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『二人で飲まないか』と陸さんから誘われたのは、忘年会の四日後の水曜日。翌日は夜勤だから時間があるらしく、俺のアパート近くで飲むことになった。
「今もあのアパート暮らしとか、意外だな」
「そうですか?」
「うん。今のお前ならもっといいマンションを借りられるだろ」
おしぼりで手を拭き、陸さんはお通しの枝豆を咥えた。
「住み慣れちゃったんで」
「とか言って、あきらん家が近いからだろ」
俺が今のアパートに住み始めたのは、大学三年の時。それまでは母親と二人で暮らしていたが、その時期に母親に恋人がいることを知り、邪魔者は勉強に専念すべく大学の近くに引っ越した。
長く、入籍を拒んできた母が体調を崩し、恋人に泣き落されたのは六年前。
俺は養子縁組を断った。
もう、いい大人だし、母さんの息子であることに変わりはない。
俺のためにずっと働き通しだった母さんは、今では近所の友達とヨガにハマっている。
ずっと、あきらを想って引っ越さなかったわけじゃない。
ただ、社会人になって忙しくてそれどころじゃなかったのは事実だし、彼女と呼べる女がいても家を行き来するほどの仲にはならずに終わった。生活に余裕ができて引っ越しを考えた頃にあきらに再会したから、完全にタイミングを逃していた。
「この前、ヤな感じでお開きになっちゃったろ? 酒のせいもあったけど、八つ当たりして悪かったなと思ってさ」
ビールが運ばれてきて、俺たちは軽くジョッキを重ねた。
「ま、言い方はアレだったけどさ。別に意地悪を言ったつもりはないんだけどな」
「陸さん。あきらとのことは、俺が悪いんです。あきらが弱ってる時に、都合のいいことばっか並べて、大事なことを言わずに抱いたから。その後も、あきらのそばに居たくて都合良く立ち回ってた。あきらは、悪くないんです」
昨夜の陸さんは、完全に誤解していた。
まぁ、俺があきらにすがるような態度をしたのが悪い。が、誤解されたままは本意ではない。
「男と女の関係に、どちらか一方だけが悪いなんてあるはずないだろ。浮気したとか借金したとかは別だけど」
「そうかもしれないけど――」
「――この前も言ったけど、俺、見たんだよ。あきらが年上の男と居るとこ。ウチのホテルのセミスイートを取れるような男」
「え――」
一瞬で脳裏に浮かぶ。あきらが俺の知らない誰かに抱かれている様。
この四年、何度も想像して、何度も落ち込んだ。それでも、あきらが男と別れたと知る度に、相手の男を自分に置き換えて、忘れた振りを貫いた。
あきらを抱く度に、他の男が触れた痕跡を消したくて、必死だった。
今度の痕跡は、消せないかもしれない――。
「龍也。お前ほどじゃなくても、俺だってあきらがどんな奴かわかってる。お前の気持ちを弄ぶような女じゃないし、ましてや、セフレとよろしくやって楽しむような女でもない。あきらがそんな女なら、お前は惚れなかったろうし、大学の頃にそういう関係になってただろ。それに、お前とあきらに深い事情があることもわかる。そのせいであきらがお前を受け入れられないってことも」
「……」
「だから、お前らには俺と同じ間違いはしてほしくない」
「間違い?」
「ああ」
陸さんは一杯目を飲み干し、タブレットで二杯目のビールを注文した。俺の分も。だから、俺もジョッキを空にした。
「俺は、間違いを正すのに二年もかかっちまったからな」
「どういう意味ですか?」
「俺の結婚は間違いだった。春奈の妊娠は俺の責任だ。だから、結婚することが責任を取るってことだと思ったし、春奈も同意した。だけど、俺たちに結婚したいほどの愛情がなかったことは、お互いにわかってたんだ。春奈は俺に妊娠を告げた時、『どうしたらいい?』って聞いたんだ。俺は、『どうしたい?』って聞き返してさ。そんなの、普通に考えたらおかしいだろ。俺も春奈も、真っ先に子供を『どうするか』を考えたんだ。我ながら、最低だよ」
俺たちは、少なくとも俺は、OLCの飲み会で『子供が出来たから結婚することになると思う』と報告を受けただけで、恋人の存在自体知らなかった。
大学の頃から今の今まで、陸さんが口にした女の名前は、奥さんの春奈さんだけ。陸さんの恋愛事情も謎に満ちていた。
だから、理由はどうあれ結婚報告を受けた時には、とにかく驚いた。言葉もないほど、驚いた。
あの時、驚き過ぎて何も言えない俺たちの中で、いち早く『おめでとう!』と言ったのは麻衣さんだった。
目に涙を溜めて、『おめでとう』『良かったね』『幸せになってね』と、何度も繰り返していた。
「春奈が悪阻で倒れて、職場に妊娠が知れて、俺たちは引き返せなくなって結婚を決めた。そんなんだから、飲み会でみんなにそれを伝えるまで、どこか真実味がなかったんだけどさ。麻衣に『おめでとう』『幸せになれ』って言われて、気が付いたんだ。幸せになんかなれるはずない、って」
「だけど――」
陸さんは結婚した。
奥さんを俺たちにも紹介した。
俺たちは、みんなで結婚祝いを買いに行き、麻衣さんはあきらたちと楽しそうに選んでいた。
「あの飲み会の夜。俺、麻衣と寝た」
「え――――!?」
ビールと、注文してあった焼き鳥やだし巻き卵、エイヒレ、シーザーサラダが運ばれてきた。
呆けている俺の代わりに、陸さんがジョッキ二つを店員に渡す。
あの夜は――――。