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「亜美お姉ちゃん……凄く綺麗な人だったよね~」
夕食後の後片付けの最中、悠莉は思い返すように先程までの彼女の事を呟いた。
「ルヅキと同じ位綺麗かも? ボクも将来、あんな感じになれるかな~」
それは独り言というよりは、彼に対しての問い掛けにも近い。
「ああ……そうだな」
ソファーに腰掛けながら、幸人は何処か物憂げに返す。
「だよね~って、幸人お兄ちゃん! やっぱり亜美お姉ちゃんに鼻の下伸ばしてたんだ」
「いやっ! そういう訳じゃ……」
心外にも詰め寄ってきた悠莉に、幸人は慌てて訂正。
「そうだよね~。幸人お兄ちゃんにはボクが居るし~」
誘導尋問のつもりか、全くもって悠莉の感情の起伏さにだけは、何時までも慣れる事がない。
「それより幸人お兄ちゃん?」
「――ん?」
彼女の前では考え込むのも馬鹿らしくなると、溜め息を漏らした矢先の質問。
冗談ばかりの悠莉の表情が、いつになく真面目だ。
「何かよく分かんないけど亜美お姉ちゃんね、幸人お兄ちゃんの事をずっと怪しんでたって気付いてた?」
「ああ……」
悠莉に言われるまでもなく、幸人も気付いていた。否――それ以前から。
「ホントに見覚えないの? 何か幸人お兄ちゃんの事を知ってそうだったし、それに亜美お姉ちゃんの目、幸人お兄ちゃんばかりチラチラ見てたし~。それにそれに――」
悠莉が何やら色々と畳み掛けてはいたが、既に幸人の耳には入らない。
――そう、あれは葵と街でばったりと出会した後からだ。
何者かが自分を追跡してくるのは分かった。最初は“裏の者”と思ったが、すぐにそれは違うと確認しなくても分かる。
本人は気付かれまいと、涙ぐましい努力は伝わったが、先ず初歩中の初歩である“気配”が全く消せていない。
つまり、どう考えても只の一般人。
あからさまに姿を消すのは不自然なので、さりげなく撒こうとしたが、意外な事に全く諦める事がなかった。
“何故、只の常人がここまで?”
それは幸人にとって解せない事であった。
ここまで諦めず追跡してきた彼女が、診療所内まで来る事は分かっていた。なら事の真意はそれからでよかろう――と。
確認の意味も込めて、素知らぬ顔で何気無く彼女を迎え入れたという訳だ。
「――もしかして昔の彼女とか!?」
突然、悠莉が思い付いたかのように。
「……は?」
「信じらんない! ボクという者がありながら浮気とかっ――」
一体どうすればその考えに行き着くのか、悠莉が思考中の幸人の胸ぐらを揺さぶりながら声を荒らげる。
「んな訳無い! 初対面だ」
「嘘だ嘘だ! だって幸人お兄ちゃんが亜美お姉ちゃんを見る目、何かいやらしかったもん」
“何でそうなる……”
つまりは悠莉なりの嫉妬なのだが、余りの支離滅裂さに呆れて反論も出来ない。
それに重要なのはそんな事ではない筈だが、既にヒステリック気味の悠莉は収まりそうもなかった。
このまま悠莉独壇場の、修羅場が展開しそうな勢いだったが――
「オレも彼女に見覚えは無いな。だから幸人の昔の彼女とか、そんな馬鹿な事は有り得ないって。それに……幸人にはお嬢だけだよ」
仲裁に入るかのように、ジュウベエが二人の間に割り込んで来た。首輪の鈴が『チャリン』と奏でる。これまでになかった変化だ。
「……それもそうだよね~。あぁビックリしちゃった」
常に幸人と共に居たジュウベエの言葉には信用性があるのだろう。悠莉はようやく納得し、あっけらかんとしながらソファーに腰を降ろした。
――ナイスフォロー! と言いたい所だが、信用して貰えなかった幸人の気落ちは相当なもの。
「信じて貰えて何よりだ……」
「いやだな~幸人お兄ちゃん。ボクは最初っから信じてたよ~」
「…………」
気を取り直して――亜美の事だ。
幸人は当然、彼女とは初対面だし、それはジュウベエの証言でも明らか。
“なら何故自分を追ってきたのか?”
