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煙草は体に悪いから吸ってはいけないと言うけれど、ただ健康に悪いからだろうか……?
元々私はヘビースモーカーで、1日2箱は最低でも吸っていた。これは煙草にまつわる体験談。
ちょうどその頃離婚済みで、ネットで知り合った趣味の界隈の年下男性と、会った事はないがその距離感がちょうど良く遠距離恋愛を楽しんでいた。以後、彼をTとする。
Tは束縛心がかなり強く、最終的には変わった性癖暴露で娘がいる私にはちょっと無理だ……となって別れ、その後もTを含み色々と心霊体験もあって今の夫と知り合って付き合う事になるのだが、問題はその別れた後だった。
向こうはおそらく腑に落ちない別れ方だったのだろう。しばらくの間幾度となく生霊を飛ばしてきては、夫が弾き返している日々が続いた時期がある。
Tは元々絵描きを趣味としていて、かなり上手かった。某有名なホラー系のゲームを一緒にやっていた時、その中のお気に入りのキャラを描いてくれていた。そのキャラというのが、中世の紳士をイメージしたようなものだった。この話を読むにあたり、それを覚えておいて欲しい。
別れた後で今の夫と付き合い始めて間もない頃、夫が煙草を嫌う為、吸う時は外で灰皿を持参して吸っていたのだが、何となく吸うタイミングとして夜が多かった。
子供が寝た後の至福のひとときみたいなもので、数本まとめて吸っては家に入りシャワーを浴びる、というのが日課だった。
あの頃の夫は遅番だった為、毎日夜遅くに帰って来ていた。
ある日いつも通りに煙草を吸っていた私は外で帰宅した夫と鉢合わせしたのだが、その時彼はとても慌てた様子で、まだ吸い切っていない煙草を取り上げるようにして私を玄関へと押し込んだ。
当然「どうしたの?何慌ててるの?」と聞くが、彼は黙って少しだけ玄関のドアを開けて外を伺っている。
誰もいないのを確認したのか、ドアを開いたまま彼が振り返り、「……なんでもない、大丈夫」と返答した瞬間、ドアの隙間に物凄い形相の男の顔が見えて私は飛び上がり、夫もそんな私を見て驚いたのか勢い良くドアを閉めた。
ガン、ガン、ガン!!と何か固いものでドアを叩くような音が外から聞こえる。ただ、叩いているシルエットが見えない。高身長の黒い影だけは磨りガラスに映っていた。
5回ほど響いた音はパタリと止み、私と夫は顔を見合せた。
「……何あれ、不審者?通報した方がいい?」
「いや。あれ生きてないよ」
「えっ、あんなハッキリ見えるのに?」
驚く私に、夫は靴を脱ぎながら溜息混じりに言った。
「バス降りてからさ、ここに来るまでの道中の電柱にフードを被った黒い服の男が立っていたんだけど、少しずつ電柱から電柱に向かって瞬きと同時に移動してたんだよね。向かってる方向がここだったから嫌な予感はしてたんだけど。俺がアパートの階段を上がった途端に、アレが急に形相変えてすんごい勢いで走って追って来たから、流石にやばいかなって」
夫が言うには、彼を追って来たというよりも私の自宅を探して彷徨っていた様子だったそうだ。
「なんか知らないけどめちゃくちゃ怒っててさ。気配が多分、雪ちゃんの元彼だったと思うんだよね。俺もちょっとしか確認出来なかったけど」
家の中にまでは入って来れない様子だったらしく、夫は家の周りに結界を張った。
「これでしばらくダイレクトに霊障は受けないと思うけど……雪ちゃん、外で煙草吸うの禁止ね」
「えっ」
「雪ちゃんが煙草吸うとさ、何でなのか分からないけど、めちゃくちゃ霊体が寄ってくるんだよね。吸ったら家の前に行列出来てるからすぐ分かるんだ。家の中で吸うのもダメだよ。煙で寄って来てるみたいだから」
「えっ」
唐突に終わりを告げた私の煙草ライフ。凄く腑に落ちなくて猛抗議した結果、彼は渋々折れてくれた。
「……煙草の何がそんなに良いのか全く分かんないけど。そこまで言うなら吸う時は俺玄関にいるから、ドア開けといてね。……ていうか、全部視えるようにしちゃえばいいか」
最後の台詞が不穏だったが、夫は私の頭をポンポンと叩き、『煙草を吸う時は夫が真後ろにいる時限定』という約束を取り付けた。
