テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
まるで、違う世界にでも迷い込んでしまったようだった。
これまで何度もお借りした、すっかり見慣れた空間であるにも関わらず。
「葵のやつ、一体何を考えてるんだよ」
そう独りごちると、僕の声があの独特な反響をして、そのままの形でこちらに返ってきた。
今、僕は葵家の浴室の中にいる。学校で使う水着を着用し、湯船に浸かりながら。
「いくら恋人同人とは言っても、さすがに『コレ』はマズいんじゃないかな……」
そう。葵が求めてきた『ご褒美』。それは、僕と一緒にお風呂に入るというものだった。
それが何の意図によるものなのか、今の僕には理解することができていない。様々な感情や思考が絡み合って、こんがらがった糸のように上手く解くことができないんだ。
確かに僕自身、いつかこういう日が訪れるであろうことは分かっていた。僕と葵は『幼馴染』から『恋人』という名の関係に変化したのだから。
でも、それがあまりにも唐突だったために、未だ心の準備もできていない。もちろん、覚悟も。
「アイツ、ちゃんと着てくるよな……」
一応、あれだけしっかりと伝えたんだ。水着を着用して入って来てくれるはず。でも、一抹の不安が心をよぎるんだ。今日の葵の様子を見ていると否が応でも。
一体、葵は何を焦っているんだろうか。
「ゆ、憂くん。は、入るからね」
脱衣所から聞こえてきた葵の声。心なしか、少しそれが震えているように感じた。
「わ、分かった。あのさ、葵。ちゃんと水着着てきてるよね?」
「あ、当たり前でしょ。だって、着てなかったら、私……。ううん、なんでもない。そ、それじゃ、お邪魔します」
浴室の扉がガラガラと音を立てて開かれる。そして、その向こう側にはスクール水着姿の葵が立っていた。それを見て、僕は少しだけ安堵。もしも水着を着ずに入ってきたりしたら、僕はその場で卒倒する自信があったから。そんな自信いらないけど。
でも、葵のその姿を見ただけで、僕の心臓が波を打った。
考えてみたら、スクール水着を身に付けた葵の姿を見たのも数年振りだった。中学生になってからはプールの授業は男女別々になったから。
胸の膨らみ。腰のくびれ。真っ白で粉雪のような、柔らかそうな太もも。僕の知っている葵の姿とは全く違っていた。当たり前だ。僕が最後に見た葵の水着姿は小学生の頃だったし。成長していて当然だ。
「ご、ごめん!」
何故か、僕はそう謝って葵の姿を見ないように湯船の中で背を向けた。これ以上見ていたら、男としての針が振り切れてしまいそうだったから。あまりの可愛さ――いや、美しさか。水着を着ていても分かる。葵のスタイルは、完全に大人のそれになっていた。
「……憂くん、なんでそっち向いちゃうの?」
「べ、別に。察してくれよ」
「察してって……。私、鈍いのかな。そう言われても、なんか――」
なんか寂しいって感じるだけなの、と。葵は言の葉を口にした。声に寂寥感を滲ませて。
「じゃあ、私も……」
湯船が波を打ったことで、葵が入ってきたことが分かった。たったそれだけのことなのに、僕の思考は全てを持っていかれてしまった。
チラリ、と。少しだけ葵の様子を見やった。彼女もまた、僕と同じように湯船の中でコチラ側に背を向けている。そして伝わってくる、葵の緊張感。自分が望んだ『ご褒美』にも関わらずに。
張り詰める、浴室内の空気。
呼吸ができなくなる程に酸素が薄く感じてしまう。
きっと今、葵も同じように思っていることだろう。
『第27話 葵と秘め事【2】』
終わり
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!