コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──重箱に、オムレツ、カツレツ、フライが詰め込まれていた。
岩崎が、亀屋の主人寅吉から、手渡された重箱の蓋を開けたとたん現れた下町洋食の定番に、二代目も中村も歓声をあげた。
そんな中、岩崎が手際よく、箸と取り皿を銘々に配っている。
「あっ!旦那様、わ、私が!」
月子が慌てた。隣にいるお咲も、なんとなく察したようで、女中の仕事をしなくてはと、そわそわしている。
「いや、構わん。どこに何があるかまだ、分からないだろうから。と、いうよりも……、二代目、台所にこの皿と箸も含め、道具類が増えているのだが、どうゆうことだ?」
岩崎は、月子へ足を挫いているのだから、座っているように言いつつ、見覚えのない物があると、二代目に尋ねた。
「あー、それね、それ、岩崎執事と、大家の俺の仕事だよ。本当に何にもないからさぁー、手分けして、とりあえず必要な物を揃えたってことですけど?」
旨そうだと言いながら、二代目は、オムレツを皿によそっている。
「おお、蕎麦もいいが、やっぱり、洋食だよなぁ」
中村も嬉しげに箸を取る。
「さあ、遠慮しないで、食べなさい。思えば、あちこち行って食事もまともにとっていなかった……」
そこへ、岩崎の言葉を聞いていたのか、柱時計が、ボーンボーンと、二回鳴る。
「え?!もう、昼をとっくに過ぎてる!月子ちゃん、早く食べな!中村のにいさん、ちいと控えておくれ!月子ちゃんは、何も食べてねぇんだから」
二代目が、月子の前へ重箱を移動させた。
「よし!お咲、食べたら、音階を教えるぞ!」
こまめに動いていた岩崎も腰を下ろし、箸を取る。
「いや、岩崎、そんな無茶な」
「中村!いつまでも、ビービー、ちゃんちゃんでは、いくまい!」
まだ、早いだろうと、抗う中村に、岩崎は、一歩も引かない。
月子は、二人の話が理解できず、取り皿をもったまま、呆然としていた。
「うーん、そんな小難しいことよりも、お咲の場合……箸の使い方から、いや、物の食べ方から教えた方がいいんじゃないのかねぇ」
二代目が、少し寂しそうに言った。
言われて見てみると……、お咲は、手掴みで蕎麦を口に運んでいる。
「叱るんじゃないよ、京さん!お咲は、それだけ、どん底の生活を送ってたってことだから……、京さん、あんたが、しっかり養ってやらなきゃいけないんだ」
「岩崎、見ただろ。今は、音楽じゃない。お咲に、しっかり、モノを食わせてやるのが先だ。二代目、やっぱり……米の買い占めか?」
中村も、何か悟ったような口ぶりで、お咲を庇う。
岩崎は、お咲の食べ方に、多少ぎょっとしつつも、二人に言われて、何か、思い当たるところがあるのか、静かに呟いていた。
「……つまり、米騒動というやつか?というよりも、結局は、シベリア派兵に行き当たるのだが……。米の買い占めが、お咲をここによこしたと、言うことになるわけか……」
男達は、うんうんと、頷き合っているが、月子は、完全に取り残されていた。
お咲の事は、躾やら、教育を受けていない、いや、受けられないほどの、家で育ったということなのだろうが、そこで、シベリアが出てくる事が分からない。
米の買い占め、と、いうのは、なんとなく理解できた。
佐紀子が、それを理由に、月子にも権利があるはずの、義父の遺産を渡し渋ったからだ。そして、実際、米を買いに行っても、値段が、吊り上げっているのは、身に染みていた。
「ああ、君には少し難しかったか……」
岩崎が、険しい顔をして、月子へ言う。
「ちょっ!岩崎!」
「京さん!すげぇ、感じ悪いんだけどぉ?!」
中村と、二代目が、声をあらげた。
「しかし、世の中の動きは、女性には難しい話だろ?」
「うわっ!そこまで言うか!」
欧州《ヨーロッパ》にまで、行きながら、この男尊女卑ぶりは、何事かと、中村が、岩崎を責める。
「月子ちゃん、この落とし前は、大家の責任だ。ちゃんと、中村のにいさんと、ケリをつけるから!安心して、食べちまいな!」
よっしゃと、二代目も、着流しの袖を捲りあげ、岩崎へ詰め寄った。
男二人は、岩崎へ避難の視線を浴びせて、その岩崎は、ひょっとして失言だったのかと、腰が引けている。
なんとなく、緊迫した雰囲気を見た月子は、食べるどころか、空の皿を持ったまま、何が起こるのかと、ハラハラするばかりだった。