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戸田と中村は、ひたすら岩崎の様子を伺い、チェロの音を引き立てている。


岩崎も、何かに取りつかれたように懸命に弓を引き、指先を弦に滑らせる。


観客の手拍子は鳴りやまず、一層大きくなっていく。


しかし──。


桟敷席にいる月子だけは、違っていた。


盛り上がる熱気とは裏腹に、心に浮かぶ、わだかまりのせいで、一人沈んでいた。


手拍子も行ってはいるが、心からのものではなく、ただ流れにまかせて、そんな少しなげやりな具合だった。


演奏は、佳境に入る。


誰が聞いてもそうだとわかる音の勢いに、わぁと歓声があがった。


そのまま演奏は勢い付いて、戸田、中村、そして、岩崎は三者三様の音を奏で、凄みを出している。


岩崎が大きく弓を引ききった。


音が消え、しんと場が静まり返る。


「ブラボー!」


貴賓席から、男爵が立ち上がり声を発した。


その掛け声が呼び水となったのか、升席の観客も一斉に立ち上がり、思い思いの掛け声をかけ始める。


「あんこだ!あんこ!!」


「もう一曲頼むぜっ!」


「京さん!もう終わりかいっ?!」


もっと曲を、演奏を、と、ねだる観客達を遮るように、拍子木がチョンと鳴り、岩崎達は一礼し、すっと舞台に幕が引かれていく。


「おおい!待っとくれ!」


「もっと頼むよぉ!」


「終わりか?!あんこだ!あんこ!!」


観客は、示し合わせたように、アンコールの曲をねだり始める。


「……こ、これにて、一時終了ということで……」


終了を告げる為に、花園劇場の支配人が、おどおどと舞台中央で宣言するが、客席からのヤジにやり込められてしまう。


「おお!こりゃ、大盛況ですなっ!雑誌社さん!観客総立ちでアンコールをねだっている」


「ああ、暴動が起こらなければ良いのですがねぇ」


舞台裾では、記者二人組が、軽口をたたきながら、喜んでいた。


「あーー、ちょいと、熱気が凄すぎて、今ここでのあんパン売りは、間が悪いねぇ、どうすりゃいいんだ?!」


記者二人組の脇では、二代目が用意しているあんパンを売ろうと躍起になっている。


「何、ふざけてんだよ!アンコールの準備だろうがっ!」


舞台から下がって来た中村が、渇を入れ、岩崎の様子を伺った。


休みなしであれだけやった後なのだ。アンコール曲、たかだかあと一曲、という話ではない。


疲れが見えているなら、苦渋の決断で、このまま終了する事も考えるべきだろう。演奏出来ない状態で、アンコール曲に移っては、目も当てられないものになってしまう。


ひとまず、岩崎の意向と、一息つかせることが大事とばかりに、中村は、共に下がって来ているはずの岩崎の姿に目をやった。


「なあ、岩崎、大丈夫か?」


無理するなと中村は言いかけ、とっさに、戸田を見た。


「中村さん?!岩崎先生がっ?!」


「ああ!戸田!!岩崎、どこ行った?!」


一緒に舞台を下がったはずの岩崎の姿がない。


「どうなってんだ?!さっきまでいたのに!!」


中村は、呆然としつつ、戸田も言葉が出ない状態で、しかし、響き渡る歓声を気にしてしまう。


「た、田口屋さん!岩崎先生を探してください!!」


戸田がとっさに二代目へ頼る。


「そ、そうだ!どっかに落っこちたとか、な、なんらか訳があるはずだぜ!二代目!この劇場に詳しいんだろ?!」


中村も、必死の形相で二代目に迫った。


「え?!なっ、なんで?!京さん、どこ行っちまったんだよぉ!こっちは、あんパン売らなきゃいけねぇのにぃーー!」


「田口屋さん、一大事じゃないですか?」


沼田が眉を潜める。


「ですよ!本人いないって?さっきまでいたでしょ?」


野口も二代目を責める。


「えーー?!俺かい?!俺のせいじゃねぇーだろぉ?!」


皆に責められるような状況になった二代目は、焦りきる。


と──。


ギューーンと、チェロの音がした。


「それでは!ご要望にお答えして、アンコールを!」


わんわんと、岩崎の声が響き渡った。


「いましたね」


「おや、声はすれども、どこに?」


記者二人組が顔を見合わせる。


「あっ、月子様のところだ!」


お咲が、桟敷席を指差した。


「え?!なんで?」


「岩崎先生、いつの間に……」


中村も戸田も、桟敷席を見上げ、ポカンとしている。


確かに、お咲が言うように岩崎は、月子の隣にチェロを持って立っていた。


さっと、薄暗い桟敷席へ光が当たり、岩崎と月子の姿がはっきりと浮かび上がった。


同時に、わああ!と観客の大声援が起こる。


「それでは!妻の為に作曲した、麗しの君に。ご披露致します!」


岩崎は声を張り上げ、そして、優しく月子へ微笑んだ。


「え?!桟敷席で、演奏を?」


皆の疑問を沼田が代弁するが、はっとした顔つきで、野口を見た。


「雑誌社さん!こりゃー、愛妻家というやつですなっ!!」


「おお?!つまりも、なにも、その様で!いや!そーーしましょうーー!新聞社さん!!愛妻家の奏者で、売り出し決定!!」


記者二人組は、ヨッシと弾けきっている。


舞台裾が混乱しているように、升席、貴賓席共に、ざわめきが起こっていた。


何が起こっているのか正直ついていけないと、皆の顔には書かれてあったが、桟敷席で演奏が始まるのは確かなのだと、これからの成り行きを凝視している。


すると……。


「おっと、やはり、麗しの君に。の前に、もう一曲、せっかく妻の為に演奏するのだから」


芝居がかった岩崎の口振りに、劇場は、呆れ果ててか、静まり返る。


が、すぐに、ピーピー指笛が鳴り響き、岩崎と月子を囃し立てる掛け声が飛び交った。


月子は、驚きよりも恥ずかしさから、始終俯いている。


いきなり、桟敷席に岩崎が現れ、大きな声で色々言ってくれた。


妻という言葉の連発も、恥ずかしく、今や劇場中の視線が、月子に集まっているのも耐えられない。


「き、京介さん、どうして、ここに?」


やっとのことで口を開けた月子に、岩崎は目を細め、


「うん、最後の曲は月子の側で、いや、月子に捧げたいと思った。だから、ここで演奏しようと思い付いた」


そう静かに言ってくれる。


発言に、嘘偽りはないのだろう。しかし、何か考えがあるような岩崎の口振りは、月子を少し迷わせた。


とはいえ、やはり、嬉しくもあり、一人沈み込んでいた月子の胸の内は、じんわり温かくなった。

麗しの君に。大正イノセント・ストーリー

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