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第160話 黒い影の名
【現実世界・湾岸方面/対策本部車両・未明】
車両の中では、まだ中枢ログの解析が続いていた。
日下部の目は赤い。
佐伯も村瀬も、疲労で顔色が悪い。
それでも、三人とも端末や資料から視線を外さない。
中枢ログの画面には、白い線の束が幾重にも重なっていた。
それはただの数字の羅列ではない。
どの外周から流れを入れたのか。
どの杭で支えたのか。
どの順番で捻り、どの地点で固定したのか。
そして、どこに“帰還補助層”の線を通せるのか。
つまりこれは、世界の混ざり方の記録であり、
同時に、元へ戻すための設計図でもある。
日下部が画面を拡大した。
「ここです」
城ヶ峰と木崎が覗き込む。
「現実側の残支点候補が二つ」
「どっちも小さい。
でも、どちらかを残したままだと、最後の反転で横滑りする可能性が高い」
木崎が低く言う。
「横滑りってのは」
「帰るはずの場所からずれる」
日下部が答える。
「最悪、現実にも異世界にも着かない中間層へ落ちます」
村瀬が小さく肩を震わせる。
佐伯が代わりに言った。
「だから、ここからは順番が命なんですね」
「そうです」
日下部は頷いた。
「雑に壊す段階は終わった。
ここからは“戻すために、どこを残して、どこを切るか”です」
木崎は写真のデータを開く。
カシウス。
観測の穴。
役割の殻。
そして最深部で撮った、傷の入った右肩。
「……あいつ、次は自分で来るより先に、邪魔を入れてくる」
木崎が言う。
城ヶ峰が短く返した。
「同感だ」
その時、車両の外で、かすかにサイレンが近づいてきた。
誰かが移動しているだけかもしれない。
普通の警察車両かもしれない。
だが木崎は、無意識にカメラへ手を伸ばしていた。
「何かありました?」
日下部が聞く。
「まだ分からん」
木崎は短く答える。
「ただ、嫌な感じがする」
◆ ◆ ◆
【現実世界・湾岸方面/規制線外・同時刻】
規制線の向こうで、若い警官が立っていた。
制服。
制帽。
反射ベスト。
夜勤明けのような、少し疲れた立ち方。
遠くから見れば、本当にどこにでもいる警官だった。
だが、近くで見れば違う。
前髪が目にかかる。
耳がちょうど隠れる長さの髪は、黒と赤錆色が混じって重い。
目の下には濃い隈。
瞳の奥では、黒い影と細い文字列がゆっくり流れていた。
首筋の皮膚の下には、半導体の板みたいなものがうっすら埋まっている。
ラストだった。
彼は規制線の向こうに停まる対策本部車両を見ていた。
ぼんやり眺めているようで、
出入口、隊員の位置、搬送経路、金属製の設備を一つずつ確かめている。
「……いる」
ぼそり、と声が落ちる。
「まだ……読んでる」
その視線の先には、城ヶ峰たちの車両。
中枢ログを持っている場所だ。
ラストはゆっくりと手袋越しにガードレールへ指を触れた。
じわり、と赤茶けた錆が広がる。
ガードレールの表面。
ボルト。
固定金具。
わずか数秒で、夜露に濡れた銀色が鈍く変色した。
次に、足元のマンホールの縁。
そのまた次に、道路脇の仮設バリケード。
どれも、一気に崩すのではない。
少しずつ。
気づかれない程度に。
だが確実に、持たなくしていく。
「急がなくていい……」
ラストが呟く。
「金属は……待てば、崩れる」
最後の方は、影に埋もれてほとんど聞き取れなかった。
彼は警官の顔のまま、規制線の内側へ自然に歩き出した。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/北西区画外縁・未明】
王都の外れでは、もう空気が違っていた。
石畳の隙間。
閉じた店の軒下。
排水溝の黒い水。
そこかしこに溜まった影が、まるで誰かに呼ばれたようにざわついている。
その中心に、ジャバがいた。
肩幅のある体。
乱暴な立ち姿。
皮膚の下で黒い影が脈打ち、時おり文字列が筋肉の上を走る。
人の顔を借りてはいる。
だが、怒りと破壊の方が先に見える顔だった。
ジャバは、王都の北西にある広場跡を見渡す。
そこには、以前の戦いで倒れた獣影の残骸や、
吹き飛んだ石壁の欠片がまだ残っている。
「……静かすぎるな」
吐き捨てるように言って、足元の黒い影へ手を向ける。
影が膨らむ。
地面に染み込んでいた黒さが、無理やり引き上げられる。
四足の輪郭。
太い脚。
長い牙。
さらにもう一つ。
そしてもう一つ。
黒い影に取り憑かれた巨大獣が、三体、地面の奥から這い上がる。
猪に似ている。
