コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「……全員、遺体で発見されたそうです」
そう言われてもすぐには信じられなかった。だって、|メンシス様《彼》の存在を今でも微かに感じられる気がするのに、既に死んでいると言われても納得なんか出来ない。出来るはずがない。
(……だけど、シスさんが嘘をつく訳がない)
ルーナ族であるシスさんと、ヒト族の中でも古参の公爵家の当主であるメンシス様の二人に接点なんかあるはずがなく、そもそもこんな酷い嘘を言う意味も、理由も、必要だって無いからだ。
(じゃあ、本当に……メンシス様は、亡くなったの?)
胸の奥が一気に冷たくなった。体から急速に力が抜け、シスさんの温かな胸の中に倒れ込んでしまう。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ——嘘であって欲しい、生きていて……欲しい。
逢えなくてもいい、何処か遠くででも、とにかく生きていてさえくれれば。
そんな言葉で頭の中が一杯になる。涙がボロボロと瞳から溢れ落ち、次々にシスさんの服に染み込んでいってしまう。だが彼は文句の一つも言わずに私の体を強く抱き締めてくれた。まるで私の中でぽっかり空いた穴を、埋めようとでもしてくれているみたいに。
もう子供じゃないんだ、馬鹿みたいに泣く訳には…… 。だが、悲壮に染まる心のせいで涙が止まらない。せめて声は出すまいと必死に泣き声を堪える。だけど、堪えても、我慢しても、揺れる心はなかなか落ち着いてはくれない。
「うぐっ……んっ……うぅぅっ」
私の“初恋”との決別は苦しみに満ちたものとなった。
それなのに……心の何処かで、『これでメンシス様は、誰のモノにもならないんだ』と安堵していた。あんな家で育って、何度も家族に殺されて死に戻りを経験し、そんな自分の心が……真っ当な訳がなかったのだと痛感した瞬間でもあった。
泣いて、泣いて、泣いて。この先の人生の分までも全て瞳から流し切ったのではと思うくらいに泣き明かしたおかげか、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。全てはシスさんのおかげだ。もしも彼が居なければ、彼への恋心を今尚持っていなければ、きっと私の心は既に粉々に砕けていた事だろう。
「…… 」
何も言わず、でも少し心配そうな表情でシスさんが私の頭を撫でてくれた。
「すみません。ご迷惑をお掛けしました」
少し掠れた声でそう言うと、「喉が渇きましたよね?お水をどうぞ」と、氷と水の入ったガラスのコップを差し出してくれた。『いつの間に?』と一瞬思ったが、魔法が巧みな彼なら容易いかとすぐ腑に落ちた。
礼を伝えて一口飲む。ひんやりとした水が喉を通り、泣き過ぎて火照った体にじわりと染み込んでいく。その感触がとても心地良い。おかげで少し冷静になってきた。
自分の中で“メンシス様”の存在がいかに大きかったのかが、今回の件で痛い程にわかった。 わかってしまった。『 ……これではもう、いくら今はシスさんへの恋心も胸にきちんと抱いていようとも、厚かましく傍に居る事なんか出来やしないな』と強く思う。彼は心の整理がつくまでいくらでも待つと言ってはくれていたが、こんな結果になってもまだ“初恋”を捨てきれない私では、いつまで経ってもシスさんの想いには応えられない。時間は有限だ、彼を無駄に待たせ続ける訳にはいかない。それによって、いつかシスさんが、誰かと恋に落ちる姿を見ることになったとしても……。
(い、言わないと、ちゃんと——)
空になったガラスのコップをシスさんが阿吽の呼吸で受け取ってくれた。
どう話せばいいのかも浮かばず、私が逡巡していると、「……どうかしましたか?」と穏やかな声で訊かれてしまった。言わない訳にはいかない。流石にもう、なあなあにして逃げる気はなかったが、勝手に追い詰められた様な気分になってきた。
「あ、あの」
