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ウェストを押さえつけないようなデザインのワンピースを着ているからかも知れないが、紗英のお腹には何の変化も見られない気がして。
(もう少ししたらふっくらしてくるのかな?)
天莉自身、妊娠経験がないので妊娠週数の数え方はおろか、お腹の膨らみ具合いなどもよく分からないけれど、初期の頃はマタニティマークを付けないと周りには気付いてもらえないと聞くし、そんなもんなのよね?と自分に言い聞かせる。
紗英の妊娠を知っている人ばかりじゃないはずだし、むしろ知らない人の方が多いはずだと思った天莉は、何の罪もないお腹の中の赤ちゃんのためにも、そこは私情を挟むのはやめようと思った。
「――江根見さん、横野くんから頼まれたから言うわけじゃないけど……その、しんどいことがあったら遠慮なく言ってね」
ここ最近は仕事で関わることはなくなってきたけれど、全く知らない人間じゃない。
「私で役に立てるかどうかは分からないけど……出来ることは協力するから」
常の仕事ではもう関わることはほぼないと思うけれど、社外の人間もたくさんひしめく今日だけは特別。
「ずっとあの辺りにいようかと――」
思ってるし。
さっき沖村と別れた辺りを指さしてそう続けようとした言葉は、言い終わる前に紗英の声にかき消されてしまった。
「わぁ~。ホントですかぁ、先輩。そうして頂けると物凄ぉーく心強いですぅー。ほら、課長がいきなり、紗英と先輩の仲を引き裂いちゃったじゃないですかぁ。紗英ぇ、先輩とお話出来なくなってめっちゃ寂しかったんですよぅ」
そこで一旦博視が立ち去った方角に視線を向けると、紗英がグッと天莉の方へ距離を詰めてくる。
「博視はぁ~、営業の人脈作りで今日は紗英のそばにずっといられないって言うしぃ~、紗英ぇ、実はすっごくすっごく心細かったんですぅ。……なのでぇ、もし良かったら今日は紗英とずっと一緒にいてもらえませんかぁ?」
天莉がちょっと甘い顔を見せた途端、いきなり厚かましくなった紗英にギュゥッと両の手を握られて、天莉は思わず「えっ」と驚きの声を上げた。
だけど、よく考えてみれば自分も誰か話の弾む同僚がいるわけでなし、今日と言う日を持て余していたことに変わりはないわけで――。
「ね、本当に他に仲の良い同期の子とかいないの? ……私なんかと一緒にいるんで、いいの……?」
天莉が恐る恐る問い掛けたら、天莉より十センチくらい背の低い紗英が「今、言ったじゃないですかぁ。紗英はぁー先輩と一緒がいいんですよぅ」と上目遣いで天莉のことを見上げてくる。
その潤んだ瞳に、天莉はほぅっと小さく吐息を落とすと、「分かった。けどひとつだけ――」と切り出した。
***
「えっ。先輩すごぉーい! 博視と別れてそんなに経ってないのにぃー、もぉー新しい男ゲットしたんですかぁ? 先輩ってば見かけによらず結構やり手だったんですねー!? それでぇ、その人ってどんな人なんですかぁ? ひょっとして博視より有望株だったりしますぅ?」
天莉は、今日この会場には婚約者も来ることになっているので、その人から呼ばれたらそちらを優先させる旨を伝えたのだけれど。
直樹からの報告や尽の口振りからすると、風見課長の口から紗英の実父である江根見部長までは、尽と天莉の関係が伝わっているとみて間違いないはずだ。
てっきり紗英にも父親からそれとなくそんな話が伝わっているものだと思っていたのだけれど。
(この感じからすると、もしかして彼女は知らない?)
会場入りする前、マンションで尽がしきりに天莉のことを気にしていたのは事実だ。仕事の合間を縫うようにして、もしかしたら会いに来てくれるかも知れない。
そうなったら、何を差し置いても尽を優先するつもりの天莉だ。
仮に紗英と一緒にいるとしても、それだけは予め釘を刺しておく必要があった。
そうしてそれとは別、今の天莉のセリフには、紗英が事実を知っているか否かをカマかけする意味もあったのだ。
知っていたなら紗英のことだ。
何かしらポロリと『お相手は高嶺常務ですよね?』的な発言をすると思っていたのだけれど。
勝手な思い込みで尽との関係を知っているとばかり思っていた紗英から、相手はどんな人ですか?と聞かれた天莉は、答えに窮してしまう。
「え、えっと……年上の人、だよ?」
しどろもどろに言ったら、「やぁーん。先輩、年甲斐もなく照れちゃって可愛いー♥」と軽く嫌味を言われてしまった。
でも尽のことを思い出すとソワソワとして落ち着かない気持ちになるのは事実だ。
いい年をして恥ずかしくないのか?と問われたら、確かにそうなのかも知れない。
(だって尽くん、本当にかっこいいんだもん。仕方ないじゃない)
相変わらず敵を作る話し方をする子だな?と思いながらも、天莉は心の中でそう反論するにとどめた。
***
そうこうしているうちに時間になったらしく、開会の言葉などが宣言され、親睦会がスタートする。
天莉はさっき沖村と別れた地点に戻って、尽の登壇を待ちたいと思ったのだけれど――。
「先輩。料理取りに行きましょー? 美味しそうなのいーっぱい並んでますよぉ?」
紗英にグイグイ手を引かれて、どんどん演台から遠ざけられてしまう。
さすがに十時も過ぎているし、尽だって会場入りしているはずだ。
舞台裏があるわけじゃない会場の構造からして、このひしめき合う人混みのどこかに尽がいるはずなのに……と思ってしまって、天莉はどうにも落ち着かない。
「あっ、江根見さんっ。そんなに急いだら危ないよ?」
妊婦だというのに、紗英はヒール高八センチはありそうなピンヒールのパンプスを履いている。
せめてもう少しフラットな靴を履いて来ればいいのにと思いながら、天莉は紗英が転びやしないかと気が気ではなくて。
「だってぇ、先輩がグズグズして先導してくれないんだから仕方ないじゃですかぁ~」
まさに猪突猛進。人々にぶつかりながら、小柄な紗英が前を塞ぐ来場者たちを押し退け、掻き分けしながら前進していくのは、どうやら天莉のせいらしい。
「待って? じゃあ私が前に行くから」
「残念でしたぁ~。先輩がノロノロしてる間に着いちゃいましたぁ~」
紗英はニコッと微笑むと、天莉に大ぶりの皿を二枚手渡してくる。
「紗英ぇ~、転んだとき手が付けなかったら困るのでぇ、先輩が紗英のお料理も運んでくださいねっ?」
言うなり天莉の返事も待たずにどんどん皿の上に料理を乗っけてくる紗英に、天莉はたじたじだ。
(相変わらずこの子はっ)
この状態では天莉は自分の取りたいものを取ることが出来ないのだけれど、紗英は当然という感じで、両方の皿に彼女が食べたいものを積み上げていく。
「ねぇ、こんなに一気に取って、全部食べられるの?」
余りに大量の食べ物を皿へ盛ってくる紗英に、天莉は不安になって問い掛けたのだけれど。