私は吸えれば何でも良かったので、翌日から約束通りに夫が帰宅して、彼が真後ろにいる状態で吸うようにしたのだが。
まず、煙を吸って吐いてを繰り返しているうちに、タッタッタッと遠くから何かが駆けて行くような音が聞こえ、それが段々と近付いて来る。
アパートの裏手に空き地があるのだが、空き地の砂利を蹴散らす音が響いて何かと思っていると、アパートとアパートの間から四足歩行で駆けて来る骨張ったガリガリの餓鬼のようなものが2体、私の目の前を通過して行った。
「……え、何今の」
「何だろうね?多分、人が餓鬼って呼んでる類かな?」
「何であんなの視えるの!?」
「視えるようにしたから」
呆気に取られていると、煙草の灰がぽとりと足元に落ちた。
「視えるようにしたって、何?」
「さっき言ったと思うんだけどなぁ……雪ちゃんの視えてるモノの範囲が分かんないから、全部視えるように開花させちゃえ!って」
「えっ?さっきのあの頭ポンポンが霊感スイッチだったの!?」
とんでもない話を、後ろでニコニコと説明する夫。
まず、夫の視えている世界観は私より幅広いようだ。稀に、霊感を移せる人がいるのは知っていた。高校の時にも同級生でそういう子がいたからだ。ただし夫の方が格上なんだなと、その時改めて実感した。
そしてこのポンポンが原因かは知らないが、この後より一層、私は色んなモノが視えるようになった。
ある時は、上半身だけの血塗れの女がこっちに向かって腕だけで走って来たり。
またある時は、顎がだらりと垂れる程口を開いて「オ゛ーーー」と野太く低い声をずっと発しながら、腕は気をつけの姿勢のまま、足だけを異様にブンブン上下に振り、異様な速さで目の前を通過する男がいたり。
そしてある時は、裂けた口からケタケタと笑い声を発しながら、下半身は一切ブレずに上半身だけ左右に大きく振り、真っ裸でこちらへ寄って来ては、夫が張った結界に弾かれ、それでもめげずに何度も結界に頭を打ち付けて壊そうとする異形がいたり……。
「……雪ちゃんも、めげないねぇ」
単眼の異形がガンガンと結界に頭を打ち付けている中で、頬杖をつきながら夫が背後で呟いた。
「流石にこんだけ視えたら普通は怖がって煙草やめようってなると思ったのに」
どんな怖い異形が来ようとも、正直私にとってはニコチン依存症の方が勝っていた。
「やっぱ心霊大好きな雪ちゃんに、現物視せたくらいじゃダメかぁ」
半ば諦めるような声音と、ガンガン打ち付ける音が響く。そんな中で意地でも煙草を吸う私。
「でもね、雪ちゃん」
夫がピンと指を弾くと、目の前で結界を破ろうとしていた異形が「ギャッ!」と短く叫び、そのまま後ろに弾き飛ばされていった。
「明日だけはダメだよ。俺も仕事終わるの遅いし、何かあってもすぐ対応出来ないかもしれないから、1人で勝手に外出ない事。約束してね」
ニコニコと言いつつも、あまり目が笑っていない。「あ、これはガチなやつだ」と私は直感で思った。でも何故明日に限ってダメなのか、その理由は教えてくれない。
そして残念な事に私は翌日、普通に約束を忘れて子供が寝た後で1人、夫の帰りを待ちながら煙草を持って外に出た。
初夏にしてはやけに冷たい空気が漂っていた。
もうそろそろ夫の乗るバスがバス停に着く頃だ、などと考えながら私はマッチを擦った。
何故かライターで火をつけるのを夫が嫌がっていたのと、職場の先輩がマッチで火をつけた方が美味しいと言っていて、いつしか私はマッチを使うようになっていた。
ボワッと小さく周囲が明るくなると同時に、私の右背後に何かの気配を感じる。
その瞬間、妙な風が吹き上げて火が掻き消えた。
「あー……1本無駄にしちゃった」
再度マッチを擦ると、周囲が再び明るくなる。足元に無造作に置いてあった煙草を手に取ろうとして、視界の右下に黒い革靴が見えた。
驚いてパッと顔を上げれば、のっぺりとした白い面と中世の紳士が着ているような黒衣を身に付け帽子を被り、手に杖を持った外見の背の高いものが立っていた。
日本でまずコスプレ以外で見ることはないであろう外見に、私は硬直していた。
最初に浮かんだのは、Tが描いていたキャラだった。まさにあのキャラそのものが、煙を纏うようにして立っている。異様な光景だった。
