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第四十二章 心拍上昇中
ナースステーションへ入った瞬間、ひんやりした冷房の風が火照った頬を撫でた。
昨夜の春嵐が嘘みたいに、窓の外には眩しい朝日が広がっている。
雨に洗われた若葉がきらきら光っていて、湿った風の匂いだけが、まだ季節の名残を残していた。
春は、もう終わりかけている。
白衣姿の看護師たちが忙しなく行き交う廊下。
モニター音。
申し送りの声。
淹れたてのコーヒーの匂い。
病院の朝は、いつだって止まらない。
「おはよ、翔太くん」
「おはようございます!」
思ったよりちゃんと声が出て、自分で少し驚いた。
胸ポケットには、外泊許可証。
まだ少し怖い。
でも――今日は、逃げたくなかった。
ラウ🤍「佐久間さんの外泊の件どうなってる?」
ビクッと肩が震えた。胸ポケットの許可証に自然と手を添えた。
翔太💙「遅くなってすいません……今日、必ず許可貰ってきます」
ラウ🤍「患者さん第一に――」
そう言って、そっと背中へ手を添えたラウール先輩は、笑顔のまま小さくウインクした。
なんとなく心の中まで見られている気がして、思わず視線を逸らす。
優先すべきなのは、患者さんのこと。
分かっていたはずなのに。
亮平と蓮、考え方の違うふたりの間で揺れることばかり考えて、一番向き合わなきゃいけない人から、目を逸らしていた。
処置ワゴンを押して廊下を歩く。
カラカラ、と軽い車輪の音が、忙しない朝の空気に溶けていく。
昨夜まで胸の奥に張り付いていた重さが、少しだけ薄れている気がした。
その時だった。
ふわり、と甘い花の香りが鼻先を掠める。
思わず足を止めた。
開きっぱなしの病室の扉。
中を覗き込むと、窓際に置かれたガラス花瓶へ、淡いクリーム色の薔薇が数本活けられている。
初夏の光を浴びた花弁は、柔らかく透けて見えた。
翔太💙「……綺麗」
思わず零れた声。
その瞬間。
涼太❤️「翔太?」
病室の奥から聞こえた声に、肩が跳ねる。
涼太❤️「随分と軽快に鳴らすんだね?」
翔太💙「えっ?」
涼太❤️「変わらないね?足音で分かっちゃうよ。翔太が元気かどうか」
翔太💙「……足音で?」
思わず聞き返した。
涼太はしまったみたいに少し目を細めると、〝ん?あぁ……なんとなくね〟なんて言って、笑って誤魔化された気がした。
翔太💙「俺、そんな分かりやすいですか?」
涼太❤️「分かりやすいよ」
即答。
涼太❤️「元気ない時は、足音ほとんどしないし」
翔太💙「……え」
涼太❤️「逆に今は、ちょっと浮かれてる音してる」
その瞬間、昨夜のことを思い出して、熱が一気に頬へ集まった。
翔太💙「ち、違います!」
涼太❤️「ふふっ、何が?」
何故だか全部見透かされているような、そんな気がして、足早に部屋を出た。
そんな翔太の背中に〝また後で寄ってね〟と言った、涼太の声は楽しそうだった。
――
コン、コン、コン。
翔太💙「?」
静まり返った病室。
2,407
遥 ℎ𝑎𝑟𝑢𝑘𝑎
240
カーテンが風に揺れて、香水の香りが鼻を掠める。
翔太💙「……失礼しまっ……」
ベッドのリクライニングが上がったまま、佐久間は心地良さそうに眠っていた。慌ててワゴンを押す手を止めると、拍子にカートからトレイが落ち、ガシャンッと大きな音を立てた。
大介🩷「お前……」
翔太💙「すいません……起こしちゃいましたね」
大介🩷「なに?」
翔太💙「ごめんなさい……バイタルチェックです」
大介🩷「あっそ」
起こされたことに相当ご立腹なのか、佐久間は腕組みをすると、外に視線を送り静かに目を閉じた。
翔太💙「えっと……昨夜は眠れましたか?」
大介🩷「寝れなかったから、今寝てたのに、お前に起こされた」
翔太💙「すいません……眠れないと辛いですもんね」
昨夜、眠れなくて廊下を彷徨っていた事を思い出した。
誰かのぬくもりを探した夜。
翔太💙「あー……添い寝しましょうか?」
ぽろっと零れた言葉に、
病室の空気が、一瞬止まった気がした。
大介🩷「……はぁ?」
片目だけ開けた佐久間が、呆れたみたいに深く息を吐く。
窓から入り込む初夏の風が、揺れたカーテンをゆっくり膨らませた。
大介🩷「お前、急に何言ってんの」
翔太💙「え?」
