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「――他の理由は何ですか?」
「え?」
「さっき、理由の一つ、と言ったので」
「ああ……」
戸松さんは冷えた梅酒を一口、飲んだ。ゆっくりと。気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりと。
そして、テーブルの上でグラスを両手で持ち、私をじっと見た。見つめるのとは、ちょっと違う。
「あきらさんは、好きな男性はいますか?」
「え――……」
そんなことを答える義理はない。
けれど、僅かに芽生えた信頼感が、口を滑らせた。
「はい」
戸松さんの表情は変わらない。
私の答えを予想していたよう。
「その男性とは交際しているんですか?」
「いいえ」
「片思い?」
「――ではないですが……」と、私は言葉を濁した。
なんて言う?
セフレです?
違う、と思った。
戸松さんが聞きたいのは、きっとそんなことじゃない。
「彼も私を好きだと……思います。だけど、私は――」
彼の爆弾発言の影響だ。
初対面ともいえる目の前の男性に、話したくなった。
「彼は一人っ子で、早く結婚してたくさん子供が欲しいって言っていたんです。だけど、私は子供が産めない。だから、彼の気持ちを受け入れる気にはなれないんです。いつか、彼が私を選んだことを後悔する時がきたら、私こそ、私の決断を悔やむと思う。それだけは……嫌なんです」
私はこみ上げてくる何かに喉を詰まらせ、梅酒でそれを喉の奥へと押し流した。
「――結婚したいと思った女性と別れた直後に、勇太が結婚相手だと言って女性を連れて来ました。あなたではない、その女性は既に妊娠していて、俺が恋人と別れて肩を落としていた両親は大喜びしました。両親も勇太も、俺の無精子症は知りません。破談の理由は、俺が研究に夢中になり過ぎて彼女に愛想を尽かされたことにしたので。だから、勇太の結婚と孫が生まれた喜びを知った両親は、当然のように言うんです。『次はお兄ちゃんの番ね』って」
それは、とても純粋な希望で、とても残酷な要求。
私は家族に気遣われ、その手の話題を避けられる。
私と彼で、どちらが惨めかなんて、わからない。ただ、どちらも惨めだということだけはわかる。
「その頃から、女性に興味が持てなくなりました。俺は更に研究に没頭し、最近では不能になってしまったんじゃないかと思うほどです。このまま年を取ったら、仙人になれそうなほど、煩悩のない毎日です」
「……仙人……って――」
ツボにハマった。
私は手で口を覆って、クククッと笑った。
この流れでそんなジョークを言われるとは、思っていなかった。
「でも、仙人はムリみたいです」
「え?」
「あなたに興味が湧きました」
「戸松さ――」
「こんな俺でも、もう一度恋愛できるか知りたいんです」
グラスを持つ手に力がこもり、彼の眉間に皺が寄った。
ふと、千尋の言葉を思い出した。
『弱ってる男を見ると、つい慰めたくなっちゃうんだよねぇ』
あの時は、母性本能のような感情だと思った。けれど、違うのかもしれない。
慰めてるつもりで、慰められてるのかもしれない――。
今の私がそうだ。
戸松さんの、美しいとは言えない女性遍歴に、私は自分の境遇を重ねて共感できた。
年下の女性に、初めてを奪われた戸松さん。
長く付き合った恋人に、無理矢理中出しされた私。
結婚したいと思った女性に、子供が出来ないことを理由に振られた戸松さん。
子供が出来ないことまで受け入れてくれている好きな人《龍也》に、負い目を捨てきれない私。
「正直に、言います」
彼が私を見て、私も彼を見た。
「あなたとなら、無精子症であることに負い目を感じなくて済む。子供が欲しくても持てない悔しさもわかり合える。そういう相手が、少なからず初対面から好感を抱いていたあなたであることを、俺は嬉しいと思います」
本当に、正直な人だ。
「失礼なことを言っている自覚はあります。だから、いきなり恋人になって欲しいとは言いません。俺の気持ちを理解した上で、まずは友人として――」
「私と傷を舐め合いたい――ってことですか?」
敢えて、酷い言い方をした。
どんなに綺麗に言っても、つまりはそういうこと。
一人で傷つきたくないから。
一緒に傷ついて、互いの傷を舐め合える相手が欲しい。
それを、悪いとは思わない。
ただ、確認しただけ。
戸松さんは私の言葉に対して、口を開いて息を吸った。が、声を発することなく、閉じた。そして、ふぅっと息を吐いた。
「そうです」
本当に、どこまでも正直な人……。
「俺に、あなたの傷を舐めさせてください」
「え?」
「あなたに、俺の傷を舐めてもらいたい」
「……」
ギョッとして、言葉を失った。
正直すぎるのも困りものだ。
「変態っぽいですよ、その言い方」
私も正直に言った。
真剣そのものだった戸松さんが、少し考えて、苦笑いをした。
「仙人になり損ねた変態、なんて嫌ですかね?」
久し振りに、笑った。
お腹を抱えて、笑った。
龍也じゃない男性と、美味しいお酒を飲んで、笑った。
そうしたら、少しすっきりした。
一緒にいたら、もう少しすっきりできるかもしれないと思った。
そんな、単純な理由。
「恋人としてはわかりませんけど、友達としては面白くて最高です」
そうして、私に新しい『友達』が出来た。