亜美はジャーナリスト。つまり取材を生業としている。
まさか本当に病院を取材したい等、そんな御題目で追ってきた訳でもあるまい。ならこそこそと追跡する意味がない。
「オレが思うに、あの彼女よ……」
既に落ち着いて幸人の横で肩を並べている悠莉の膝下で、丸くなったジュウベエが何か分かったのか呟く――
「お前を“裏の顔”として疑ってるみたいだな」
「何……だと?」
それは即ち、幸人のエリミネーターとしての裏の素顔。
幸人にとって、これは意外だった。
初対面の者が何故分かるのか。能力者でもない常人が――
「まあ確信に至ってるって感じじゃないな。あくまで疑ってるみたいな?」
すかさずジュウベエはフォローしたが、疑っている事自体がそもそもの問題だ。
「でもどうして分かったんだろうね? 昔の彼女って訳でもないのに……」
悠莉が皮肉っぽく煽ったが、特に焦りはない。
それは正体がバレた処で特に問題無し――とも取れた。
それは幸人も同感か。仮に亜美がその正体を分かった処で、どうする事も出来ないだろう。
“エリミネーターは法では裁けない”
彼等は超法規的存在なのだから。
「多分“女の勘”ってやつじゃねぇかな? 女ってのはオレのように、第六感が鋭い事があるからなぁ……」
「それだよそれ! 女の子は凄く鋭いんだよ、ボクみたいにね~」
「野郎は総じて鈍感だけどな、ククク」
「幸人お兄ちゃんみたいにね~」
悠莉とジュウベエは愉しく談笑だ。一般人がエリミネーターの正体に迫ろうとしている事自体が本来なら不測の事態の筈だが、彼等に全く危機感はない。寧ろ幸人への当て付け感のように、ちらちらと煽りまくっていた。
「はぁ……。冗談はそれ位にしとけ」
幸人は溜め息と共に、二人を諌める。
取り敢えずの問題は亜美の事だ。好きに泳がせた処で特に問題がある訳ではなくとも、疑っている以上このまま捨て置く訳にもいくまい。
それにまた明日、此処に伺うと言っていた。
取材とは名ばかりの、幸人への身辺調査だろうが、一介のジャーナリストに過ぎない彼女が、それでどうしたいのか。
『獣医の裏の顔』は素材としては申し分無いだろうが、果たしてネタの為だけに亜美が動いているとも思えなかった。
「そういえば――」
幸人はここで“ある事”に気付く。
「悠莉、あの雑誌を持ってきてくれないか」
「あの雑誌?」
「ほら、お前のお気に入りの――」
「あぁ『エターナル』ね~。うん持ってくるよ」
悠莉はすぐに分かったのかソファーから跳ね起き、診療所へと向かう。
「オレもオレも~」
ジュウベエも追従するように、首輪の鈴を鳴らしながら悠莉の後を追っていった。
そう。亜美が編集者を勤める雑誌の事だ。
幸人は全く興味が無いのだが、悠莉のお気に入りで待合室に置いてある。
これを読めば亜美の傾向が、少しは見えてくるかもしれない。
「持ってきたよ~」
すぐに悠莉が雑誌両手に戻ってきた。幸人に手渡しながら、自身もその隣に座る。
幸人はざっとぺージを捲るが、ティーン向けという事もあって、やはり全く興味を惹かれない――というより拒絶反応にも近い。
他の記事はどうでもいい。探すべきは――
“水無月水無月……あった。これか?”
あるぺージで目が止まる。その亜美が書いたと思わしき記事に、その内容に流石の幸人も目を見開いた。
“狂座……”
「――って事は、亜美お姉ちゃんは幸人お兄ちゃんを狂座と結び付けてるって事? 勘にしても凄いね~」
隣で悠莉が身を乗り出しながら口を挟む。そう決め付けるのは時期早尚な気もするが、どう考えてもそれで辻褄は合う。
「確かに……。だがこれ見た限りじゃ、エリミネーターの事までは分かってないみたいだな。一般的な知識レベルか?」
同じくジュウベエも身を乗り出して、これらの事を推測した。
“亜美は狂座を調べている”
それは記事内容から明らかだし、理解も出来る。だが分からないのは、幸人を狂座との関連性として疑っている事だ。
当然、亜美の推測は何も間違ってはいないが、何故疑惑を抱いたのか。
“何処かで遭ったか?”
例えば執行中――
…
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