テラーノベル
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T&N開発に異動して一か月。
俺はほぼ休みなく仕事に追われていた。
現在、開発が抱えている事業は三件と、計画段階の事業が二件。
徳田社長は毎日、進捗報告を受け、必要ならば現場に赴き、直々に協力企業との打ち合わせに参加したりもした。
俺は社長の傍らを離れず、社長の言動全てを把握した。仕事は楽しかったし、やはり開発での仕事が好きだと思う。
次の取締役会に向けて、内藤社長が仲間を集めているとか、株を集めているとか、噂は耳に入ってきたが、あまり気にならなかった。
事業の一つがリゾート地の開発で、これは開発と建設、そして観光がタッグを組んだグループ内でも一大プロジェクト。打ち合わせで充兄さんと顔を合わせることがあり、咲が充兄さんの秘書を辞めたことを知った。充兄さんは引き留めたが、咲は断ったという。
宮内は変わらず内藤社長の秘書を務めているが、特に変わった動きはないようだ。
咲とは真さんの家で別れてから、一度も会っていないし、電話もメールも交わしていない。誰に禁じられたわけでもないけれど、メールをしたら声が聞きたくなるし、声を聞いたら会いたくなるのはわかっていたから。それに、忙しくて寮に帰るのは深夜だったし、たまに早く帰った時は同じ寮の社員との交流を深めていたから、ベッドに入ると数秒で寝落ちしているのが実際だった。
時々、無性に咲に会いたくなるし、咲の手料理を食べたくなるけれど、出来るだけ考えないようにした。
真さんから飲みに行こうと誘われた金曜は、本当に偶然にも予定されていたプロジェクト会議が延期となり、七時には『High & Low』の店内にいた。すぐに真さんが来た。
「よ! 久し振りだな。館山はまだか?」
「侑も呼んだんですか? まだですよ」
「じゃあ、先に始めとくか!」
真さんは見るからに上機嫌で、気持ち悪いくらい笑顔を崩さなかった。
一杯目のビールが運ばれてきた時、侑が入って来た。
「お疲れ!」
バーテンダーに声を掛けられ、俺たちは奥の個室に移動した。真さんがメニューの半分ほどの料理を注文しているのを聞いて、驚いた。
「じゃ、とりあえず乾杯!」
真さんは一気にグラスを空にした。
「真さん、どうしたんですか? 今日はテンション高くないです?」
「実はさ、昨日籍を入れてきたんだよ!」
これには、俺も侑も一瞬言葉を失った。
真さんが彼女との結婚を考えていることは聞いていたが、結婚式とかすっ飛ばして入籍の報告を受けるとは思っていなかった。しかも、だらしないにやけ顔で……。
「え……っと。おめでとうございます」
俺の言葉に、真さんが口を尖らせた。
「なんだよ? 反応薄いな」
「いや……、急だったんでビックリして」と、侑。
「ホント、急だったんだよ。昨日決めて区役所に行ったから」
「は?」
ドアがノックされ、バーテンダーがビールと数品の料理を運んできた。
「昨日、彼女から妊娠したって聞かされて、そのまま区役所に直行したんだよ」
俺はさらに驚いた。
「妊娠?」
「そう! 俺、パパになるんだよ」
「マジで……?」と、侑が小声で言った。
「そ、マジで!」
「えーーーっと……、計画的?」
真さんの喜びようを見る限り、素直に喜んで良さそうだったが、一応確認した。
「俺的には計画通り」
「俺的には?」
「俺さ、四十までに三人は子供が欲しいんだけど、彼女が若いだけになかなか結婚をオーケーしてくれなくてさ。でも、咲の心配もなくなったし、最近までのゴタゴタで色々考えさせられて、こうなりゃ強硬手段で結婚にこぎつけようかと……って……なに、そのドン引きな目つきは」
「ドン引きですよ……。彼女の気持ち無視してやっちゃったってことですよね……」
俺と侑は同時にため息をついた。
「無理やりじゃねーぞ? ちゃんと出す前に了解取ったし」と、真さん。
「いや、遅いでしょ。挿入る前に許可もらわなくちゃ」と、侑。
「俺……真さんてもっと紳士だと思ってた……」と、俺。
「好きな女手に入れるのに、紳士もなにもないだろ」と、真さんがピックに刺さった枝豆を口に入れる。
「真さん、余裕なさすぎですよ……」
「お前らは余裕あるのかよ?」
「…………」
俺も侑も答えられなかった。
「ほら。お前らだって似たようなことしてんだろ」
俺は、いつか避妊せずに咲を抱いた時のことを思い出してしまった。
「ところで! 真さんて今はどこにいるんですか?」と、俺は無理やりに話を変えた。
「本社の総務に戻ったんだよ」
「そうなんですか?」
部屋の外で、ガシャンッとグラスか食器が割れる音がした。
「春からの騒動で、総務部長が体調崩して早期退職したんだよ。で、俺にお声がかかってさ」
「え……、じゃあ部長ですか?」
白山小梅
「そ。それもあって結婚に踏み切ったんだよ」と言って、真さんは笑った。
三十代前半の若さでの部長抜擢は、異例といえるだろう。
「おめでとうございます!」
「ありがとう」
「咲には……話したんですか?」
今日、真さんと会うことになって、咲の近況を聞きたいと思っていた。
「ああ。結婚のことは今朝、電話で知らせたよ」
「電話で?」
「咲も言ってたけど、ホントに連絡とってないんだな」と、真さんが呆れ顔で言った。
「またか。距離を置くにしても、極端なんだよ」と言った侑も、真さんと同じ顔をした。
「忙しかったし……」
俺は叱られまいと言い訳する子供の用に、小声で言った。
「飯食いながらでもメッセ打てるだろ」
「中途半端に聞くと気になるし……」
なんで俺はこの二人に言い訳してるんだ?
