「最近わかったんですが、僕と美月さんは幼い時、友人関係でした。彼女のご両親も知っています。縁があって、こうやって再び知り合うことができたのですが。僕が願うのは、彼女の幸せとシリウスの安泰です。最初にお伝えした通り、九条社長には孝介さんと美月さんの離婚の承諾と、九条グループとの業務提携の話を《《円満》》に白紙にしていただきたい、それだけです。あと、これは後々の話になるのですが、玩具のサブスクにも興味がありまして。遠坂社長には相談中なのですが、ベリーズトイを買収させていただきたいと思っております。友好的買収で話を進めていきたいんですけどね」
そう言って迅くんは微笑んだ。
遠坂社長!?
ベリーズトイって私のお父さんの会社じゃない!!
そんなこと聞いてない!
言葉を発しそうになったが、堪えなきゃ。
「わかりました。離婚は孝介の父親として承諾します。美月さんには本当に申し訳ないことをした」
そう言うとお義父さんは、私に向かって頭を下げてくれた。
「サブスクの件は大変残念です。信用を失うような行動をした《《社員》》のせいで。どうか、この件に関しては、公にはしないでいただきたい」
お義父さんは迅くんに向かって頭を下げた。
「その《《社員》》の今後については、どのようにお考えでしょうか?」
迅くんの冷たい目。
「まだはっきりと決めていませんが。親の私がいたから甘えていた部分もあると思います。一からやり直してほしい。私的に使った資金については、調べて返済するように命じます」
「父さん……」
孝介は涙を浮かべていた。
が――。
「お前には本部から支所へ異動してもらう。あとの処分については、後日検討する」
「えっ。異動って?」
自分の置かれている状況がまだ理解できていない様子だった。
「次期社長は、《《河野》》専務取締役を推薦しようと思う。お前は反省し、一からやり直せ」
お義父さんは立ち上がり
「この度は申し訳ございませんでした」
そう言って一礼をした。
「この件に関しましては、書面にてまとめたものを九条社長に送付いたします。あとでサインをいただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。お前も頭を下げろ」
お義父さんは呆然と立っている孝介の頭を抑え、強制的に頭を下げさせた。
「孝介さん。離婚届を書いて、机の上に置いておくね。明日、残っている荷物と一緒に取りに行くから、書いておいてほしい」
「わかった」
彼との最後の会話は、ただそれだけだった。
二人が出て行くのをしばらく見送った後、迅くんが
「終わったな」
そう言ってメガネを外し、ネクタイを緩めた。
本当に終わったんだ。
「美月、大丈夫か?」
ポンポンと肩を叩かれる。
「うん」
どうしよう。
緊張が解けたら、一気に全身の力まで入らなくなっちゃった。
フラフラする、意識が飛びそう――。
「おいっ!美月?美月――!?」
遠くで迅くんに呼ばれる声が聞こえた。
目を開ける。ここは……?
起き上がって周囲を見渡す。
「ここ、病院?」
ベッドに寝かされていた。
誰も居ない。どうしよう。とりあえず、誰か呼びに行こう。
そう思ってベッドから下りようとした時――。
部屋のドアが開いた。
「あっ、美月さん。起きたんですね?」
亜蘭さんの姿が見えた。
「あっ。亜蘭さん!」
知っている顔を見ることができ、安心した。
「極度の緊張から解かれたせいか、美月さん、気を失っちゃったんですよ。念のため病院に運んで診てもらったんですが、特に異常はないそうです。良かった、目を覚まして」
また迷惑をかけちゃった。
「すみませんでした。あの、迅くんは?」
「あぁ。社長は美月さんに異常がないことがわかると、先に本社に帰ってます。九条グループと契約を破棄した後始末とかもろもろ仕事が残ってまして。ま、事前にいろいろ準備してましたし、想定内なので大丈夫です」
お礼とお詫びを言いたい。それに彼の顔が見たい。
「意識が戻ったら帰っても良いと医者からは言われているので。とりあえず九条孝介が帰ってくる前に、マンションに帰って離婚届を置いておきましょうか?動けますか?」
そうだ、私もやらなきゃいけないことがある。
「はい、大丈夫です」
亜蘭さんに送ってもらい、自宅へと帰る。
事前に書いてあった離婚届を机の上に置く。
相変わらず部屋は荒んでいた。
綺麗だった部屋も、数日でこんなに変わってしまうんだ。
孝介が暴れたと思われる新しい傷も至るところにあった。
「とりあえず荷物は明日また取りに来ましょうか?何かあったら困るので、俺が同行します」
そこまで亜蘭さんに付き合ってもらっていいのかな。
「ああ、遠慮しないでください。例えば美月さんに何かあったら、社長まで精神崩壊しそうなので。そしたら俺も仕事が増えて困りますし」
ニコッと笑ってくれてる。
そう言わないと私が気を遣うと思ったのかな。
彼とはそれほど付き合いは長くないが、ふとそう思った。
「はい。よろしくお願いします」
その時、亜蘭さんの携帯が鳴った。
「はい。……。わかりました。そうお伝えします」
誰だろ、迅くん?
「社長からです。今日はホテルでゆっくり休んでほしいと。夜、電話をするから起きていたら出てほしいとのことです」
夜遅くまで仕事なんだ。
「わかりました」
ホテルに戻り、軽食を食べたあと、ベッドに横になっていた。
――。
本当に終わったんだ。長いようで、短かったのかな。
目を閉じ、振り返って考える。
孝介は私のこと《《最初から》》好きではなかったんだ。
今日のやり取りを聞いて、改めてわかった。
本当は美和さんと結ばれたかったんだよね。
家のために好きでもない私なんかと結婚することになって。
どんな気持ちだったんだろう。
いろんな想いが巡った。
その時、電話が鳴った。
「もしもし?」
慌てて出る。
<具合、大丈夫か?>
迅くんの声。
今日会ったばかりなのに、なんだか遠く感じた。
「うん、大丈夫。ごめん!いつも迷惑かけて」
<ああ。良かった。また気絶して、俺のこと忘れてたらどうしようって思った>
冗談か本気かわからないけれど、彼は笑っていた。
「覚えてるよ!迅くんにありがとうって言いたくて」
<いや、これは俺のためでもあるから。美月と一緒に居たいって思う俺のため。明日、離婚届け出したら、今後のことについて相談しよう。いつまでもビジネスホテルってわけにもいかないだろ?>
「うん」
まずは住むところだよね。
しばらくは実家に帰ろうか……。
あっ、思い出した。
「迅くん、お父さんの会社を買収したいってホント?」
<まだ先の話だけどな。一応、美月の父親にはシリウスの社長として交渉はしてる。九条社長にはああでも言っとかないと、美月の父親の会社に何か仕掛けるかもしれないだろ。それに……。俺が買収することによって、美月の親も、今後俺には《《何も言えなくなる》》だろうし>
確かにシリウスの方が力もあるし。迅くんには頭が上がらないよね。
<とりあえず明日は予定通りに亜蘭が行くから。俺が行けなくてごめん。夜に会おう?>
ゆっくり休めよと彼は言ってくれて、電話が終わった。