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第4章『島を離れる者たち』
【あらすじ】
研究所で育てられ、外の世界を知らなかった少女ノアは、共鳴という不思議な力を持つ者として、空に浮かぶ都市《アーク》へ連れてこられる。
そこには、動物と心を通わせる力を持つ者、神の声を聞く巫女、沈黙の戦士たち……それぞれ“声”と向き合う仲間がいた。
試練の島で訪れた“共鳴の塔”。
そこでノアは、自らの“声”が過去の記憶を呼び覚ます力だと知る。
それは、神に最も近い共鳴——「忘れられた声を、未来へとつなぐ力」だった。
仲間と共に成長し、迷いと恐れを超えたノアは決意する。
「私は、“声を届ける者”になる」
そして、空の果てで眠る祈りを探しに、新たな旅へと船は飛び立つ。
これは、声なき声が世界を揺らす物語の——始まりの章。
【島を離れる者たち】
空がゆっくりと明るみを帯びていく。試練の島に朝が訪れていた。
草原をなでる風は、どこか穏やかで、昨日までの緊張を洗い流すようだった。
ノアは共鳴の塔を背に、静かに歩いていた。
その瞳は、もう怯えていない。
その足取りは、もう迷っていない。
塔が“選んだ者”としての重みは、まだ胸に残っている。
けれど、今はそれを受け止めるだけの“声”が、彼女の中に芽吹いていた。
浮遊艇《ルーン》が、着陸地に滑り込むようにして戻ってきた。
「ノアーっ!!」
駆け寄ってきたのはチロルだった。
「もう心配したんだからーっ! 塔に吸い込まれてから全然連絡こないし! 共鳴波もぜんっぜん反応しなくなるし!」
「ごめん……でも、無事だったよ」
ノアが苦笑しながら答えると、チロルはほっとしたように肩を落とした。
「まったくー。……でも、なんか顔つきが変わったね」
「……そうかな」
「うん。“言葉に芯ができた”って感じ?」
その言葉に、ノアは少しだけ頬を赤らめた。
バルトとミナも歩み寄ってくる。
「……無事で、よかった」
「あなたの“光”が、空を揺らしたわ。見ていて、胸が熱くなった」
ノアは、そっと胸に手を置いた。
「……ありがとう。まだよくわからないことも多いけど……でも、前よりもずっと“感じられる”ようになった」
ミナが微笑む。
「それが、“共鳴”の第一歩よ」
ルウは皆の後ろで静かに座っていた。
その目はどこか誇らしげで、そして少し照れているようにも見えた。
浮遊艇の準備が整い、彼らは順番に乗り込んでいく。
草原の端に佇む塔を、ノアはもう一度だけ振り返った。
風に揺れる草の音。
あのとき、自分の声が届いたときに吹いた風と同じ匂いがした。
(また来ること、あるのかな)
ノアは静かに目を閉じた。
——“ノア”。
もうその声は、恐ろしいものではなかった。
それは“応える”ための声。
そして、誰かに“届ける”ための声。
浮遊艇の扉が閉まり、船が空へと持ち上がる。
島が遠ざかっていく。
共鳴の塔が、ゆっくりと霧の中へ溶けていく。
その時ノアは、自分の胸の奥で“何かが目覚めている”のを、確かに感じていた。
【共鳴の余韻と再会】
アークの港区に着陸した浮遊艇《ルーン》は、午前の陽光を浴びてゆっくりとドームの中へ収まっていった。
ノアは甲板に立ち、上空に広がる都市の景色を見上げた。
帰ってきたはずなのに、どこか“違う世界”に戻ってきたような感覚があった。
(自分が変わったから……だよね)
ルウが隣で小さくうなずいた。
着陸完了のサインと共に、クルーたちが一斉に動き出す。
ノアたち一行は荷物を手に、ゆっくりと居住区へと戻っていった。
広場には、先に試練を終えた共鳴者たちの姿があった。
小鳥を浮かべていた少女は、草の上で歌をうたい、
植物と対話していた女性は、仲間たちと輪になって祈りを捧げていた。
「……なんだか、雰囲気が変わった?」
ノアの問いに、バルトが言う。
「それぞれが“塔”で、何かを得たからだ」
「……得たもの?」
「失ったものも、あるだろう。だが、乗り越えてここに立っている」
ノアは静かに周囲を見渡した。
その中に、あの少年の姿も見えた。