「聞かなくても気になってるんだろ」
「だから、忙しいのに俺の誘いには乗ったんだよな?」
二人は偉そうに、グラス片手に横目で俺を見る。
「声聞くと会いたくなるし……」
「聞かなきゃ会いたくならないのかよ?」
なんで俺が責められるんだよ!
「うっさいな! いいんだよ! どうせ咲からも連絡ないんだし!」
俺は少し大きな声で、投げつけるように言った。グラスを飲み干す。
「なんだ、いじけてるだけかよ」
「どーせ咲は俺と会えなくても平気なんだよな。だから連絡がこないんだ」と言って、真さんが口を尖らせた。
「とか思ってんだろ」
「そこまでは……」
図星だった。
正直、俺と咲の愛情を天秤にかけられるとしたら、間違いなく俺の方が重いことは自信がある。
誰よりも咲を愛してる。だから、咲より俺の愛情が重いくらいが調度いい。そう思う反面、俺と同じくらい咲にも想って欲しいとも思う。
時々でいい。会いたいと、寂しいと、言われたい。
でも、それはあくまで些細な願望で、咲の愛情への疑いは少しもない。それは、自信があった。正確には、自信を持てるようになった。
「咲は里帰りしてるよ」と、真さんが言った。
相変わらず、知らないのは俺だけで、侑は生春巻きを食べながら頷いている。
「伯父さんに呼ばれたんだよ。五日くらい前だったかな」
「それまでは俺と内藤社長の動きを探ってた」と、侑が言う。
「そうか……」
俺は、侑が美味そうに食う生春巻きに手を伸ばした。
「元気なら、良かった」
美味いな。
「お? 割と平気か?」と、真さんも生春巻きを口に入れる。
「何がです?」
「また、自分だけ何も知らされてないっていじけないのか?」
侑が「ビールでいいか?」と聞いて、開いたグラスを持って部屋を出た。
「こんなことくらいでいじけてたら、咲とは付き合えませんから」
「蒼」
真さんが、急に真剣な表情で俺を見た。
「正直なところ、二か月後の取締役会でどう動くつもりだ?」
「何ですか? 急に……」
「いいから、答えろよ」
「流れ次第です。兄さんたちと内藤社長の出方次第」
「それ次第では——」
真さんが言いかけた時、部屋のドアが開いた。侑だ。
「状況次第では、会長の後継者に名乗りを挙げるか?」
誤魔化せない。
そう、思った。
「その覚悟で、準備してます」
俺は真っ直ぐに真さんを見た。
「内藤社長が取締役会の票集めをしているのは聞いてます。株主にも接触しているらしい。多分、予定通り充兄さんを自分の後任に据えるつもりはないんでしょう。この前の取締役会で和泉兄さんと充兄さんを糾弾したことを考えると、二人を解任して自分の息のかかった人間を後任に推薦するはずだ。そのために賛成票を集めているのだと仮定して、それに対抗できるだけの材料と票を集めています」
ノックの後、ドアが開いた。バーテンダーがビールグラスをテーブルに置いて、開いた皿を持って出て行った。
「上出来だ。では」
真さんと侑が、神妙な面持ちでグラスを持った。つられて、俺もグラスを持つ。
「近い未来のT&Nグループ会長に」
真さんがグラスを差し出す。
「乾杯」
侑はグラスを真さんのグラスと重ねる。
「どういう……」
「ほら、とりあえず乾杯しとけ」
真さんに言われるまま、俺は二人のグラスに自分のグラスを重ねた。
冷えたビールが喉を流れ、胃に向かって落ちていく。
「咲からの伝言だ」と言って、真さんがグラスをテーブルに置く。
「株には手を出すな」と、真さん。
「味方を増やすことだけを考えろ」と、侑。
「ちょっと待った」
咲からの伝言?
「株は素人が手を出していいもんじゃないからな」と、侑が言う。
「いや、でも内藤社長が一定数の株を手に入れたら……」
「大丈夫だ。株に関しては俺が任されてる」
「えっ?」
真さんが株?
「で、敵情調査は俺」
「はっ?」
「とにかく! お前は目の前の仕事をこなして、自分の味方になってくれる人間を集めてればいいんだよ」
真さんと侑はすっきりした顔でナッツやチーズをつまむ。
「いや、話が全然読めないんですけど! 咲は宮内の動向を探ってるんじゃないんですか?」
「そうだよ?」
「じゃあ、二人もそっちを——」
「私の代わりに蒼をバックアップして欲しい」
「だってさ」
咲……。
真さんと侑は、咲には右腕と左腕だ。
自分の両腕を俺に預けてくれた。
絶対的な信頼。
『好き』とか『愛してる』なんて言葉よりも、嬉しいかもしれない。
『私の代わりに——』
「チーム三男」と言った侑が、気まずそうに俺から目を逸らした。
「はっ?」
「百合のセンス、どっかズレてるんだよな」
「いいんじゃね? 打倒、長男&次男! てことで」と、真さんが茶化す。
「ま、そういうことで。よろしく、ボス」
侑が、嬉しそうに笑った。
「んじゃ、早速作戦会議といきますか」
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