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庭での散歩を終えて、部屋でしばしの休息を取る。


陽が落ちた頃、定例の呼びかけに応じて席に着くと、すでにテーブルにはカトラリーとグラスが準備されていた。


食事が始まれば、どうやら昼間の散歩が効いたらしく、普段よりも食が進む。


あっという間に、夕餐はメインの子羊のローストへ移った。さすが公爵家の料理人というべきだろう。


病み上がりに優しい食事も十分に美味しかったが、手の込んだ料理もこれまた美味だ。


これ程に楽しめる食事であるのだから、共にテーブルを囲む人々や話題も、それに相応しくありたいところだが。


私は何度目かのため息を肉の切れ端とともに呑み込む。


「――何とか言ったらどうなの? グレイス」


義理とはいえ、およそ娘に向ける視線ではない剣呑な眼差しで、サンドラがこちらを向く。


「そうよ、お姉様。アンナは泣いていたのよ、可哀相に……いくら機嫌が悪くたって、メイドに当たり散らすなんてよくないわ」


二人のメイドとメイド長に、不敬を説いたのはつい昼間の話だが、随分と耳が早い。


本人達が告げ口をしたのか、様子を見聞きしていた他のメイドから聞いたのかは知らないが、先程からこうしてサンドラとリネットから、ねちねちと咎められている。


面白いもので、女王スカーレットの意識が目醒めた今でも、ただのグレイスであった頃の記憶はそのまま残っている。思い出もそのまま。


だから、こうして悪しざまな言葉を投げかけられることに驚きはない。


この人達はいつも私を嫌っていて、私を悪者にしたがる。


言い訳も事情も、私の口からは求めていない。


ほしいのは、ただ怯えて俯き、体を小さく丸めて、そうして同じだけ小さな声で紡ぐ謝罪の言葉だけだ。


よく知っている。――よく覚えている。


「聞いているの、グレイス!」


苛立ったように語尾を荒げたサンドラを前に、私は手にしていたカトラリーをそっと置いた。


妹のリネットが待っていましたとばかりに、父からは見えない位置でほくそ笑む。


「……ええ、聞こえています。お継母かあ様」


うんざりするくらい、くどくどと。


そうした倦怠感が見えていたか、どうなのか。


サンドラが眉を吊り上げた。


「けれど、何をお答えしたらよろしいのでしょうか?」


「なっ、何です、その言い方は!」


「どのようにお話をお聞きになったのか存じませんが、あれはメイド達が無礼だったのです。落とした洗濯物を私に拾えと言ったので、それはメイドたる自分達の仕事であると説いただけですわ。それともお継母様は仕事を放棄して、無礼にも主人にその尻拭いをさせることをよしとするのですか?」


