているだけ、というには違和感があるかも」ユカリの意見に皆が頷く。
山啄木鳥の高らかな鳴き声と肌を粟立てる冷たい風の音の他にはほとんど何も聞こえない静かな土地だが、それ故に少し離れた場所で言葉を交わす人々の集まりの気配さえ感じ取れ、グリュエーたちは兎のように耳をそばだてつつ、そちらへ向かう。
都市部の広場に比べればこじんまりとした集会所に溢れるほど人が集まっていた。屋根と簡素な椅子が据えられ、机代わりの平らに磨かれた大岩がある、四阿のようでもある。
どうやら日の暮れる前から酒と賭博に興じているようだ。札と顔色を睨み合い、一喜一憂している。とはいってもその喜びは控えめで、憂いも慎ましい。賭博にありがちな良くも悪くも盛り上がる熱狂というものが感じられない。
「魔法少女がもたらした悪徳か?」とソラマリアが珍しく冗談を言う。
「賭博もお酒もそれだけで悪徳とは言えないよ」とベルニージュが妙に熱の籠った反論をする。
グリュエーたちが現れても、巨大なユビスが現れても、村人たちはここまでに浴びせてきたものと同じ視線を向けるだけで、すぐに札に顔を戻す。ただし、その前に、誰もが窺うような視線を向ける人物がいた。
下っ腹の出たむくつけき大男だ。にやけた顔つきだが、生気のなさは他の村人と変わらない。でも一際人相が悪い、とグリュエーは思った。
男が飲み干した杯を乱暴に置くと、控えた女がとろりとした黄金色の蜂蜜酒を注ぐ。男は負けた者を指さして嘲笑い、特に意味もなく隣に座る者を小突く。
「話さない内からもう嫌いになってきた」とユカリが皆を代弁する。
そして集会所へ、彼らも無視できないほどに近づくと大男はじろりと睨み、にやりと笑みを浮かべる。
「来たわね。魔法少女さん」大男は椅子に座りながらも王のようにグリュエーたちを見下ろす。「魔導書の気配を感じられるという話は本当だったようね?」
「ええ、まあ……、つまりあなたが?」とユカリは話を合わせる。
「ええ、賭ける者よ。お見知りおきを。先に言っておくけれど」賭ける者が機先を制するように鋭く発する。ソラマリアが剣の柄に手をかけた瞬間のことだ。「この男は救済機構とは何の関係もない、この村の人間よ。いきなり斬り捨てたりするのは可哀想だわ」
そう言われたからといってソラマリアが剣から手を離すことはないが、最も簡単な解決方法は失われた。
「あなたも自由を得た使い魔、でいいんだよね? 望みは何?」とユカリは問いかける。
「望み? 望みか……。それを聞いてどうするつもりか知らないけれど、特にないわ。もう人生に倦んでいるのよ。そういう意味では死が望み、かしら。こっちの魔法少女が叶えてくれるの?」
魔導書の破壊手段を人類はまだ見つけていない。仮にあったところで、それが使い魔の魔法そのものを消滅させることなのかも分からない。
「それなら封印を剥がした状態にすればいいんじゃない?」とユカリが遠慮なく指摘する。「完全に意識が止まった状態になるって聞いたけど」
「確かにその通りよね」と賭ける者は今気づいたという風に笑う。「あるいは私もまだ何か……、何かの可能性を感じているのかしら」
独り言のようなその言葉に応える者はいない。
「ともかく、村の人たちをいびる必要なんてないんじゃない?」ユカリの声色は平坦だった。
「私の勝手よ。私の村なんだもの。私が博打に勝って手に入れたのよ」と博打の使い魔はせせら笑う。
「賭博に勝つ魔法なんてありなの?」ユカリは呆れて苦笑する。
「失礼ね。如何様なんてしてないわ。魔法は使ったけどね。確実に博打を成立させる種々の魔術が使えるの。如何様を排除して、取り立てを遂行する、そういう魔法よ」
「奪還なんて考えない方が良さそうだよ、ユカリ」とベルニージュが背後から助言する。「互いに同意して勝負に挑む、魔法の誓いに近い魔術なんだと思う」