そしてソレを認識した途端、ふわりと私のではない煙草の臭いが鼻腔を突いた。
過去に自分の味覚に合う煙草はどれだろうと、コンビニに売っている既存の煙草は全種試していた私には分かってしまった。
Tが愛用していた煙草の臭いだ。別れる間際までTに言われて吸う煙草の銘柄を指定されていたので、間違えるはずはなかった。
「Tの生霊かもしれない」と直感が告げた時、マッチの火が風に攫われて再び消えた。
それと同時に、白い面が屈むようにして近付いて来る。骨張った白い手が伸びてきて、私の肩を掴んだ。
ーーー掴まれた所まではしっかり覚えている。
その後急に視界が暗転して、まるで撮影しているカメラをその場に落としたように地面に伏した。
地面は冷たく、酷く寒かった。ガチガチと歯が鳴る程震え出し、目は開いたままで硬直状態になる。やがて視界がぼやけて、だんだんと意識が薄れていった……。
次に目覚めた時には、血相を変えた夫が私を揺さぶっていた。
「約束破ったでしょ!!」
かなり御怒りの彼は煙草のケースごと踏み付けて、開口一番にそう言った。
「……あれ?さっきの黒い奴は?」
「消したよ!!木っ端微塵に吹っ飛ばした!!昨日から来るの分かってたから、ちゃんと外には出るなって言ったのに!!危ないから!!」
「えっ、分かってたなら言ってよ」
「詳しく言ったら雪ちゃんの事だから興味本位で外出ちゃうしょ!!」
彼は私をよく理解しているなぁ、とぼんやり考えていた。
「全く!こんな深夜に玄関のドア全開で倒れてたら空き巣が入り放題でしょ!!」
私の頬を両手で潰しながら、物凄く真っ当な説教が始まった。2歳年下から本気で怒られていた私は「どっちが年上か分からないなぁ」と悠長に思っていた。
「聞いてるの!?」という怒号と共に途中から頬がぺしゃんこになった。
「何回も視てると思うけど、雪ちゃんが煙草を吸うと寄ってくるの、人外が!異形、生霊、死霊……種類関係なく、人外が!!何でか知らないけど!!今回のだってTの生霊が憑依しちゃってたし!!普通に危ないから!!雪ちゃんTの波長と合いやすいんだから、持ってかれるの!持ってかれそうになってたの、さっき!!」
原型がなくなるくらいぺしゃんこになりながら喉で「はい」「まじか」「そうだったのか」と返事する私。
どうも霊障で倒れた直後に、運良くバスを降りて夫が帰って来たようだ。時間でいえば私が意識を手放していたのはたったの5分かそこらだったようだが、玄関先で私の倒れている姿が見えて心底慌てたと言う。
夫が張っていた結界は、彼が不在中に私が煙草を吸う事で、強い霊体が寄ってきた際は割られる危険性があり、それ故に禁止していたそうだ。
「ちょっとは危機感を持って!!!」
相当激怒した様子で彼は煙草と灰皿をゴミ箱に投げ捨てた。マッチは捨てずにキッチンに戻された。
「今後はこの煙草絶対禁止!煙の臭いで寄ってくるから!吸うなら俺がいいよって言ったやつだけ!」
約束!!と小指を突き出す。
「この約束は『重い』からね」
そう言って小指を絡めた。
以後、夫との心霊体験で時折出てくるであろうこの『重い約束』は、破ると本当に心霊被害が出るものだ。
夫自信と約束しているというより、彼に守護として憑いている狐との約束、と言った方がいいかもしれない。
本当に『罰当たり』という表現がぴったりな程に実害が出るので、その辺の心霊体験より『約束』を破った時の方が私は怖いと思っている。
試しに何度も約束破りをしてみては、霊障に遭っている私が言うので間違いない。その度に夫(狐)から激怒されている。
しばらくの間は彼が選んだ煙草を吸っていたが、最後はもう半ば強制的に、私の煙草ライフは本当に終了する事となった。
あれから何度か「吸いたいなぁ~」と思う事はあったが、あれだけヘビースモーカーだったのに、今では何故か吸いたい欲も一切湧かない。
というより、吸ったら必ず何かしら悪いものが寄ってくるというのを身を持ってして体験したせいで、体が自然と拒絶しているのかもしれない。
もしも私と同じように、煙草の臭いで異形なものが寄って来る実体験をした方がいるなら、是非とも話してみたい。そしてこっそり一緒に煙草を吸おうものなら、約束破りもあい極まって、心底怖い体験が出来ると思う。