机にカードを並べていた彼は、今は目を閉じ、何かを思い出すように風に触れていた。
その表情は、どこか寂しげで——けれど、穏やかだった。
チロルが軽やかに飛び跳ねてきて、ノアの肩に手を置いた。
「ねぇ、休憩がてらラウンジ寄らない? あたしさ、試練の島で拾った“超レア素材”見せたくてウズウズしてるの!」
「レア素材……?」
「そうそう! なんか水晶みたいな、でも植物っぽい……不思議なヤツ!」
ノアは苦笑しながらも、うなずいた。
「うん、じゃあ少しだけ」
ラウンジでは、他の共鳴者たちも集まりはじめていた。
試練の話をする者、沈黙のまま座る者、それぞれが何かを背負い、何かを乗り越えて帰ってきた。
チロルが机の上に出したのは、半透明の小さな花のような物体だった。
「これ! 触ってみて!」
ノアが指先でそっと触れると——その“花”は淡い光を放ち、微かな音を奏でた。
「……音?」
「うん、ね? 共鳴してるでしょ? きっとこれ、“記憶の花”とかそういうヤツなんだよ! 名前はまだ考え中!」
ノアはその花を見つめながら、塔の中で触れた“声の記録”を思い出していた。
(忘れられた声は、こうして……新しい形で残っていくんだ)
ふと、ミナが近づいてくる。
「ノア。クロードが、今夜“報告会”を開くそうよ。あなたにも来てほしいって」
「……わたしに?」
「ええ。塔があなたに与えた“証”……それを皆と共有してほしいの」
ノアは少しだけ迷った。
けれど、ミナのまっすぐな目を見て、頷いた。
「……うん、行く。ちゃんと、話してみたいから」
その声は、以前よりも少しだけ、大人びて聞こえた。
【明かされる“神話の断片”】
報告会は、アークの観測神殿で行われた。
夜の帳が降りるころ、共鳴者たちはドームの中に集まっていた。
天井は透明で、星の海が広がっていた。
塔から持ち帰られた“共鳴の記録”は、ホログラムのように空間に浮かび上がっている。
クロードは壇上に立ち、静かに語り始めた。
「今回の試練で、多くの共鳴者が“声の記憶”と接触した。
それはかつて、我々が神話と呼んでいた記録に近い」
ノアは、ホログラムに浮かぶ光の粒を見つめた。
それはまるで、かつて触れた“記憶の花”と同じ色をしていた。
「太古の時代、人々は“声”によって世界と対話していた。
その力を“共鳴”と呼び、特に強い波長を持つ者たちは“神託者”とされた」
クロードの言葉に、会場がざわめく。
ミナが続ける。
「けれど、その力は時と共に忘れられ、今では一部の者だけが感じ取るものとなった。
……けれど最近になって、“世界が再び声を発し始めた”という兆候が現れているの」
ノアは思い出す。
塔で響いた声、呼ばれた名、そして自ら応えたときの震え。
「その兆候のひとつが——“ノアの共鳴”です」
ミナの言葉に、場が静まる。
クロードが歩み寄り、ノアの前に立つ。
「君の中で目覚めた共鳴波は、塔の記録すら上書きした。
それは、記憶を読むだけでなく、“記憶に触れ、呼び起こす”力だ」
「……記憶を、呼び起こす……?」
「忘れられた声、眠っていた祈り。それらを再び世界に響かせる力。
それこそが、“神の声に最も近い共鳴”だと我々は考えている」
ノアは息を呑む。
それはあまりに大きすぎる話だった。
けれど、胸のどこかで——それが“自分の声の正体”かもしれないと思った。
「この力をどう使うかは、君自身が決めることだ。
ただし、いま世界は、再び“声”を求め始めている。
そして——その声を導く者が必要なのだ」
ミナが言う。
「共鳴者たちは、今後いくつかの“回廊”に派遣される。
そこには、まだ目覚めぬ声が眠っている。
ノア、あなたにもその道を選ぶ権利があるわ」
ノアはしばらく黙っていた。
けれど、やがて目を上げる。
「……行きます。
私の声が、誰かの祈りを起こせるなら——私は、それを届けたい」
静かに、しかしはっきりとした声だった。
その言葉に、場の空気が変わった。
誰かが小さく拍手をした。
続いて、少しずつ、その音が広がっていく。
やがてそれは、夜空に届くような共鳴の波となって、神殿を包んでいった。
