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「あんな可愛い子に嘘ついて傷つけて……俺、何やってんだよ」
情けなくて、視界がじんわりと滲む。玄関の冷たい床に座り込んでしばらく項垂れていたが、ポケットの中でスマホが何度も何度も震えて、俺の感傷を邪魔してくる。ほんと、こんな時くらい静かにしてくれよ。
『いつきくん! 俺のスマホありました!』
「……だろうな。今、そのスマホからかけてきてんだから」
少し半ギレで返すと、電話の向こうでいっちゃんが黙り込んだ。……気づいたか? なら、まずは「ごめんなさい」だろうが、この野郎。
『……いつきくん、泣いてます? りゅうせいにフラれたんすか?』
「バカ。なんで俺がフラれるんだよ」
『え、もしかして俺のせいっすか? 俺がシャワー途中の全裸でドア開けたからっすか?!』
「お前さぁ……」
そりゃ、りゅうせいも泣くわ。勘違いもするわ。
「俺が弁明します!」とか言っているが、今更そんなの言ってもしょうがない。別に、付き合ってるわけじゃないんだから。
「お前、マジで覚えてろよ」
『うわっ、いつきくんマジで怒ってんじゃん。めっちゃりゅうせいのこと好きじゃん』
「だから違うって。次その話したら殺すからな、マジで」
『こっわ! 今度お酒奢ります、だから許してください……』
「それより、もう深酒は禁止しろよ。拾ったのが俺だったから良かったけど、他の奴ならヤバかったぞ」
『……はい。ほんとマジで反省してます』
バカみたいなやり取りだったが、最後はちゃんと謝っていたし、新しいシーツもタオルケットも買ってくれることになった。結論、いい部下なんだよな、あいつも。
「い~つきくん! 今度飲みに行かない? 美味しいお店見つけたんだぁ」
月曜日の朝早々、だいきが甘ったるい口調でやってきた。本当に、こいつは朝から元気だ。
「だいきくん、いい加減俺らも誘ってくださいよ」
「お金払ったら帰っていいんで、お願いしますよぉ」
「りゅうせいの冗談が辛い……」
だいきを内側からじわじわと潰しにかかっているりゅうせいが、少しおもしろい。
「俺の特別はいつきくんだけなの! だって貧乏だし。……で、ボーナスから養育費いくら払ったの?」
「三十万」
「マジかよ! 子供ってどんだけ金かかるんだよ?!」
「いや、将来の進学資金を前払いしてるんだよ。その時にまとめて払えないからさ」
「お子さん、おいくつでしたっけ?」と、いっちゃんが横から尋ねる。
「六ヶ月」
「先なげぇ……。ずっと貧乏じゃん」
「まぁ、結婚してても払う金だからな」
当たり前のような顔をして言ってみたが、やはり結婚して手渡すのと、離婚して口座に振り込むだけでは、気持ちが全然違う。
何より、実感がない。産まれてから一度も触らせてもらうことのできなかった我が子に、十分な愛情を持つことができなかった。けれど、家で顔を合わせていれば、「生きているんだ」「成長しているんだ」と確認することはできたはずなのに。
今はただ、数字だけが俺の親としての唯一の繋がりだった。
「……俺って、何のために生きてるんだろうな」
過去の亡霊に囚われて、今、俺を大切に思ってくれている人さえ大切にできない。本当に、俺ってやつは。
「い~つきくん! どうしたの? 元気ないじゃん?」
「ん? そんないつもと変わんないよ。ちょっと、寒くなってきたなって考えてただけ」
燃えるような暑すぎた夏も過ぎ去り、街の空気が冷ややかな体温を帯びてくる。何もない、この静かな季節が俺は好きだ。
「だんだん人恋しくなってくるよねぇ、この季節は。どう? 今夜、俺を抱き枕にして寝ない?」
「ばーか、何言ってんの?」
相も変わらず、冗談なのか本気なのか飽きもせずに誘ってくる。それでも決して無理強いはせず、ただ穏やかに俺に寄り添ってくれる。本当に、いいやつだよ、だいきは。
「あ! いつきくん、お祭りとか好き? 今度知り合いが露店を出すんだけどさぁ、遊びに来いってうるさくて」
「え、めっちゃいいじゃん。行きたい! 祭りなんて何年ぶりだろう」
「良かった! 俺のことをいつきくんの財布だと思ってくれていいから!」
「ほんと、いい男だな、お前」
「でしょ?」
軽くウィンクして、「じゃあ、また後でね」と格好よく去っていく背中を見る。
好きな人に「好きだ」と告げられなくても、こうして誰かの隣に寄り添って生きるのも、悪くないのかもしれない。
「……りゅうせい、ちょっといい?」
「……もうちょいで終わりますぅ」
「おう」
普段はみんなで一緒になって騒いでいるのに、なんとなく避けられているような気がする。お昼ご飯だって、俺に無理しないで、と気を遣われて二人で食う機会もなくなった。
……でも、これが「仲間」として普通なんだよな。特別な感情を持たせないように、俺がそう仕向けたんだから。
「いつきくぅ~ん! 終わりましたぁ~。誰か褒めて~!」
「よしよし、よく頑張ったな」
「だいきくんじゃなぁい~。じゃあ、いっちゃんでいいからぁ」
「『で』ってなんだよ。『で』って」
相変わらず甘えん坊で可愛い奴だ。でも前なら、真っ先に俺のところへ駆け寄ってきたはずなのに。……なんて、何をセンチメンタルになってるんだ、俺は。
「あ、今度さ。だいきと秋祭りに行くんだけど、2人も一緒に行かない?」
「え、俺も行きたい! いいっすか? だいきくん」
「いいよぉ~! 両手に花じゃん! ワクワクしてきたぁ!」
「バカ、男相手に何が花だよ。……りゅうせいは?」
なんとなくフワッと二人に話を振ったが、最初に食いついたのは、やはりいっちゃんだった。
「ん~……俺、人混み苦手で」
「え、そうなの? 確かにりゅうせいのんびりしてるから、人混みでめっちゃ舌打ちされそうだけど」
「どんなイメージだよ俺! ……え~、でも行きたかったなぁ。また誘ってください」
りゅうせいは、少し寂しげに、けれど優しく微笑んだ。
その笑顔を見ていると、突き放したはずの俺の心臓が、またちくりと痛む。この距離感こそが「正解」だと分かっているのに、どうしてこうも切ないんだろう。
萩原なちち