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Lueurのジュエリーブランドチーフに就任して以来、私の毎日は目まぐるしく過ぎていった。倉橋が経営するホテルのディナーショーで開催されるコレクション「Reborn Eternal」と「Broken Vows」の準備に追われ、朝から晩まで工房とホテルの往復が続いた。
バックヤードの作業台はスケッチ用紙と試作用石で埋め尽くされ、ルーペを覗く時間が長くなるにつれ、目が乾き、指先が微かに震える。
サファイアの傷跡を何度も確認し、メレダイヤの配置を微調整するたび、背筋に冷たい汗が伝う。「もう少し……あと少しで完成する」独り言のように呟きながら、ひび割れたリングの内側に光を屈折させるための微細なカットを加える。
スポットライトの下で試着すると、傷跡が青く輝き、まるで心の裂け目から光が溢れ出るようだった。スタッフが次々と声を掛けてくる。
「井浦さん、ディスプレイのレイアウト確認お願いします」
「照明の角度、もう一度調整した方が……」
私は白衣の袖をまくり、作業台から離れられない。コーヒーは冷め、昼食も喉を通らない。倉橋から届くメッセージだけが、唯一の息抜きだった。
『今日も遅くなる? 無理しないでね。迎えに行くよ』
私は短く返信する。
『ありがとう。でも、もう少し……』
夜遅く、ようやく試作品が揃った。紺碧の天鵞絨に並べられたリングとネックレスは、照明の下で静かに息づく。ひび割れのサファイアが、光を散らして深い青を生み、欠けた部分に散らばるメレダイヤが、砕けた誓いを星屑のように輝かせる。
私は白衣を脱ぎ、鏡を見た。頰はこけ、目は充血している。疲労の影が濃いが、瞳の奥には確かな光があった。「これで……間に合う」私はスマホを手に取り、倉橋にメッセージを送った。
『準備終わりました。明日、よろしくね』
返事はすぐに来た。
『お疲れ様。明日は俺が君を支えるから、ゆっくり休んで』
私は作業台のサファイアにそっと触れた。傷跡が、指先で温かく光る。ディナーショーは、もうすぐ。私の永遠を、世界に届ける夜。私は深呼吸し、工房の灯りを落とした。外は冬の夜空。星が静かに瞬いている。
「Reborn Eternal」と「Broken Vows」
コレクション当日、紺碧の天鵞絨にディスプレイされた指輪やネックレスに魅入られた彼は、眩しそうに私に振り返った。
「永遠の再生、破られた誓い――終わりのないメビウスの輪のようだね」
倉橋の声は低く、優しく響いた。ホテルのプライベートサロンで、照明は落とされ、スポットライトだけがジュエリーを照らす。青いサファイアの傷跡が、光を屈折させて深い輝きを放ち、ひび割れたリングは静かに息づいている。私は彼の隣に立ち、ゆっくり頷いた。
最初のゲストがテーブルに着席し、私に微笑んだ。「佐々川さん、このコレクション……本当に心に響きました。傷を隠さない美しさ、初めて見ました」
私は軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。私の痛みを、形にしただけです」
ディナーショーの夜は、「Reborn Eternal」と「Broken Vows」をイメージした豪華な幕開けだった。
ホテルの最上階プライベートサロンは、深い藍色のベルベットカーテンが壁一面を覆い、天井にはクリスタルのシャンデリアが無数の光の粒を降らせていた。全面ガラス張りの窓から広がる地上45階の夜景は星屑の海。テーブルクロスは夜空を思わせる濃紺のシルクで、縁には銀糸の刺繍が星座のように輝き、キャンドルの炎が揺れるたびに光の波紋が広がる。中央にはネモフィラとブルースターの装花が円形に配され、淡い青の花弁がキャンドルの暖色と溶け合い、幻想的な色彩を生み出していた。
ゲストたちは黒や深紅のタキシードとイブニングドレスで登場し、ダイヤモンドやサファイアのジュエリーが首元や手首で煌めく。
シャンパンタワーがゆっくり回転し、グラスに注がれる金色の泡が、まるで流れ星のようにテーブルを彩る。弦楽四重奏の生演奏が静かに流れ、アメイジング・グレイスの旋律が、会場全体を優雅に包み込んだ。
私は黒のロングドレスに身を包み、『Reborn Eternal』のネックレスを一粒だけ鎖骨に。ひび割れたサファイアが、スポットライトに照らされて傷跡から深い青の光を放ち、まるで夜空に浮かぶ孤高の星のようだった。
倉橋は私の隣に立ち、ダークグレーのタキシードにシルバーのカフスボタン。ネクタイを外し、襟を開けた姿は、威厳と親密さを同時に漂わせていた。
ゲストが席に着くと、倉橋が私の手をそっと取り、指先を絡めて耳元で囁く。「君の光が、この夜を支配してる」私は微笑み、彼の指に自分の指を重ねた。温かな脈拍が伝わり、胸の奥が甘く疼く。
ディナーが始まると、フォアグラのテリーヌ、トリュフを纏ったロブスター、キャビアを散らしたオードブルが次々と運ばれ、ワインはヴィンテージのボルドーとシャンパーニュが注がれる。グラスが触れ合う音、笑い声、拍手が重なり、会場は贅沢な熱気に満ちていく。
クライマックスで、私はステージに立った。