本気で分かっていない顔。
佐久間は数秒黙ったまま、ベッド柵へ頬杖をついた。
大介🩷「いや、“え?”じゃなくて」
翔太💙「眠れない時、人肌あると落ち着きません?」
さらっと返された言葉に、今度は佐久間が完全に黙る。
時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえた。
大介🩷「……お前さ」
翔太💙「はい?」
大介🩷「今日なんか変」
ギクッと肩が跳ねる。
胸ポケットの上から、無意識に外泊許可証を押さえていた。
大介🩷「なんかあった?」
翔太💙「な、何も……」
反射みたいに返した声が、少し裏返る。
佐久間はそれを見て、小さく喉で笑った。
大介🩷「嘘下手」
翔太💙「……」
大介🩷「で?」
翔太💙「え?」
大介🩷「添い寝、誰にしてもらったわけ?」
翔太💙「っ!!?」
翔太💙「……添い寝、嫌いですか?」
大介🩷「嫌いとかそういう話じゃねぇだろ」
翔太💙「でも、眠れないんですよね?」
佐久間は、じっと翔太を見る。
その目が、
“こいつ本気で言ってる”
と理解したみたいに、少しだけ呆れた色を帯びた。
大介🩷「お前、患者に距離近すぎ」
翔太💙「え……?」
大介🩷「そういうとこ」
翔太💙「……でも、眠れないの辛いじゃないですか」
真顔。
あまりにも真っ直ぐ返されて、佐久間は数秒黙ったあと、小さく吹き出した。
大介🩷「……変なやつ」
翔太💙「で、添い寝しなくていいんですか?」
大介🩷「する流れになってんの?」
翔太💙「嫌ならしません」
大介🩷「……」
翔太💙「でも、寝れるかもですよ?」
佐久間はしばらく翔太を見て、諦めたみたいに息を吐いた。
翔太💙「5分で足ります?」
真顔。
佐久間は数秒黙ったあと、堪えきれないみたいに眉間を押さえた。
肩が小さく震えている。
大介🩷「……お前、マジで言ってる?」
翔太💙「? はい」
迷いゼロ。
その返事に、とうとう佐久間は低く吹き出した。
大介🩷「ほんと変なやつ」
翔太は意味が分からないまま、ベッド脇へ腰掛ける。
マットレスが小さく沈んだ。
翔太💙「電気、消します?」
大介🩷「いや、五分で寝れるわけ——」
ガラッ。
亮平💚「お前ら何してんの?」
翔太💙「っ!!」
空気が、一瞬で凍る。
大介🩷「……ほら来た」
呆れた声。
亮平はベッド脇の翔太を見るなり、盛大に顔をしかめた。
亮平💚「患者に添い寝しようとしてる看護師、初めて見たんだけど」
翔太💙「ち、違っ……眠れないって言うから……!」
亮平💚「だからって添い寝で解決しようとするな」
大介🩷「俺は別に困ってない」
亮平💚「佐久間は黙って」
亮平の視線が、ベッドへ沈んだマットレスと、その縁へ腰掛ける翔太をゆっくり往復する。
それから、胸ポケットの外泊許可証へ落ちた。
亮平💚「……で?」
翔太💙「あ」
亮平💚「早く許可もらってこいよ」
ニコッと笑ってるのに、全然笑ってない。
亮平💚「次から佐久間のとこ行けば?」
翔太💙「……え?」
突然名前を出され、翔太は本気で意味が分からない顔をした。
佐久間は数秒黙ったあと、ゆっくり亮平を見る。
大介🩷「……なんだよその言い方」
亮平💚「別に?」
さらっと返しながら、カルテをめくる指だけが妙に雑だ。
大介🩷「地味に感じ悪いな、お前」
亮平💚「そう?」
そこで初めて、亮平が顔を上げる。
視線だけ、ベッド脇へ座る翔太に落ちた。
亮平💚「翔太、“眠れない人放っておけない”みたいだから」
翔太💙「え……?」
意味が分からないまま、翔太だけきょとんとしている。
佐久間はその顔を見て、とうとう吹き出した。
大介🩷「ははっ……なるほどね」
翔太💙「な、何がですか?」
亮平💚「別に」
即答。
でも、口元だけ笑っていて、目は全然笑っていなかった。
大介🩷「で?昨夜はちゃんと寝れたわけ?」
その瞬間、翔太の肩がぴくっと揺れる。
亮平は何も言わない。
ただ、無言のままカルテへペンを走らせていた。
翔太💙「……う、ん」
小さい返事。
亮平💚「佐久間には普通に添い寝提案するんだ?」
翔太💙「っ!!」
一気に顔が熱くなる。
昨夜、震えながら亮平の部屋をノックしたこと。
抱き締められた瞬間、安心して力が抜けたこと。
全部、勝手に思い出される。
大介🩷「……あー」
佐久間は完全に察したみたいに笑った。