「——ん?」と可愛く首を傾げられ、容易く心が揺れる。弱りに弱っているからか、シスさんの愛らしい仕草は水を飲んだ時みたいに心に優しく染みていった。
「契約時の約束を破ってしまい、すみませんでした」
深く頭を下げて、まずは改めて謝罪をする。
「それで、あの……私はもう、此処を出ようかとおも——」まで言った声を、「何故?」と語気強めな声で遮られた。
「あ、えっと、契約違反をしてしま……あ、いえ、その……」
(いいや違う。ちゃんと、ちゃんと本当の理由を言わないと、駄目だ)
「……こ、このままでは、シスさんの気持ちには応えられないと思ったからです。今回の一件で、私は……自分の中にある初恋の重たさを痛感してしまいました。彼は……亡くなり、ましたが、それでもきっと……いいや、だからこそ、かな。私は、一生彼を忘れる事が出来ないと思うんです。そんな私が、誰かの想いに応えるだなんて、すごく失礼だと思うので……」
「別にいいじゃないですか。誰かを好きなままであろうが、今の気持ちに正直になったって」
「……」
「あ、でも別に、二股を推奨するって意味じゃないですよ?」
あっけらかんとした顔で言われて拍子抜けしてしまった。そんな私を他所に、シスさんがニコリと微笑んだ後、私の左手を優しく取って口を開いた。
「僕にも……忘れられない人がいます」
急にそんな話を聞かされてぽかんとする私を気にする事なく、シスさんは瞼をゆっくり閉じ、胸に手を当てて言葉を続ける。
「もう……随分と前になります。——本当に、とても大事な人でした。ですが……その人は、心無い者達に殺されてしまいました」
「え……」
掛ける言葉が何も見付からない。大切な人が殺された、とか……メンシス様の件と状況が重なる。こんなに明るくて穏やかなシスさんが、過去に私と似た経験をしていたのかと思うと驚きを隠せない。
(一体、どうやって乗り越えたのだろうか)
「助けようも無いタイミングで訳も分からず殺されて、血肉さえ残らずにバラバラにされた遺体は引き渡されもせず。——そんな別れ方だったからか、今でもあの時に抱いた負の感情は胸の奥に残っています。……忘れる訳がない、忘れられる訳がない」と口にし、シスさんが自身の胸元をギュッと強く掴んだ。
「それからはずっと暗闇の中を黙々と、ただ時が過ぎ去っていくのを待つだけの様な人生でした。仕事ばかりして、他には何も目もくれず。でも僕は、貴女と出逢って、やっと楽に息が出来るようになったんです。穏やかな日常がいかに幸せかを知ったんです」
苦しそうに掴んでいた胸元から手を離し、両手で私の手を優しく包む。指先で軽く肌を撫でられると少しくすぐったい。
シスさんの言葉に共感しか出来ない。私もだ、目の前の生をこなす事で精一杯だったのに、此処に来て、彼に出逢って初めて『生きている』と感じられた。幸せだと思えた。優しさに縋り付いていただけだった“初恋”よりもずっと、大きなものを得た気さえする。だけど……苦しかったあの頃に差し出された手の温かさも忘れる事なんか出来ない。
でもシスさんが、本当にこのままでも良いと思ってくれているのなら、私は——
「私は……本当に、あの人を忘れなくて、いいんですか?」
「むしろ忘れないであげて下さい。彼への想いが貴女を支え、今の貴女を形作ったんでしょうから」
不安気に揺れているであろう瞳を真っ直ぐに見詰め、シスさんがゆっくり頷く。嘘偽りなんかちっとも感じられない。本当に、心からそう思ってくれている様な笑顔だ。そんな表情を前にして、ブワッと胸の奥から熱い想いが溢れ出てくる。“初恋”の相手を失った苦しみすら塗りつぶし、彼を強く、深く想う気持ちだけで満たされてしまった。
(どうしてこの人は、私が欲しい言葉ばかりをくれるんだろうか)
嬉しくって堪らない。繋いだ手からシスさんの強い想いまで感じられる。綻んだ口元には優しさが滲み出ていて、心から今この瞬間は、ちゃんと目の前の『私』の事を愛してくれているのだろうと信じられた。
(お互いに忘れられない相手が居る者同士なら、気持ちを汲み取りあっていけるのでは?)