「じゃあどうすればいいの?」
ユカリは一歩も引くつもりはなく、ベルニージュもそれは分かっているようだった。
「博打で勝てばいい。でしょ? 思う壺かもしれないけれど」
ベルニージュの問いに賭ける者はほくそ笑み、何度も頷く。
「そういうことよ。私の封印が欲しければ魂を賭けなさい。そこらのぼんくらよりは価値が高そうよね」
「いいよ。ワタシの魂の方が重すぎて釣り合わないけど、おまけしてあげる」
「ベルって運良いの?」とユカリが疑わしげに尋ねる。
「運なんて関係ない。ワタシが勝つ。それだけだよ」
勝負はベルニージュの勝利で終わった。札で行われた十種の遊戯の全てでベルニージュが勝ったのだった。
最後の方の賭ける者は目に涙を浮かべてベルニージュを凝視していた。しかしそれは怒りや悔しさとは違う、慈しむような懐かしむような不思議な眼差しだった。が、その場にいる誰にもその涙の意味は分からない。
「私の負け。はったりじゃあなかったのね。どうぞ封印を持って行って」
「意外に潔いのだな」とソラマリアが零す。
「そんなんじゃないわ。私の魔術は私からも容赦なく取り立てるのだから、四の五の言うだけ無駄なのよ」
「少し待ってくれ!」と一人の老人が口を挟む。
その場にいる全員が視線を向け、続く老人の発言を待つ。
「……どちら様ですか?」一向に老人が口を開かないのでレモニカが代表して尋ねる。
老人は元々卓を囲んでいた訳でもなく、ベルニージュの勝負の合間にやって来ていたのだった。
「この村の長をやっている、木陰と申す。封印、とやらを剥がすのは待ってくれないか?」
「理由は?」と尋ねたのはソラマリアだ。
「……説明できない」
「取り立ての魔術があるんだから、どのみち無理なんじゃないの?」とベルニージュが賭ける者に問う。
「待つだけならそうでもないわ」と賭ける者は答える。「あからさまに引き渡す気がない、と博打に勝った貴女が感じた時に魔法の見えざる手は処断を下すと思う」
「急ぐ旅です。長くは待てません」とベルニージュが老人に釘を刺す。
「……朝までだ。無理を承知の頼みだ。勿論村総出で歓待しよう。必ず最後には引き渡す」と村長コザンは答える。
一体どういう理由で待たせるのか、誰もが気になったが、気にしないことにした。魔導書が手に入るのはほぼ確実で、口出しする理由も詮索する理由もない。
ただ、グリュエーの好奇心だけは生霊の如き風を賭ける者の元へ遣わせた。無分別で軽率かもしれないが、咎める者もいない。
月も星もない静かな夜を梟と共に村を巡り廻り、どこにいるか分からない賭ける者を求めて家並みの間を吹き抜け、生垣を騒めかせ、一軒一軒窓を揺らしてまわる。おそらく村長の家だろう、と大きめの家を優先して飛び回ると見つかり、グリュエーは隙間風として忍び込む。
賭ける者は寝室で横たわっているが、眠っているのかはよく分からなかった。
村長を探して見つけた別の部屋では、予想に反して多くの人間が集まっている。とはいえ、老人が多いところを見るにヨマドールの村の御意見番が集まったようだと分かる。
グリュエーの魂は机を囲む皆の足元を冷やし、謎の集会を照らす蝋燭を揺らしながら聞き耳を立てた。
「何とか札を、封印とやらを剥がさずに済む方法はないものか」と老婆が呟く。
「その話は終わっただろう?」と比較的若い男が口を挟む。「俺たちが、俺たちの村が取り立てられたように、賭ける者も取り立てられるんだ」
「だけどそれなら博打に勝てば、私たちにも手に入れられるってことよね?」と老女が尋ねる。
「だからずっとみんなで勝負を挑んでいたんじゃないか」と若い男が言い返す。「でもあの子たちがやって来るまで勝ちきれなかった」