す、と視線を上げれば、交わした瞳が動揺に揺れる。


そのまま隣に流し、リネットに据える。


「それから、リネット。私は機嫌の良し悪しでものを言ったわけではなくてよ。それと、片一方の話を鵜呑みにするのはやめた方がいいと思うわ」


「は……」


これまでと違い、平然と意見を述べたことが余程意外だったのか、サンドラもリネットも目を大きく開き硬直している。


明らかに空気が変わってしまっているが、元々悪かった空気がこれよりも更に悪くなろうと大して変わらないような気がする。


私は手を伸ばしてグラスの水を傾ける。


と、隣から放たれた軽い咳払いが、悪化の一途を辿る夕餐の場の空気を分断した。


ちらりと横を向くと、上座に座る父がカトラリーを置いて言った。


「詳しい事情はメイド長のメイベルから聞いている。サンドラもリネットもこれ以上この話は持ち出すな。わかったな」


それはつまり、全面的に私の言い分が正しかったと当主が認めたということだ。


当主である父がそう言うなら、この話はここで終いだ。


しかし、目の前に座る二人は悔しそうに唇を噛み、燃えるような目でねめつけている。


この反動はどこにくるだろうか、と考えていると、父が声色のトーンを変えた。


「――ところで、一か月後に王家主催のパーティが開かれることになった」


「まあ!」


一瞬の内に嬉々とした表情へと変貌したリネットが声を上げる。


「第一王子のサイラス様もご出席される。グレイスもリネットも参加するように。準備を整えておきなさい」


「サイラス様が!? ええ、ええ、もちろん参加するわ!」


両手を組んで輝かんばかりの笑みだ。


どうやら興味は他のことに移ったらしいと、さした感慨もなく思っていると、ふいに父からの視線を感じて顔を向けた。


「サイラス様がお前の体調を案じていらした。できるなら直接、見舞いの礼をお伝えするといい」


「……はい、お父様。お蔭様でこうして普通の食事を摂ることもできるくらいに回復いたしましたわ。粗相のないように準備して、お礼申し上げます」


「ああ」


軽く頷いた父が食事に戻る。


父のイーデン・ベックフォードは私が幼い頃から変わらない。いや、実母が生きている頃はもう少し朗らかな印象を与える時もあったように思うが、寡黙なのは相変わらずだ。


しかしグレイスを良くは思っていないサンドラやリネット、メイド達という、この公爵家にあってただ一人、普通に接してくれていることに安堵していた。


こうしてスカーレットの意識が目醒めても、どこか安心するのは、過度な愛情や憎しみもなく、ただ静かな尊重を向けてくれるからだろうと考える。


その父が望むなら、その通りに滞りなく役目を果たしてみせようというものだが。


ナイフを持ち、食事を再開しながら、頭の中を辿る。


目醒めたばかりの頃は混乱もしたものだが、今ではグレイスの記憶を順序立てて遡ることができる。


今、引き寄せたい記憶は先程、名前が出たサイラス王子のことだ。





サイラス・バークレイ。


このアドニス国の第一にして唯一の王子だ。


秀才と名高く、立太子を控えていると聞いたのはいつ頃の話だったか。


まだ母が存命だった幼い頃には、父の仕事について王城へ上がったこともあり、二つ年上の王子の遊び相手を務めていたこともあるから、俗にいう幼馴染のようなものだろう。


しかし今考えれば、たまに登城するだけの幼い娘を王子の遊び相手とするには効率が悪い。あれは王子の将来の相手を見据えた、ていのいい見合いのようなものだったのではないかと思う。