スポットライトが私を包み、藍色のクロスが星空のように広がる。
「このコレクションは、破られた誓いから生まれたものです。傷は隠さず、光に変える。それが、私の永遠です」
会場が静まり返り、ゆっくりと割れんばかりの拍手が響いた。倉橋の席から、彼の視線が私を優しく包む。私は花束を受け取り、深く一礼した。サファイアが首元で青く輝く。
ショーが終わると、倉橋が立ち上がり、私の手を取った。指先が絡み、温もりが伝わる。彼は私の耳元で囁いた。
「今夜は、君を独り占めしてもいいか?」
私は頬を染め、頷いた。
「少しずつ……一緒に」
倉橋は微笑み、私の腰に腕を回した。ゲストの視線が集まる中、彼は私をサロン奥のプライベートルームへ導いた。ドアが閉まると、静寂が訪れる。藍色の壁に囲まれた部屋で、彼は私を抱きしめた。
「瑞穂……俺は、もう君を離さない」
私は彼の胸に顔を埋め、涙をこぼした。温かな涙。傷は、もう痛まない。ただ、輝くだけだ。外は冬の夜空。ネモフィラの青が、心に染み込んでいた。私の永遠は、ここから始まる。倉橋の腕の中で、静かに、強く、輝き続ける。
数ヶ月後、私はLueurの新作発表会の後片付けを終え、バックヤードでコーヒーを淹れていた。柔らかな陽光がドレープカーテンを透かし、作業台のサファイアが静かに青く息づいている。なのに、胸の奥はいつも冷たい。傷は光に変わったはずなのに、時折、凍てつく痛みが蘇る。
ドアが小さくノックされ、スタッフの声がした。
「井浦さん、お客様です。……佐々川麻里奈さん、です」
カップを置く手が止まった。息が詰まる。心臓が、鈍く、痛く鳴る。
「通してください」
ドアが開き、麻里奈が入ってきた。かつての可憐な面影は完全に消えていた。髪は短く無造作に切り、化粧はなく、目は腫れぼったく落ち窪んでいる。頰はこけ、唇は乾いてひび割れ、グレーのコートは古びて肩が落ちていた。手には、赤ちゃんを抱っこひもで抱えていたが、その子は泣き疲れてぐったりと眠っている。麻里奈の腕は細く、力なく震えていた。
「瑞穂さん……お久しぶりです」
声は掠れ、ほとんど息のように弱い。私は立ち上がり、静かに彼女を見た。言葉が出ない。喉が焼けるように痛い。麻里奈は目を伏せ、子供の頭をそっと撫でた。指先が震え、涙がこぼれる。
「ニュースで……瑞穂さんのブランドがすごいって。『Reborn Eternal』……私も、見てみたかったんです。でも……もう、遅いですよね」
彼女は作業台のディスプレイに目をやり、ひび割れたサファイアのリングを見つめた。光が傷跡を屈折させ、深い青が揺れる。麻里奈の瞳に、その青が映り、涙で歪む。
「綺麗……傷を隠さないで、光に変えるなんて……私には、できない……」
言葉が途切れ、嗚咽が漏れた。麻里奈はハンカチで目を拭うが、涙は止まらない。子供を抱く腕が、力なく震える。
「私……お兄ちゃんとは、もう会ってません。子供が生まれてから、別々に暮らして……泰造おじいちゃんも亡くなって、佐々川の名前も、もうないんです。悠真は……私の子なのに、みんなから『穢れた子』って……」
「今は?」
「佐伯です」
麻里奈の生みの親は、佐伯恵美子だった。彼女は子供を抱きしめ、唇を噛んだ。血が滲む。
「ごめんなさい……瑞穂さんを、傷つけて……私、知らなかったんです。お兄ちゃんが、本当は瑞穂さんのことを……愛していたなんて……」
私は静かに息を吐いた。胸の奥が、焼けるように痛む。怒りも、悲しみも、すべてが通り越して、ただ虚無が広がる。
「今さら、謝られても……」
麻里奈は頭を下げ、涙が床に落ちる。子供が小さく泣き声を上げ、彼女は慌ててあやすが、手が震えてうまく抱けない。
「わかってます。ただ……一度だけ、言いたかったんです。ありがとう、って。瑞穂さんが、私たちの闇を、光に変えてくれたから……悠真が、普通に生きていけるように……」
彼女は子供の頭に頰を寄せ、微笑もうとした。弱々しく、壊れそうな笑み。
「これからは、母として、生きていきます。もう、誰にも迷惑かけないように……でも、時々、思うんです。私も、傷を光に変えられたら……って」
私は黙って、ディスプレイから小さなリングを取り出した。『Reborn Eternal』の試作品。傷跡が光を散らす、シンプルな一粒サファイア。
「これ、持っていって」
麻里奈の目が見開く。
「え……?」
「傷は、隠さなくていい。光に変えられるから」
私はリングを彼女の手にそっと置いた。麻里奈は震える指で受け取り、涙をこぼしながら頷いた。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
彼女は深く頭を下げ、子供を抱いたままバックヤードを出て行った。ドアが閉まる音が、静かに響く。足音が遠ざかり、廊下の先に消える。私は作業台に戻り、ルーペを手に取った。新しいサファイアが、傷跡から静かに光を放つ。麻里奈の背中が、遠ざかっていく。あの震える肩、泣き腫らした目、抱きしめる子供の小さな体。彼女の永遠は、砕け散った。
私も、同じだった。なのに、傷はもう痛まない。ただ、静かに輝くだけだ。私は微笑んだ。陽光が、工房を優しく照らす。でも、心の奥に、冷たい棘が一本、残っていた。