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仄かに意識を手放しながら、菊は頬杖をついて窓の外を眺めていた。入学3日にしては随分舐めた態度だ、と言われそうだが仕方ない。中学卒業後、空いた時間で個人的に高校での範囲を予習していたので、聞かずとも手に取るように分かってしまうからだ。いつにも増してゆっくりと瞬きを繰り返しながら、欠伸が出そうなのを押し殺した。
途端、上階からガタンッと大きな音が聞こえてくる。椅子でも倒したような、そんな音。上の教室が何の部屋なのか、何年生の教室なのかも検討の着いていない菊は特段気にする素振りもなく頬杖をやめ、ペンを持つフリだけはしておいた。ふと階段を降りる音が聞こえてきた気がした。気の所為だろうと思っていたが、それはどんどん大きくなっている。他の生徒もきになっているようで教室内がザワザワとし始めた。勤勉なルートヴィッヒも今ばかりは扉に視線を向けていた。
足音が近付いてくる。流石に教師も気にかけ始めたようでチョークを持っている手を止めていた。騒がしくなる生徒立ちを宥めながら、恐る恐る、と言った感じで数学教師は扉へ近づいていく。扉に手をかけ、横に引こうとした、刹那…
「本田菊!!!!!!!!」
「えっ」
「おいマジでやんのかよ…!」
ガタンッと音を立てて外れかけた扉には意を介さぬまま大声で呼ばれた己の名前に意識を取り戻し、思わず立ち上がってしまう。扉へ向かったままの目線と、立ち上がった菊に向けられる視線は大体1:1くらいの割合だった。座り直そうにも名前を呼んだ声(と言うよりはイントネーションの方が近いが)には聞き覚えがあった。嫌な予感を感じながらもギギギ、と音を立てて首を回す人形のようにゆっ……くり菊は首を動かした。ふと、扉が視界に入る。そして、前に流された長い髪も…
「あっ?!ホントにいるある…!!!」
「や、耀…さん……」
「あいやー、ホントに久しぶりあるね!随分大きくなって…にーには嬉しいあるよ」
「ちょ、ちょっとまってください…あの、お静かに……」
「この前まではこんなに小さかったのに…見ない間に大人っぽくなったある……」
「あの、少し……」
「でも可愛いのは変わらないあるね!ずーっと我の自慢の弟あるよ」
涙をほろりと零しながら、彼はそう言った。段々と教室中の視線が菊へと向かってくる。その視線に気づかれないよう机の影で拳を握りながら、息を大きく吸って……
「………王!!少し黙りなさい!!!」
珍しく大きな声を上げて菊は叫んだ。周りの教室への配慮まで気は回らなかった。今最優先なのは、あの知人の口を止め、これ以上の誤解を減らすこと…それだけだった。菊の大声にビクッと彼は大きく肩を揺らし、回る口を止めた。どこか驚愕と悲哀の入り交じった顔で彼はゆっくりと瞬きをする。その隙に最後列から前の扉までかなり早い速度で移動する菊を、教師を含めクラスの人間は目で追っていた。扉を開けた男子生徒のブレザーの首元を掴み、菊は踵を返す。
「…申し訳ありません、少し、話がありますので……。この授業、欠席として扱ってもらって構いませんから…失礼します」
その声色ばかりは穏やかで、いつもの菊そのものだった。しかし声とは裏腹に、ガシャン!とドアの悲鳴が聞こえるほど強く扉を閉めたので、今度はクラスメイト達が肩を揺らしたのだった。
「…馬鹿なんですか?私が前の中学を移った理由を知ってますよね??」
「……はい…」
「誰かさんのせいで私が目立った後、家がバレたからです。わかりますか?」
「………」
「返事」
「…はい」
そう言い放つ菊の声は普段より何度か冷たく、嫌悪を帯びていた。片方の腕に触れながら立つ姿は弱気な青年のように見えるのに、彼の暗く淀んだ瞳や目の前で俯きながら座り込んでいる男子生徒を見れば誰でも一転するだろう。
「あと……
…彼、誰ですか?あなたの友人ですか?」
触れていた右手を己の頭へ寄せながら菊はそう言った。未だ俯いている耀の後ろで気まずそうに首元に手を寄せる生徒……。見覚えはなかった。
「あー…我の、なんというか…えー……」
「はあ……なんですか?」
「…その、まあ……クラスメイトある」
「俺様お前とクラス違うけどな 」
「なっ、今その言葉要らないある!笨蛋!!もっとややこしくなるだけね!!!」
立ち上がろうと地面に手を勢いよくつけ、腰をあげようとするがふと肩に手がおかれた。赤い目を細めながら己の友人(?)がそちらへ恐る恐る目を向けるのが見えた。そして途端ひくりと眉を引き攣らせ、後ろに足を運び始めた。
「じゃ、耀!俺様、もう授業戻んねぇといけねえわ!すまん!!!」
「はっ?!おまえ我のこと裏切るあるか?!!?覚えとくよろし!!!!!!!!」
「ja,ja」
「それ絶対聞いてねーある!!!!!!!」
ギャンギャンと鳴き喚く耀は無視して、白銀の彼は遠くへかけて行った。どこか己の友人に似ている彼を遠目から見つめ、ふりと頭を振るった。そしたまるで悲劇のヒロインのように彼の走っていった方向へ伸ばされた耀の手を、するりと菊は掬った。そしてぎち、と音がなりそうなほど強く握り、にこやかに笑いかけた。
「さて、ゆっくりと、お話を、聞きましょうか…?」
にっこり、と上辺だけの笑顔を張りつけて菊は笑った。それに耀も歪な笑顔を返し、口をはくはくと何度か開閉させた後、言葉をつむぎ始める。
「……あー…わ、我も授業あるある…」
あは、と乾いた笑いを零しながら耀は頬を指でかき、目線を左右に泳がせる。無理のある言い訳だと自覚しているが、なんとかしてこの場から逃げ出したかった。まあそれが無理なのは割と確定しているのだが。
菊は地面に着いてしまっている耀のブレザーの裾を、右足で軽く踏みつけ腕を組み、座り込んでいる彼に目線を合わせるようしゃがみ込んだ。そして口に弧を描きながらこう伝えた。
「…ばか、私もですよ」
そう笑った菊の瞳に光はなかった。