確かに、高位の貴族令嬢として、私はその家格、年齢から、最も王子に相応しいとされる者だった・・・


「…………」


思わず、唇の端から嘲笑の息が漏れた。


だった、と言ったのは決して過去の話を反芻していたからだけではない。


妹が生まれ、そこに自我が芽生えてからは、私が王子に相応しいと言われることは次第になくなっていったからだ。


年を追うごとに、愛らしく華やかになってゆくリネットと違い、私は重ねるごとに暗く、霞んでゆく。


自覚に比例するように、王子の前に立つこともなくなった。


最後に会ったのはいつだったか。


深い緑の瞳が印象的で、けれど反して甘く柔らかな顔立ち。笑うと幼く見えるそれが、大人になった今、どのように微笑むのか、私は思い浮かべることができない。





食事を終えて、席を立つ。


部屋を後にすると、扉の前でやけに突き刺すような気配を感じた。


はっとして振り返れば、鋭い眼差しでサンドラが私を見ている。


目が合うと、ちっと舌打ちをして、


「くれぐれも弁えることね」


と、言った。


そのままドレスの裾を大きく揺らし、サンドラが背を向ける。


その背中に向かって、私はようやくため込んでいた、ため息を一つ吐き出した。






* * *






馬車から降り立ち、案内に従い城の中へと向かう。


車寄せでも見せた招待状を、再びしっかりと検められ、ようやくホールへと足を踏み入れた。


王家主催と言うだけのことはある。


会場の広さはもちろんのこと、装飾、テーブルの配置、呼ばれている楽団にも、圧倒的な絢爛と品格がある。加えて、招待されている面々だ。


この国にはこれだけの貴族令嬢がいたのかと目の当たりにするくらいに数多の令嬢が、目一杯に着飾り、ホールにひしめき合っている。


その煌びやかさとかしましさに思わず眩みそうになった。


先日の一件で態度を改めたメイド達の手伝いのお蔭で、及第点といえる準備で登城できたことに、ほっと胸を撫で下ろす。


しかしそれにしても、と、自分とは気合の入り方がまるで違う周りの令嬢達の装いをまじまじと見つめる。


同じ馬車で向かうことを拒否したリネットも、これらの令嬢達にも負けず劣らずの大層な装いで先に家を出たところを見るに、余程重要なパーティなのだろう。


同伴している当主や夫人、令息達を見てもそれは明らかだ。


成る程、第一王子が参加するというのだから、今日はその王子の相手を探す見合いの場と言える。確かに適齢になるのに、王子には未だ婚約者はいない。




グレイスとしては久しぶりの、スカーレットが目醒めてからは初めての社交の場だ。


貴族令嬢としても、女王としても、社交の重要性は十分に理解しているとはいえ、継母のサンドラからも釘を刺されていることであるし、大人しくしているに限る、と早々に壁の花になることを決め、手頃な居場所を探すために、視線を彷徨わせる。


と、刹那、すれ違った鮮やかなドレスが大袈裟な身振りで揺れた。


「これはこれは! グレイス様ではありませんか!」


広い会場の隅々に届くような声量ではなくとも、悪意を持った言葉というものは不思議と人の耳に届くものだ。


先程までそれぞれに輪を作っていたはずのそれが、形を保ちつつも、一斉にこちらを伺ったのがわかった。


声をかけてきたのは――。


グレイスの中の記憶を辿り、そうそうと一人納得する。


「このような明るい場所にお見えになるだなんて珍しいこともあること。よろしいのですか? 眩しくてお目が辛いのではないですか?」


「…………」


あからさまな嫌味に口を噤んでいると、それを好機と見てか、取り巻きがぞろぞろと私を囲むように寄って来る。


そして、その奥から妹のリネットがまるで主のように姿を現す。


「お姉様はお目覚めになったばかりで本調子ではないの。だからきっと、ご自分が場違いだということにも気づけないでいるのよ。お可哀相に」


「全くですわ、早くお帰りになった方がよろしいのではありませんこと?」


「ええそうね。だって今日のパーティは……ふふ、まあでもどちらにせよ、グレイス様には関係のないことでございますから、皆さんの引き立て役と思えば、いらしていただくのも却っていいかもしれませんわよ」


「あら、そんな言い方をしてはグレイス様に失礼だわ。せっかく勇気を振り絞って、巣穴から出ていらしたのだから」


何が彼女達を刺激したのか、一斉に高らかな笑い声が起こる。


ひとしきり笑って、ほうっと名残惜し気に満悦の吐息をつき、私の耳にリネットが口を寄せた。


「お姉様がサイラス王子のお相手に選ばれるだなんて、あり得なさ過ぎて笑ってしまうわ。身の程を弁えて、いつも通りに隅で震えているのがお似合いよ」


くすり、と掠めた嘲りの音が、魂の表面を撫ぜた。



ああ、似ている。


本当に、よく似ている。――私の妹・・・に。



リネットがそのままドンッ、と体をぶつけて通り過ぎる。


当たられて傾いだ体の内が、大きく波打ち、揺れた。


グレイスとして生きた軌跡と、スカーレットの魂がうねるように混ざり合う。



ふ、と唇が弧を象る。



巣穴から出たとは、よく言った。


眠りを妨げ、呼び醒ましたのは誰の所業だったか。



ならば、



遥かなる時を経て、呼び醒ましたものが何者であるのかを、


お前達は知らねばならない。



この体の持ち主グレイスは、――どうやら戦い方を知らなかったようね」





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