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間に合った。
パタパタと、忙しく、ホールをまわり、頼まれたオーダーをバイト仲間とこなす。色いんなオーダーが来るけど、大体はマニュアル通りだった。
まあ、BLカフェのバイトって珍しいし、こんなものか、なんて思いながら、俺は、忙しくしていた。今日は、特別人が来ている。何でだろうと、ホールで耳を澄ませてていれば、今度ゆず君が出る映画でBLって何だろうって思った人や、元々BLが好きな人が、このカフェで予習をしたい、とのことだったらしい。まあ、増えるよなあ、なんて思ったけど、ここまで一気に増えるものだとは思わなかった。
だって、映画とカフェでのシチュエーションって違うじゃん?
そんなことを思いながら、俺はひとまず休憩に入る。
バイト仲間にジュースを奢って貰いながら、何か連絡が入っていないかなど、スマホを確認する。すると、通知欄に、ニュースが入ってきて、そのニュースには見知った名前が書いてあった。
『祈夜柚、芸能界復帰か』
「ゆず君……」
元々、あまりテレビを見ない人間だったので、ゆず君がこれまでどんなドラマに出ていたのとか、全く知らなかった。でも、こうやってニュースに取り上げられているってことは、ゆず君はかなりの有名人って事になる。そんな人と一緒にいるなんて、矢っ張り可笑しいな、とか、自分は釣り合っていないんじゃないかって自信をなくしてしまう。
前も、今もずっと思っているけど、もし、届けに行ったのが俺じゃなかったら、ゆず君はその届けに行った他の誰かに、BL小説のモデルになって下さいって頼んでいたかも知れない。別に、俺じゃなくても良かったのではないかと。ゆず君のことだから、あの可愛さとあざとさで、誰だって虜に出来るんじゃ無いかとすら思ってしまったのだ。
(……って、なんで俺はこんなにゆず君のこと思ってるの?)
俺は、ただ選ばれた役で、彼の作る物語の一部に過ぎない。
これからどうなっていくか分からないし、本格的にゆず君が芸能界に戻ったら、小説なんて書いている時間なんて無いんじゃないかとすら思っている。そうなったら、俺は用済みなのではないかと。
一年、年が離れているだけなのに、どうして、こんなに違うのだろうかと、不思議に思う。
「……はあ」
ガラにもなく溜息が出て、もう少しで休憩が終わりだと、時計を見る。あと、一時間ほどすれば、バイトは終わる。今日みたいな忙しさが続いたら、ちょっと学業の方に支障が出るかなあ……でも、シフト入れないのもまずいよなあ、なんて思いながら、ホールへ戻った。
ほぼ満席。
けれど、そのホールの中で、見知った紺色のジャージを見つけてしまい、俺は、注文を無視して、その男性の元へとかけよった。
「ゆず君?」
「あっ、バレちゃいました? ウィッグ被ってるから、バレないかなあと思ったんですけど」
テヘペロ、と黒いキャスケット帽子を脱いで舌をちろりと出すゆず君。
何で、ここにいるのだとか、確かに、ウィッグをつけていて、男か女か分からなかったけど、その紺色のジャージはよく見たものだったからすぐ分かった。ううん、多分、そうじゃなくても、すぐに分かったと思う。自慢じゃないけど、きっとゆず君なら何処に隠れていてもすぐ見つけられる。
けれど、何故ここに? という疑問が強すぎて、何も言えなかった。
「注文とかして良いですか」
「え、ああ……うん」
ゆず君が、来るのって、三回目だよな……一回目は、間違え入店だったけど。と、随分と昔のことを思い出していた。昨日のことのように思い出せるけど、あれから、結構時間が経ったと、時の流れの速さを実感する。
ゆず君はメニュー表を見つつ、ある一点を見つめると、綺麗な額に皺を寄せた。パタンと、メニュー表を閉じて、顔を上げる。はじめこそ、ニコッと笑顔を向けていたが、すぐに、憂い帯びた表情で、俺を見つめる。
「先にいっておきますけど、シチュエーションのオーダーはしないです。だって、僕、見たくないですもん」
「な、にを?」
「紡さんが、他の人といちゃついてるところ」
「いちゃっ……」
いきなり何を言い出すのかと思えば、そんなことで、俺は慌てて否定するように首を横に振った。
何だか、勘違いしてしまうそうだったから。
「いちゃつくって、これ仕事だから。そういうBLのお仕事。だから、その……俺の恋人はゆず君だけだから」
「……っ、そう、そーですよね。お仕事だから、仕方ないですよねえ」
と、一瞬目を丸くしたが、すぐに二パッと笑って、ゆず君は「すんませんでした」と謝った。
誤解が解けたなら良いけど、さっきの反応は気になるな、と思わず食いかかってしまいそうになる。でも、注文良いですか、と呼ばれていることに気づいて、俺は、ゆず君に背を向ける。すると、クイッと服を捕まれて、ゆず君の上目遣い攻撃に当てられてしまう。
「バイト終わるの待ってますから。終わったら、店の前で待ち合わせですからね」
「う、うん……」
置いてかないで、みたいな子犬の顔をされて、トスンと、胸を射貫かれる。ああいう所が、ずるいよなあ、何て思いながら俺は、「はーい」と声を上げて、注文を聞きにホールを駆け回った。