【ノアの決意、新たなる使命】
報告会の後、夜のアークは静かだった。
けれど、ノアの中には静けさとは違う、確かな“熱”があった。
観測神殿の塔を下りる途中、ノアはふと足を止めた。
手すり越しに見える空は、黒に近い群青で、星々が瞬いている。
その隣に、ルウの姿があった。
「……わたし、やっと決められた気がする」
(そうだな)
「“声を届ける”って、怖いことだと思ってた。
誰かの中に入って、その人を変えてしまうかもしれないし……届かないかもしれないし……」
ノアは手を胸に当てた。
「でも、変えるんじゃない。“響かせる”だけでいいんだよね。
その人の中にある“声”を、引き出せたら——それだけで、きっと意味がある」
(お前の声は、誰かの記憶を呼び覚ます。
それは、お前が“生きてる”証でもある)
ノアは小さく笑った。
「うん……そうだね」
そのとき、足音が近づく音がした。
振り返ると、クロードが立っていた。
「……もうひとつ、伝えたいことがある」
ノアが姿勢を正すと、クロードはゆっくりと歩み寄ってきた。
「“塔”の記録を解析していたら、君の共鳴に似た波長が、旧世界の断片から検出された」
「旧世界……?」
「かつて失われた地、“エルシア大陸”の記録だ。
そこには、神の声を記録する巫女と、それを導く者——“双声の契約”という儀式の痕跡があった」
「それって……」
「ノア、君とルウの共鳴は、それに酷似している」
ルウが小さく耳を動かした。
(俺と、ノアが……)
クロードは頷いた。
「この先、我々は“エルシアの回廊”を探る遠征を開始する。
君の力は、その鍵になる可能性がある」
「……鍵……」
ノアは空を見上げた。
あの塔で感じた、“呼ばれる声”。
きっとまだ、世界のどこかで、同じように眠っている声がある。
「……行きます。どこへでも。
わたしの声で、誰かが救われるなら」
クロードは目を細め、少しだけ微笑んだ。
「その言葉を待っていたよ、ノア。
これからが、本当の旅の始まりだ」
ノアはルウと顔を見合わせ、小さく頷いた。
その瞬間、心の奥に——またひとつ、新しい“光”がともった気がした。
【空へ還る光、そして前へ】
朝焼けの光が、アークのドームをゆっくりと染め始めていた。
ノアは早朝の回廊に立っていた。
昨日までより、少しだけ澄んだ空気が流れている気がした。
手には、クロードから渡された“共鳴装置”が握られている。
それは、記憶の声を記録し、必要な時に“再共鳴”できる装置だった。
「……響いてくれるかな」
ノアは静かに空に向かって問いかける。
ルウがその隣で、同じ方向を見つめていた。
(この空の向こうにも、まだ誰かの“声”が眠ってる)
「うん。聞こえるよ。……少しずつだけど、ちゃんと」
そのとき、足音が近づいた。
「おーい! ノアちゃん!」
振り返ると、チロルがいつものように工具箱を抱えて駆けてきた。
「新しい浮遊艇の整備終わったから、出発準備は完璧! 今度のやつ、音声共鳴システムついてるんだよ〜! 楽しみだね!」
バルトも無言で現れ、軽く頷く。
ミナは静かに後ろから現れ、ノアの肩に手を置いた。
「あなたの声が、道をつくるわ。信じて進んで」
ノアは深く頷いた。
出発の時が、すぐそこまで来ていた。
アークの浮遊港に並ぶ新型艇《ヴォイス・アーク》。
その機体には、“双声紋章”が刻まれていた。
それはノアとルウの共鳴波を元にした、新しい“鍵”。
ノアは最後に空を見上げる。
「わたし、もう怖くない。だって……この空の下に、仲間がいるから」
ルウがしっぽを振った。
浮遊艇がゆっくりと浮上する。
アークを離れ、青空を裂いて進む船。
その先にあるのは、未知なる世界——けれど、確かに“誰かの声”が待っている場所。
ノアはそっと、胸元の紋章に触れた。
「……聞こえるよ。ちゃんと、届いてる」
風が、彼女の髪を揺らした。
その風は、誰かが返してくれた“応答”のようだった。
「行こう、ルウ」
(ああ)
浮遊艇は加速し、空の果てへと飛び立った。
その軌跡は、朝の陽光に照らされながら——
まるで、一つの“祈り”のように。
第4章・完