「お前さんはいい所までいっていたんだがなあ」と村長が褒めたのに若い男は溜息で返す。
グリュエーは部屋の空気が動くのを感じた。柔らかな空気が固くなったように思えた。
「何かと思えばそんな下らない話をしていたの?」突如賭ける者が部屋に入ってきて、皆が縮こまる。「そう怯えなくていいわよ。もうあなたたちは私のものじゃないんだから。……それより、あの子、ベルニージュに勝とうなんて思わない方が良いわ。ああいう勝利の女神に愛された存在は幸運なんて言葉では言い表せない奇跡を体現するのだから」
グリュエーには大袈裟な言葉に聞こえた。その場にいた他の者たちもそれは同じようで、納得しがたいという重い空気が漂う。
「……何より恐ろしいのは、そういう存在が負ける時よ」賭ける者の声には実感が籠っていた。「言うなれば、それまでの全ての幸運を、勝利を帳消しにするような不運と敗北に見舞われる。周りをも巻き込むような手酷いやつをね」
その部屋の各々が想像できうる限りの不幸を想像していた。不猟、不作、疫病。
「だが奴を、あの悪党を目覚めさせる訳にはいかんのだ」と村長コザンが恐ろしげに絞り出す。「お前の方がずっとましなのだから」
皆の視線が賭ける者に、賭ける者の憑代になっている男に集まる。グリュエーは、その負の視線の集いに空気の揺らぎさえ感じた。
「そういえば言ってなかったけれど、こいつは別に眠っているわけじゃないわよ? 魂は起きているし、私と同じものを見聞きしているわ。この体の中で、今も」
その言葉が混乱と恐慌を呼び起こした。重く猛々しい感情が渦巻き荒ぶ。
「全部聞かれていたの!?」「何故今まで黙っていたんだ!」「どうにかできないのか!」
多様な罵倒を投げかけられるが賭ける者は黙って耳を傾けるだけだった。
「その悪党さんから少し話があるみたいよ?」と賭ける者が呟くと、その表情がみるみる変わる。
変わったのは表情と、あとは姿勢くらいのものなのに、それは明らかに別人だと分かった。粗暴で凶悪。何も知らないグリュエーにさえそれが伝わった。
「よお、久しぶりに話せるな。一番むかついてるのはこんなもんを貼り付けやがったあのがきだが、お前らも散々俺をこけにしてくれていたな」
何人かが椅子から転げ落ち、何人かは身を縮めて泣き喚く。当の嫌われ者だけは下卑た高笑いをしている。ただし微動だにしない。
「おい! てめえ、俺の体を返せ!」
「駄目よ。私はあんたほどの悪党ではないの」
それも明日の朝までの話ということだ。封印は引き渡され、この男は自由を得る。
悪党は思いつく限りの罵倒を吐きかけるが、その体は立ち尽くしたまま一切動かせずにいた。村人たちにとっては何より恐ろしい存在だが、今は誰より無力だった。するとどこか滑稽に思えてくる。床に倒れていた者が悪党を睨みつけ、泣き喚いていた者がくすくすと笑いだす。
「何を笑ってやがる! お前ら、俺が自由になったらどうなるか分かってるな!?」
「ああ、分かっているよ。分かってる」と村長が静かに返す。「やはり札は、あの人たちに引き渡すしかないようだし、そうすればお前は自由になる。だが、私たちはもうお前に屈するつもりはない」
それからしばらくしてグリュエーの風は村長の家を忍び出て、冷たい秋の夜を越えて肉体の元へ戻り、身を震わせながら眠りに就いた。
そうして翌朝、無事約束通り賭ける者の札が引き渡され、グリュエーたちは村人たちに見送られてヨマドールの村を発つことになった。
「結局一夜待った意味って何だったの?」とユカリが誰ともなしに尋ねるが、答えられる者はいなかった。
グリュエーは、グリュエーたちを見送るヨマドールの村人たちを恐る恐る振り返る。その表情は皆晴れ晴れとして、憑き物が落ちたようだった。