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しばらくすると、メンシス様が申し訳なさそうな様子のまま、ぽつぽつと私の置かれた状態を説明してくれた。
私達の誕生日祝いの為、予定よりも早めにシリウス公爵家へ行くと、邸宅内が普段とは少し違っている事に違和感を感じたらしく、彼は人の集まる方へ急いだそうだ。しばらく進むと調理場のある並びの奥の方から笑い声が聞こえてきたが、その様子は到底『祝い事の日だから』といった雰囲気ではなく、どれも嘲りに満ちた笑い声だったんだとか。
人を掻き分けて行くと、調理場の隅で汚水を被ったまま床で意識を失っている私を発見した。すぐに抱え上げ、顔面を激しく損傷している事に気が付いた彼は、急いで応急処置を始めたそうだ。
『何故誰も助けようとはしないんだ!どうして放置を⁉︎』
先程まで笑っていた者達にそう訊いたが、『だって、転んだだけですよね?』だとか『軽い火傷みたいだったんで。でも、水はかけましたよ?』と、悪びれもしていない声だけが返ってきた。これの何処が軽い火傷だ!と怒りが沸いたが、今はカーネの処置が先だと頭を切り替え、すぐに自分が連れて来ていた側近達に指示を出し、医療師を呼んで来させ、私を旧邸の部屋まで運んでくれたらしい。
『——そうだったんですか、ありがとうございます』
笑顔で返そうと思ったが無理だった。痛みは殆ど無かろうが、火傷のせいか表情筋まで死んでいるみたいだ。
『現場に居た者達からは、ケーキを食べるんだと言って調理場に入り、君が勝手に転んでオーブンに顔をぶつけたらしいと聞かされたけど……。真相は、違うんじゃないですか?』
『……ははっ』
訊かれても、乾いた笑い声しか出てこない。真相なんかもうどうだっていい。どうせ現状が変わる事なんか無いのだから。
こちらに話す気が無い事を察したのか、握ったままになっていた私の手を更に強くメンシス様が握ってくる。少し痛かったが、どうしたってあの火傷の痛みと比べてしまうからか、あまり気にはならない。
『君が、自分から本邸に近づくとは思えないんです。今日は祝い事の日だから余計に行きたくなんかないだろうし。しかも普段使っていない調理場に、だなんて。あの一台にだけに偶然火が入っていた事だってオカシイし、オーブンの近くには躓いて転ぶ様な要素は何も無かったから……』
(ちゃんと全てを、冷静に見てくれているんだなぁ……)
私には聖痕が無く、母親殺しの忌み子としてシリウス家の全員から嫌われて冷遇されている事は周知の事実である為、当然メンシス様も知っている。だからか今回のお粗末な流れには違和感しか抱けず、どうにも納得がいかないみたいだ。
(……この人になら、話してもいいかも)
悔しそうに下唇を噛む仕草が演技だとは思えず、私は彼に真相を話してみることにした。
『実は——』
ゆっくりと、出来る限り正確に事の次第を伝えていく。彼は最初、哀切に満ちた瞳をしながら私の話を真剣に聞いてくれていたが、全てを聞き終えた時にはもう、美しい碧眼は心火に染まり、背筋が凍る程の恐ろしさを宿していた。
『そう、か……。あの人が』
自分の婚約者がその様な事をするはずがないと言われるかとも思っていたのだが、どうもそう言い返してきそうな様子は無い。まさかあの容姿のみに惚れているのではと密かに思っていた私の考えは、良いのか悪いのかは別として、少なくとも間違ってはいないみたいだ。
『「三つ子の魂百までも」って遠方の言葉は、本当なんですね……』
頭を抱えてメンシス様が深いため息をつく。私の知らない言葉だったけど、何となく意味はわかる気がした。
『……前々から、あの人が君を嫌っていたり、嫌がらせをしている事には気が付いてはいたんです。だけど他家の私が口を出すのは正直難しい問題で、何も出来ずにいました……。今回の一件だけ取っても、私が医療師を呼んだりした事にすら難色を示していましたしね。まぁ、“聖女候補”の体面は保ちたかったみたいで強くは出て来ませんでしたけど。だけど怪我人を笑い物にしながら放置し、自分は早々に部屋に戻ってパーティーの準備を続けていたり、自業自得なのだからと決めつけて、誰も、医療師も治療魔法の使える神官も呼ばないだなんて、いくら何でも全員頭がイカれているとしか思えない。だからせめて完治するまでだけでも怪我人の看病も出来る侍女を数人置かせてもらう事には、渋々同意させました』
