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「——右、少しだけあご引いて。……そう、そのまま」
カメラのファインダー越しに、|八神《やがみ》|天旺《てお》が立っている。
場を制するような静かな存在感。
俳優というより、まるで
「雑誌の表紙になるために生まれた」ような男だった。
洗練されたポージングに、無駄のない動き。
わずかに流し目を向けただけで、一枚の画になる。
というより、一冊の雑誌すべてが彼で埋まっても成立するんじゃないかと思わせるほどだ。
(これ、96ページに収まるか……正直、微妙だな。どこ切っても良すぎる)
ファインダーの中の彼に、思わず息を呑む。
俺の名前は|白鳥 翼《しらとり つばさ》。
テオ専属のカメラマンとして十年目。
属性は、ごく普通のβ
同じくβの妻である・暁美ちひろと同棲してからは4年が経とうとしていた。
彼女もテオのファンだ。
ソファで写真集を並べてどっちのカットがいいか語り合うくらいには、仲もいい。
仕事も私生活も、そこそこ順調。
テオとの距離感にも慣れてきた、つもりだった。
——けど、未だにシャッターを切るときは、少しだけ緊張する。
デビューから10年。
「オメガが抱かれたいアルファNo.1」の称号を六年連続で保持し続ける男。
外見、所作、雰囲気
すべてがプロフェッショナルで、隙がない。
カメラ越しの彼は、彫刻みたいに完璧な存在感を放っていた。
光が彼の骨格をなぞり、影が表情に深みを与える。
一瞬ごとの変化が、レンズ越しに語りかけてくる。
ファインダーに映るのは、ただの美形じゃない。
自信、冷静さ、どこか憂いを帯びた感情
それら全部が一枚の画の中で共存している。
そんな彼を捉える仕事に、俺は誇りを持っていた。
「……次は、少し柔らかい表情を。窓の外でも眺める感じで」
俺の言葉に応え、テオはゆっくりと視線を動かす。
その横顔と光の加減が、また一段と絵になった。
(……完璧すぎるな。もし俺が女だったら100%、惚れてる)
胸の奥がざわついた。
それはただの被写体へのリスペクトだけじゃない。
もっと根の深い、職人としての敬意に近かった。
彼の内にある努力や矜持が、外見の魅力をさらに強くしている。
それがわかるからこそ、彼を撮るこの仕事に本気になれる。
「そのまま、口元……少し緩めて」
シャッターを切る。
その瞬間、またひとつ、新しい“八神天旺”が現れる。
俺は今日も、彼の変化を逃さない。
わずかな角度、空気の揺れ、感情のゆらぎ。
それらを記録するのが俺の仕事であり、やりがいだった。
撮影が終わり、俺はカメラを降ろす。
「ありがとうございました、テオ。どのカットも素晴らしかった。編集部も喜びますよ」
そう伝えると、彼は軽く目を閉じ、小さく息を吐いた。
その表情に、かすかな疲れが滲んでいる。
(やっぱり、完璧に見えても人間なんだよな)
そのことに、妙な安堵を覚える。
彼は機材スタッフに軽く頷いて、次の現場へと向かっていった。
俺は機材を片付けながら、PCに撮影データを転送していく。
画面に並ぶカットの数々を見ていると、撮影時の空気がよみがえってくる。
光と影、表情、ポーズ、息づかい——
あの瞬間が写真に焼き付いているのを見ると、疲れも吹き飛ぶ気がする。
レタッチでほんの少し色調や明暗を整えれば、そこに新たな命が宿る。
言葉のない“作品”が、見る者の感情を揺さぶる武器になる。
(公開は3ヶ月後か……待ち遠しいな)
心のどこかで、誇らしさと同時に、妙な焦燥感が浮かんだ。
数日後───…
いつもと変わらない、慌ただしい日々のなか
テオにカメラを向けるのも、すっかり日常の一部になっていた
そんなときだった
ズキッと、頭の奥を針で突かれたような痛みが走った。
「……ッ」
(……なんだ、これ……)
今まで経験したことのないタイプの頭痛だった。
偏頭痛の類か? それにしても妙に鋭い。
額に手を当ててみると、火でも入っているみたいに熱を持っていた。
喉の奥がつかえて、息までうまく吸えない。
(……息苦しい? まさか熱か?)
それでもなんとかカメラを構え直そうとした瞬間、テオがこちらを見て低く言った。
「翼。お前、風邪だろ。とっとと医務室行ってこい」
相変わらずぶっきらぼうで、優しさの欠片もない言い方だった。
……が、心配してくれているのは伝わってきた。
「……はい、すみません」
素直にそう答えて、カメラを置き、スタジオをあとにする。
スタジオを出て、廊下を突き当たりの医務室に向かって歩いていた、そのときだった。
足元が、ぐらりと揺れた。
反射的に壁に手をつき、その場にしゃがみこむ。
(……冗談だろ……?)
身体が異様に重い。立っているのもしんどいほどだ。
頭は割れるように痛むし、視界がチカチカしてまともに前が見えない。
ぐるぐると景色が回り始め、何かに酔ったような感覚が全身を支配する。
(……気持ち悪い。なんだこれ、マジでヤバい……)
吐き気をこらえながら、壁伝いにどうにか歩を進める。
ようやく医務室の前に辿り着き、ノックをして扉を開けた。
「……すみません」
かすれる声でそう告げると
医師が顔を出し、無言で中へ招き入れてくれた。
看護師に促されるまま椅子に腰を下ろすと
医師がこちらに向き直り、口を開く。
「白鳥さん、ですね。顔色がかなり悪いようですが、どうしました?」
深く息を吐き、現状を包み隠さず話す。
「急に頭が痛くなって……眩暈と吐き気も酷くて。昨日から少しだるかったんですけど、今日は一気にきた感じです」
医師は「なるほど」と呟きながら、手元のファイルに目を通す。
少し考えこむようにして、ふと顔を上げた。
「……たしか、白鳥さんはβでしたよね?」
唐突な確認に、少しだけ眉を上げたが、素直に頷く。
「……はい。βです」
医師は、やはり、というような顔で頷くと、静かにペンを走らせ始めた。
(“やはり”って、どういう意味だ……?)
気になるが、今はそれを深く追う気力もない。
「簡単な検査をしておきましょう。少し時間をもらいます」
穏やかだが、どこか張り詰めたような声
医師の指示で、看護師たちが淡々と準備を進めていく。
数十分後
背を向けていた医師が、ゆっくりと振り返った。
「白鳥さん。大変言いにくいのですが……落ち着いて聞いてください」
「……な、なんですか。俺、そんなにヤバい病気とか……?」
言い終える前に、医師は静かに口を開いた。
「命に関わるものではありません。ただ——
……検査の結果、白鳥さんは『後天性オメガ』のようです」