そんな淡い期待が心に宿る。
「……僕は、貴女を心から愛しています。改めて今一度言います、結婚を前提に、僕と付き合ってはもらえませんか?」
長い前髪の隙間から見える碧眼が揺れている。また断られるのでは?と不安で仕方ないのかもしれない。だけど私の心の内はもう決まっていた。
優しく包んでくれている彼の手からゆっくり手を抜き、逆に私がシスさんの手を上から包んだ。泣き過ぎて腫れた瞳のまま努めて笑顔を作り、深く頷く。
「はい。喜んで」
そんな短い言葉を添えて。するとシスさんが私の体をギュッと抱き締めてきた。背中に逞しい両腕を回し、私の細い肩に顔を埋めている。
「とても、嬉しいです……」の後に「ありがとう」の言葉を付け加え、彼はただただずっと、私を抱き締め続けた。窓の外で一瞬、大きな猫と小さな猫が嬉しそうな顔でこちらを見ていた気がしたが、次の瞬間には消えていたから気のせいだったのかもしれない。
半月後。驚く事に私達は夫婦として籍を入れた。交際期間はかなり短かったが、彼の押しの強さに負けた感じで。
聖女となれる資格を勝手に放棄した私はテラアディア様を祀る神殿には行けないし、ルナディア様を信仰するシスさんもこの国の教会では式を挙げる気は無いとの事で、きちんとした結婚式は挙げていない。だけど、シェアハウスの庭で披露宴だけはおこなった。此処の住人の方々とシスさんの知り合いの人達、他にも近くの商店街で働く面識のある人達を呼んで。それにはひっそりララも参加してくれ、隣には微かに見覚えのある大きな黒猫も居た。まともなパーティーなんか初めてで緊張したが、とても楽しかった。
それから二年後には子供も宿った。シスさんと同じルーナ族でもあるお医者様の見立てでは男の子と女の子の双子だそうだ。丁度シェアハウスから二人が退去し、その部屋は子供部屋として改装する事になった。住人として残っているテオさんとリュカさんは子供が好きらしく、同じ階に子供部屋があっても良いと快諾してくれたそうだ。生まれるのが楽しみだと、叔父や祖父みたいな勢いで赤ん坊の品を色々と買い揃えたりまでしてくれた。
同時期に商店街の一角に建物を借り、看板の無い、知人達だけを相手にしたカフェをシスさんはオープンさせた。店内の一角には専門職の人を常駐させた託児スペースと遊具でいっぱいな裏庭まで作り、将来的に私達の子供の友人となってくれるかもしれない子達が次々と預けられ、子供で賑わう素敵な店となった。
このくらいの時期から何故かララの姿を見なくなった。寂しいが、もう私には、助けはいらなくなったと彼女が判断したのだろう。
数ヶ月後。無事に子供が生まれた。予定通り双子の赤ちゃんだったのだが、猫の様な尻尾と耳がある子達だった。
『僕らは別に、親と同じ種になるとは限らないんですよ。個々の個性がそのまま影響し、どの種になるかが決まるんです。僕はルーナ族で唯一の狼種なんですが、やっぱり子供にも遺伝はしなかった様ですね』とシスさんが言っていた。
黒と白の毛色。青い瞳と赤い瞳を持つ二人。特に白い毛色の赤ん坊はララにそっくりだった。話せる様になった頃には私を『カカさま』と呼ぶ様になり、余計にその姿が白猫のララと重なる。
……急に、幸せな日々のそこかしこに綻びを感じた。
この子達には、シスさんには、何か大きな秘密があるのでは?と。
シスさんと親しそうな人達はどこか上司と部下みたいな雰囲気があったり、妙にルーナ族のヒト達が周囲には多かったり、とてもじゃないが赤ん坊とは思えない程に我が子達が大人っぽかったり。——だけど私はそれらの綻びからはそっと目を逸らした。目の前にある幸せが、今の私の全てなのだから、瑣末事でそれらに水を差す様な真似をする気は無い。
シスさんが私を深く愛してくれている。
可愛い子供達が側で愛らしく笑っている。
そんな彼らを私も愛しているから、傍に居られればそれで良い。私には言えない何かが彼らにはあっても、きっとそれらは私の為なのだろうし。
心から、魂すらも癒されるみたいなこの日常を壊そうとしそうな者達は、きっともう何処にも居ない。やっと私は、『いつか誰かに奪われてしまった本来なら過ごすべきだった日々』を、ずっとずっと渇望していた平穏を、手に入れられた様な気がする。
【完結】