(あぁ、やっぱり姉は嫌がったのか)
他の家族に私が真実を告げ口したとしても、どうせ姉が責められる事はない。あの子は家族から同情さえもして貰えず、嘘つき呼ばわりされて終わりだろうとまでは、姉も予想していただろう。だけど最愛の婚約者様が私の味方をしたとあっては、彼が人として当然の行為をしただけに過ぎなくても、気に入らないと今頃自室で憤慨していそうだ。自分の行いは棚上げして、折角の誕生日パーティーが妹のせいで台無しもなったと怒っているに違いない。
(でも、そっか。メンシス様が来る日じゃなかったら、今もまだ、私は激痛で悲鳴をあげていたのか……)
段々と、今日という日に、姉に告げ口をした者へ感謝したい気分になってきた。それに加え、姉が短絡的ですぐに行動を起こすタイプであった事も本当に助かった。計画的にじわじわ攻めてくるタイプだったのなら、絶対に今日という日を選んではくれなかっただろうから。
『……もっと早く対応出来ていれば跡も残らずに済んだんですが、火傷にかけられた汚水のせいで感染症にもかかっていたし、倒れていた時に重度の火傷の箇所を床で傷付けてしまったせいもあって皮膚組織が破壊されていて、“大神官”や“聖女”でも呼ばないと、治癒魔法ででも元通りには出来ない状態にまで悪化していて……本当に、申し訳ない』
包帯越しに、顔の左側に彼が触れてきた。違和感は多少あったが、痛みはほとんど無いおかげで不快ではない。むしろメンシス様の手の温度が心地よく感じ始め、私はゆっくり瞼を閉じた。
看病為の侍女がついてくれているの期間で、きっとティアンの怒りは落ち着くはずだ。そうなる様にメンシス様も行動してくれる気がする。怪我が治れば元通り……とは流石にいかないが、少なくとも、前よりもっと家内の者達は私を放置してくれる事になるだろう。
(忌み子で、顔に大きな火傷の跡がある様な子供なんて、家族としてカウントすらもしたくないだろうからね)
この五年の間でもう、家族への期待や愛情を欲する気持ちなんて完全に枯渇した。どんなに良い子にしていようが、私が生きているというだけで気に入らない人達を相手に出来る事なんか、息を殺して身を潜めるくらいなものだから。
でも……メンシス様には、ちょっとだけ希望を抱いていた。火傷をしようが、嘘みたいな話を伝えようが、私を信じてくれた彼なら味方になってくれるんじゃって、この時は思っていた。
(これを機に、婚約者を私に変えたりとか……なんて、流石にそれは期待し過ぎか)
包帯越しに感じ取れる体温のせいで、あの日はそんな事まで考えてしまっていた。私が眠るまでずっと、セレネ公爵家が派遣してくれた侍女が到着した後でもまだ、隣に寄り添ってくれていたから……当時の私がこっそりと甘い夢を心に思い描いたのは仕方のない事だったと思う。
——だけど、五歳の誕生日の日以降、メンシス様がシリウス家に訪れる事は無くなった。
派遣してくれた侍女から聞いた話によると、『家業が忙しくなり、訪問する時間が確保出来ない為』との事だった。彼は公爵家の跡取りでもあるから納得は出来る。実際は、多方面から彼の成功談を聞いていた為そうするしかなかっただけ、だけど。
火傷も治り、看病の為にと派遣されていた侍女達がセレネ公爵家へ戻った事で私と彼との接点が完全に無くなると、姉からの風当たりも多少は緩くなった。
だが、彼は徹底して、婚約者である姉との接点すらも切り捨てていた。
私の怪我の状態が落ち着いたと知るやいなや、自分から懇願して得たはずの婚約者の元に顔を出さなくなり、手紙の一通どころか、祝い事があろうがプレゼントの一つも贈って寄越さなくなったのだ。姉がイベント事に参列する際もパートナーを引き受けてはくれず、|アエスト《兄》が健在の間はずっと、ティアンは兄と共にパーティーや茶会に出ていたらしい。
そのせいで私を除くシリウス家の一同からは強い反感を集めたが、それでも姉は初恋の彼を愛し続け、彼と結婚する日を指折り数えて待ち続けた。
当然、婚約者の変更の話もくる事はなく、幼くて未成熟だった私の心は、ゆっくりと彼への失望に染まっていったのだった。