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再建から数年。平和が馴染み始めた国に、避けることのできない「影」が落ちた。
それは、滉斗が国境付近で若手兵士たちの訓練を検分していた時のことだった。
かつての反乱の爪痕は消えつつあったが、隣国との緊張は完全に拭えたわけではない。滉斗は「二度と元貴に悲しい思いをさせない」という誓いのもと、己の氷剣術を研ぎ澄まし続けていた。
不運が重なったのは、演習の最中。
滉斗が放った鋭い氷の礫が、突風に煽られて軌道を逸れた。その先にいたのは、訓練の見学に訪れていた町娘の少女だった。
「……っ!」
滉斗が叫ぶよりも早く、氷の刃が彼女の頬を深く切り裂いた。
鮮血が白銀の雪の上に散る。滉斗は顔色を変えて駆け寄り、震える手で彼女を抱きかかえると、誰の制止も聞かずに王邸へと走った。
「元貴! 元貴、頼む……!」
息を切らして飛び込んできた滉斗の腕の中で、少女は苦痛に顔を歪めていた。元貴は即座に状況を察し、その温かな両手を彼女の顔にかざした。
「大丈夫だよ、すぐに痛みを消すからね」
元貴の術式が淡い紅色の光を放ち、開いた傷口を塞いでいく。少女の呼吸は整い、痛みは消え去った。
しかし。
元貴の眉が、一瞬だけ悲しげに曇った。
「……傷は塞がったよ。でも、ひろぱ……」
元貴の言葉の先を、滉斗は聞くことができなかった。
少女の透き通るような左頬には、元貴の癒やしの術をもってしても消し去ることのできない、一本の細く白い線が残ってしまったのだ。
「ごめんなさい、若井様。私が不注意だったから……」
少女は、気遣わしげに自分を見つめる滉斗に精一杯の微笑みを向けた。
けれど、その「許し」こそが、滉斗の心を鋭く抉った。
その日を境に、滉斗の瞳から光が消えた。
彼は寝る間も惜しんで街の復興作業に没頭し、かつてないほど自分を追い詰めるようになった。
「ひろぱ、もう休もう? ずっと起きてるじゃない」
夜更け、執務室で頭を抱える滉斗に、元貴がそっと温かい飲み物を差し出す。
しかし、滉斗はその手に触れることさえ躊躇うように、指先を震わせた。
「……俺の手は、結局、人を傷つけるためにしかないんだ」
低く掠れた声が、静かな部屋に響く。
「あの時、あの子の顔に刻まれたのは、俺の傲慢さだ。平和を守ると言いながら、俺はまた、お前が愛する国民を傷つけた」
滉斗の脳裏には、あの白い傷跡が焼き付いて離れない。
どれほど剣を振るい、どれほど国に尽くしても、消えない傷がそこにあるという事実。それは、かつて「最強の剣」として人を殺めてきた過去の罪が、形を変えて現れたかのように彼を苦しめていた。
「そんなことないよ。あの子は今でも、ひろぱのことを『街を守ってくれる英雄』だって慕っているんだよ?」
元貴は、滉斗の冷え切った頬を包み込む。
だが、滉斗は弱々しく首を振った。
「お前の手は、命を救うためにある。……だが、俺の手は違う。俺が側にいれば、いつかお前をも傷つけてしまうんじゃないか。それが、怖くてたまらないんだ」
暗闇の中で、滉斗は孤独な氷の檻に閉じ込められようとしていた。
元貴は、その背中に静かに寄り添い、祈るような心地で言葉を紡ぐ。
「……傷をつけたのが君の剣なら、その傷が癒えるまで隣で支えるのも、君の役目だよ。ひろぱ、逃げないで。僕も、あの子も、君のその手が本当はどれだけ温かいか、知っているんだから」
月明かりの下、氷のように固く閉ざされた滉斗の心が、元貴の涙に触れて、微かに、本当に微かに震えた。
一生消えない傷跡を背負って生きる覚悟。
それは、かつての戦場での誇りよりも、ずっと重く、残酷で、そして慈愛に満ちた二人だけの新たな試練の始まりだった。
「……ひろぱ、明日もあの子に、氷の向日葵を見せてあげて。あの子、すごく喜んでたんだよ」
元貴の優しい声に、滉斗は長く深い溜息を吐き、ようやく小さく頷いた。
傷跡は消えない。
けれど、その痛みを分かち合いながら生きていく強さを、二人はまた一つ、学んでいくのだった。