大介🩷「そりゃ機嫌悪くなるわ」
亮平💚「別に機嫌悪くないけど?」
大介🩷「はいはい」
翔太💙「え、えっと……バイタル測りますね!?」
耐えきれなくなった翔太が、逃げるみたいに血圧計へ手を伸ばす。
亮平💚「佐久間の睡眠状態より」
低い声。
亮平💚「翔太の心拍の方が心配だね」
翔太💙「……っ!!」
亮平は満足したみたいに小さく笑うと、何事もなかったみたいにカルテを閉じ、そのまま病室を出て行った。
翔太💙「待って……りょ、亮平!」
慌てて後を追いかける。
廊下へ出ると、亮平は自販機の前で缶コーヒーを買っていた。
翔太💙「なんで怒ってるの?」
掴んだ腕を軽く払われた。
ただそれだけの事なのに、その仕草が酷く冷たくて、思わず視線が床へと落ちた。
亮平💚「怒ってないけど?」
即答。
でも、プルタブを開ける音が妙に乱暴だった。
翔太💙「絶対怒ってる……」
亮平💚「別に」
冷たい返事。
亮平💚「俺のとこ来た時は、あんな顔してたくせに」
翔太💙「……え」
視線を上げる。
いつもの優しい亮平の顔がそこにはあるのに、余裕なく笑った亮平は、意地悪だった。
亮平💚「佐久間には簡単に添い寝するんだ?」
翔太💙「ち、違……っ」
亮平💚「何が違うの?」
一歩、距離を詰められる。
壁際まで追い込まれて、翔太の呼吸が小さく乱れた。
亮平はそのまま、翔太の胸ポケットへ指を滑らせる。
外泊許可証。
その上から、心臓の音を確かめるみたいに軽く叩いた。
亮平💚「ほら」
低い声。
亮平💚「やっぱり、心拍上昇。経過観察が必要みたい」
翔太💙「っ……!」
亮平💚「佐久間の前では、平気そうだったのにね?」
完全に意地悪な言い方。
亮平💚「ひとりで佐久間に付き添わせるの……心配になってきた」
翔太💙「大丈夫だよ、ひとりでできるもん」
腰を掴まれ、体が引き寄せられると、腰が密着し亮平の熱を感じる。息が掛かるほど耳元に頰を寄せた亮平は、小さな声で
囁いた。
亮平💚「こんな可愛い子……誰だって欲しくなる」
翔太💙「何バカなこと言ってるの?」
亮平💚「無自覚すぎて怖い」
鋭い目付きでそう言うと、飲みかけのコーヒーを翔太に押し付けた。
〝目覚ましな〟
缶コーヒー越しに触れた指先が、熱くってドキドキと胸が鳴った。聞こえちゃいそうなほどの高鳴りに思わず胸を抑えると〝顔真っ赤よ〟と言われて両手で顔を覆った。
亮平💚「手が幾つあっても足りないね?」
ナース服の襟元を、人差し指で引っ張った亮平は、中を覗き込んできた。
翔太💙「なっ……何してんだよ///」
亮平💚「俺のものだって証、付けとくべきだった」
翔太💙「冗談言うなよ//」
亮平💚「そう?おれ、結構本気だけど」
自販機の影へ追い込まれる。
壁へ手をつかれて、逃げ場がなくなった。
翔太💙「壁ドン♡」
亮平💚「バカ」
缶コーヒーより熱い吐息が、頬を掠める。
亮平💚「……今なら、佐久間にも勝てる気がする」
翔太💙「は……?」
意味が分からず瞬きした瞬間、額へ、コツンと軽く頭をぶつけられる。そのまま、亮平の視線が自分の胸元へ落ちた。
翔太💙「りょ……亮平!」
亮平💚「ふふっ……なんちゃって」
翔太💙「へっ?」
〝バシッ〟
翔太💙「痛っ!」
カルテで頭を叩かれて、痛がる翔太を他所に亮平はクスクス笑って楽しそうだ。〝ちゃんと仕事しな〟胸ポケットの許可証を再度トントンと弾くと、軽やかな足取りで去って行った。
翔太💙「ほんとだ……足音って……分かりやすい」
遠ざかっていく亮平の足音。
翔太は胸元を押さえたまま、
その場へへなへなとしゃがみ込む。
熱い。
缶コーヒーを頬へ押し当てても、全然冷めない。
翔太💙「……もう、うるさいよ……静まって///」
ドキドキと高鳴る胸の音。
遠くでクスッと笑う亮平の声がした気がして、
翔太は真っ赤な顔を上げた。
翔太💙「……バカ。責任取ってよ」
胸元を押さえたまま、その場に蹲った翔太。
熱い頬を隠すように膝へ埋めた。
――新米看護師。心拍上昇中。
コメント
6件

壁ドン♡ていう翔太が可愛すぎた!ご無沙汰のメンツも色々出てきて嬉しいw
なかなか投稿できず申し訳ないです💦時間に余裕がないと、心にも余裕がなく、不思議と妄想する気持ちにもなれず😅時間かかっちゃいました😭つまりはストックもありませんので、🦒さんでお待ち頂けると助かります😊💙