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コロンボをトルトブルグへ向かわせた後、
アグリは現地で徴集した兵たちを静かに解散させた。
(信用できぬわけではないが……)
兵が去り、辺りに静寂が戻る。
アグリは一人、机の上に広げられた地図へ視線を落とした。
「……勝利に浮かれて、目が曇ったか。」
小さく吐き捨てる。
アルミンはグラン王国の将軍。
その肩書だけを信じ、疑うことを忘れていた。
「俺の失敗だ。」
悔いても遅い。
軍人に必要なのは後悔ではなく修正だった。
アグリは一本の木炭を手に取り、地図へ線を引いていく。
ライム川。
そしてエルム川。
その二つの大河に挟まれたガラリア東部。
そこには五つの部族が点在していた。
アング族。
マルム族。
ケルス族。
カルディ族。
ブルグ族。
アルミンの反乱が事実なら、この地域はもはやグラン王国の支配下ではない。
「五部族すべてが敵……そう考えるべきだ。」
希望的観測は兵を殺す。
最悪を前提に動いてこそ、将は軍を生かせる。
アグリは木炭を置いた。
「アルミンの情報は、もう使えんな。」
そう言い切ると、控えていた斥候へ視線を向ける。
「一刻を争う」
「ライム川からエルム川まで、街道、森、渡河点、すべて調べろ。」
「敵の数はいらん。」
「どの部族が動き、どこへ向かっているか。それだけを掴め。」
「はっ!」
斥候たちは一斉に馬へ飛び乗ると、四方へ散っていった。
土煙が遠ざかるのを見届けながら、アグリは静かに鎧の留め具を締め直す。
もはや、この戦いに味方の情報網は存在しない。
頼れるのは、自らの目と耳、そして長年鍛え上げた経験だけだった。
「さて……。」
アグリは再び地図を巻き上げる。
「裏切り者の始末はあとだ」
グラン軍は各地で襲撃を受けていた。
森の奥から矢が飛び、
街道の脇から槍を持った戦士たちが飛び出す。
渡河点では丸太が転がされ、
補給隊を狙った奇襲も相次いだ。
まるで森そのものが牙をむいたかのようだった。
異変を察知したチェルシーは、ただちに軍をトイトブルグへ急行させる。
「足を止めるな!」
号令とともに軍勢は街道を駆けた。
行く手を阻む部族の戦士たちは、次々と襲いかかってくる。
「うおおおっ!」
雄叫びを上げて振り下ろされる戦斧。
しかし、グラン兵は慌てなかった。
盾が斧を受け止め、
長槍が敵を突き伏せる。
乱れぬ隊列。
正確な号令。
一人が倒れれば、すぐ後ろの兵が前へ出る。
長年訓練を積んだ軍団の動きに、部族の戦士たちは徐々に押し返されていった。
「敵、退きます!」
伝令の声が響く。
チェルシーは馬上から戦場を見渡した。
敵は弱い。
武具も粗末で、
統率も取れていない。
正面から戦えば、物の数ではなかった。
「……ただ。」
チェルシーは眉をひそめる。
「数が多いな。」
一隊を退けても、
別の部族が現れる。
さらに撃退しても、
また別の一団が森から姿を現した。
まるで終わりがない。
敵の狙いは勝つことではない。
足を止めること。
時間を奪うこと。
チェルシーは静かに剣の柄を握った。
「アルミン……。」
「ただで済むと思うなよ」
「東への道は突破できそうにありません。」
ドルトスは血の付いた剣を地面へ突き立て、息を整えながら言った。
「敵は街道を押さえています。」
「このまま東へ向かえば、消耗するだけです。」
彼は地図へ視線を落とし、南を指差した。
「南への道なら、まだ薄いはずです。」
「何とか突破して、味方の軍と合流しましょう。」
ライナーは黙ってうなずいた。
それが今、最も現実的な道だった。
だが、その視線は地図ではなく、ドルトスの肩へ向いていた。
鎧は裂け、その隙間から血が流れている。
「……傷の手当を。」
ライナーは静かに言った。
「大した傷ではありません。」
ドルトスは笑ってみせたが、その顔色は青白い。
「強がるな。」
ライナーは肩に手を置いた。
「お前が倒れれば、この軍はさらに苦しくなる。」
その言葉に、ドルトスは苦笑した。
「王は、ご自分の身を案じるべきでしょう。」
「私は部下です。」
ライナーは首を横に振る。
「仲間だ。」
短い一言だった。
だが、その言葉にドルトスは目を伏せ、小さく笑った。
「……では、お言葉に甘えます。」
衛生兵が駆け寄り、傷口へ布を巻き始める。
ライナーはその様子を見届けると、再び南の方角へ目を向けた。
「何としても生きて、グラン軍と合流する。」
その決意だけが、疲れ切った兵たちを支えていた。
コロンボは襲い来る襲撃者を払いのけながら、トイトブルグを目指していた。
森の中から飛び出してくる部族の戦士。
短い怒号とともに槍を突き出す。
「散開!」
号令が飛ぶ。
グラン兵は乱れることなく隊列を組み替え、敵を押し返していく。
襲撃そのものは脅威ではなかった。
問題は、その数だった。
一団を退ければ、また次の一団が現れる。
まるで森中の部族が、一斉に立ち上がったかのようだった。
コロンボは剣についた血を払う。
「……司令官の言う通りだ。」
「アルミンの裏切りは、もはや疑いようがない。」
その言葉に、副官も黙ってうなずいた。
アルミンは栄誉あるグラン王国の将軍だった。
王の信任を受け、
兵からも敬われ、
未来を約束された男。
それほどの地位を捨ててまで、なぜ敵へ走ったのか。
コロンボには理解できなかった。
「グランで得られる地位や名誉より、大事なものがあるというのか。」
馬を走らせながら、彼はふと軍旗へ目を向ける。
風にはためく赤い軍旗。
その先端では、黄金の鷲が夕日に輝いていた。
グラン軍団の誇り。
幾多の戦場を勝ち抜いてきた象徴である。
コロンボは静かにつぶやく。
「もし、それすら捨てるというのなら……。」
「アルミンを動かしたものは、一体何だったのだ。」
怒りよりも先に湧き上がったのは、疑問だった。
そして、その答えを知りたいという思いが、胸の奥で静かに大きくなっていった。
コメント
1件
28話、一気に空気が変わったな……! 裏切りの発覚から一転、アグリの「修正」への切り替えが早くて好きだわ。後悔するより、どう動くか。「俺の失敗だ」からの木炭で地図に線引くところ、プロの判断って感じでカッコいい。 チェルシーの「数が多い」焦りとか、ライナーがドルトスに「仲間だ」って言うシーンとか、それぞれキャラの見せ場が細かく入ってて読んでて熱かった。コロンボの疑問「アルミンを動かしたものは何だ」も気になる——単なる裏切りじゃない伏線っぽくてワクワクするわ🔥
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