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#BL
#ヒューマンドラマ
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409
午後。縫季は政務の間を通りかかった。
扉の向こうから、清朗の声が聞こえる。
「殿下、こちらの帳に目を通していただけますか」
「ああ、ありがとう」
帝辛の声だった。縫季は足を止め、扉の隙間から中を覗いた。
帝辛が座に腰を沈め、帳に目を落としている。清朗がその隣に立っている。
帝辛が、何気なく口を開いた。
「清朗、最近、少し無理をしていないか?」
清朗は笑顔で首を振った。
「大丈夫ですよ、殿下。殿下のためですから」
また、その言葉だ。
帝辛は少しだけ眉を寄せた。
「だが、お前の顔色が……」
「気のせいです」
返事が早い。考える間もなく、即座に否定した。
帝辛は困ったように笑った。
「そうか。なら、いいのだが」
清朗は頷く。
「殿下が安心して政を行えるように、俺がしっかり支えますから」
帝辛は、微笑んだ。穏やかで、気負いがなくて。ほんの少しだけ、年相応に戻る。
――だからこそ。
清朗の返す笑顔が、縫季には引っかかった。口元は笑っている。だが、目が笑っていない。焦点が合っていないような、薄い光だけが浮かんでいる。
朝に見た、あの芯が、もうない。
(張り付いてる)
縫季は、扉から離れた。胸の奥が冷えた。
(清朗……お前、壊れかけてる)
壊れかけているのは心か。それとも、判断か。あるいは、香に触れ続けた身体の方か。
――どれでも、同じことだ。歪みは、ここから広がる。
◆
夕方。中庭の木陰で、縫季は清朗に声をかけた。
「清朗」
清朗は振り返った。
「ああ、縫季。どうした?」
いつもの明るい声。いつもの笑顔。
だが、縫季には分かる。この笑顔が『反射』になっている。誰かに向けているというより、場に貼り付けている。
「少し、話がある」
「今か?」
清朗は困ったように眉を動かした。
「悪い、今は忙しい」
「忙しい?」
「ああ。殿下のために、やらなければならないことがある」
また、その言葉だ。
縫季は、清朗の目を見た。
「清朗、お前――」
「悪い。また後でな」
遮るように言って、清朗は足早にその場を離れていく。背中が軽い。軽すぎる。迷いを置き去りにした歩き方だった。
朝の、あの背中とは違う。
縫季はその背を見送った。
(逃げている)
縫季から、ではない。立ち止まった瞬間に来る『自分』から、逃げている。
考える暇を与えないように。息が詰まらないように。ただ「殿下のために」という言葉を、歩く速度で塗りつぶしながら。
(これが……狂楽香の初期か)
倉庫で嗅いだ、甘い匂いを思い出す。あの香は、心を壊すより先に、心を『便利にする』。不安を消し、迷いを消し、正しさだけを残す。
だから、手放せない。
民も。清朗も。
縫季は深く息を吐いた。
(善意が……檻になってる)
清朗を止めなければ、歪は広がる。だが清朗を止めるということは、清朗の善意を否定することだ。そして――帝辛から、清朗を遠ざけることでもある。
縫季の胸の奥が、きゅっと縮む。それは嫉妬というより、怖さだった。帝辛の笑みが、ひとつ失われる未来への。
それでも、先に進まなければならない。
縫季は、王太子府の奥へ歩き出した。夕日が背中を照らし、長い影が地に伸びていく。
(任務だ)
そう言い聞かせる声が、少しだけ揺れた。揺れたまま、縫季は歩き続けた。
コメント
1件
うわあ、第19話……縫季が清朗の笑顔の裏側を見抜くシーン、すごくぞっとしました。「善意が檻になってる」って言葉、重いですね。清朗の「殿下のために」って言葉が、じわじわと彼自身を縛ってるのが伝わってきて、胸が苦しくなりました。縫季の視点だからこそ際立つ、この不穏な空気感、本当に上手いなあ。続きが気になります……!