めも
日記
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自分は特別ではないと今さら気づいた
変わった考えをもっているとか
何かを変えうる力があるとか
無意識のうちにずっと自分が他人や社会から求められているのだと信じてやまなかった。
ニュアンスが難しいけれど
この気づきは別に最低なものではない
もっと言えば
夢から覚めたような気持ちだ
それがいい夢か悪い夢かは置いといて。
このさき、四六時中このことばかりを考えるわけにはいかないが忘れたくはないことだ
私は今絶望を書いているのではない。
ただ私は特別であるはずだと
未来をも変えられるはずだと
根拠もなく信じ込むのはやめようという話である
俺は特別などではなかった
それだけのことだ。
なんなら特別が例外なのだ
多分世の中のほとんどの人は特別ではない
特別ではない同士が愛しあい、支え合ってる
当人からしたらお互いが特別な人だからだ
だから愛はいい。
あなたしかいないなんてセリフを吐けるのは
なんてしあわせなことだろう。
特別ではないということは
求められていないとも言える
誰にかと聞かれたらそれは
知らない人にだ。
一定の人は無意識に自分が特別であると
信じ込む
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言葉や文にするのは難しいが、
特別ではないということは
誰にも見られないということで
だから私は何をしようが、何を言おうが勝手だ。
楽になるおまじないみたいな言葉でもある。
誰からも求められてないからこそ
何をしようが勝手だしどこへでも行けるのだ
それはつまり、私を信じることでもある。
人に求められる自分を捨て、私を、
本当の私を信じることでもあるのだ。
承認欲求はどこから生まれるか
自分は特別だと信じる心からだろう。
無意識による自分への期待が
枷になっている。
いつまでも埋まらない心の穴のように。
承認欲求の強さはそっくりそのまま自分への期待の重さに繋がっていやしないか
人から求められないことは怖いものだ。
でも、人から求められる自分を愛し、自分で自分のことを愛せずに、遂には本来の自分さえ見失ってしまうことの方が怖くはないか
自分が自分である理由を
人に委ねる必要はない。
私は生きてここにいる
虫の声を聴き、風を感じ、空を見上げている
それだけで充分なのだ。