だが首が長すぎる。
狼に似ている。
だが肩が盛り上がりすぎている。
牛に似た影は、顔の半分が空洞で、そこを黒い文字列が流れていた。
ジャバは、それを見て満足げに口元を歪める。
「いい」
「暴れろ」
「軍も術師も、まとめて走らせろ」
巨大獣の一体が、地面を蹴った。
石畳が割れ、黒い破片が散る。
もう一体が、吠えた。
声ではない。
割れた金属音みたいな、不快な衝撃が王都の夜気を震わせる。
ジャバは、その音を聞いて笑った。
「そうだ」
「散らせ。守る場所を増やせ」
「考える暇なんか、なくなるまでな」
巨大獣たちは、そのまま北西区画の灯りへ向かって走り出した。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・未明】
異世界側でも、ログの照合は進んでいた。
ノノの前には携行端末が三つ。
セラはその横で、文字列ではなく線の流れを読む。
ハレル、サキ、リオ、アデル、ヴェルニは、それぞれ疲労を抱えたまま待っている。
サキのスマホが震えた。
現実側からの短い共有。
《現実側 残支点候補 二》
《どちらか残ると横滑り》
《順番厳守》
「……やっぱり、かなり危ないんだね」
サキが言う。
「危ない」
ノノが即答した。
「でも、見えてきてる」
「前までは、何が足りないかも曖昧だった。
今は違う」
リオが腕を組んだまま聞く。
「異世界側は」
ノノはイルダと塔の簡略図を出した。
「こっちも残ってる」
「向きを固定する場所。
最後に“光路”を通すための安定点が必要」
「たぶんオルタ・スパイアに近い。
でも、まだ一点に絞れない」
セラが言葉を継ぐ。
「それに、補助層の強化が要ります」
「今のままでは道として細すぎる。
通れても、最後まで保てません」
ハレルは主鍵を見た。
まだ熱が残っている。
だが今は戦闘の熱ではない。
先へ進めと、急かす熱だった。
「……じゃあ、やることは決まってる」
ハレルが言う。
「読む。足りない場所を見つける。
それで、補助層を強くする」
アデルが短く頷く。
「その通りだ」
ヴェルニが壁にもたれたまま、軽く笑った。
「地味だな」
「地味で結構」
アデルが即答する。
「次は順番を間違えたら終わる」
ヴェルニは肩をすくめた。
だがその表情に、不満はなかった。
その時、外で鐘のような音が鳴った。
王都側の警戒合図だ。
全員の視線が上がる。
ノノがすぐ通信を開く。
『何があった!?』
返ってきたのは、緊張した兵士の声だった。
『北西区画で大型の影獣を確認!』
『一体じゃありません、三体! さらに増える可能性あり!』
アデルの目が細くなる。
「もう来たか」
セラも、静かに息を詰めた。
「……カシウスの手下でしょうか」
リオが立ち上がる。
「休ませる気、ないな」
「あるわけない」
アデルが言う。
「ログを読ませないための手だ」
ハレルも立ち上がる。
帰還の道は見え始めた。
だが、それを読んでいる時間すら敵は奪いにくる。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、一人で立っていた。
黒い外套のような輪郭。
整いすぎた立ち姿。
目の奥を走る文字列は静かで、乱れがない。
彼の前には、現実側と異世界側の簡易な配置が、白い線で浮いていた。
学園。
イルダ。
駅周辺。
対策本部車両。
オルタリンクタワー。
オルタ・スパイア。
補助層の細い通り道。
パイソンはそれを眺め、淡々と呟く。
「主鍵。副鍵二つ。補助層。
解析班。橋渡し。結界術師。
……分かりやすいですね」
指先で白い線を一つなぞる。
その線が小さく歪んだ。
「どこかを折れば、どこかが遅れる」
「君たちはもう、“全員を守ったまま帰る”段階ではない」
その声は丁寧だった。
だが、優しさは一切ない。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・未明】
ノノが立ち上がる。
「王都軍兵の支援に回す!」
「でも解析止めるわけにはいかない!」
アデルもすぐ動いた。
「イデール班と北西区画を繋げろ」
「学園と駅周辺の報告も切らすな」
セラがハレルを見る。
「これが始まりです」
「道が見えた以上、敵はその道を暗くしてきます」
ハレルは頷いた。
もう分かっている。
中枢ログを奪っただけでは終わらない。
むしろそこからが本当の戦いだ。
サキがスマホを握り直す。
「……帰るための道って、ほんとに細いんだね」
リオが短く言う。
「だから切らせない」
ヴェルニが立ち上がる。
「じゃ、暴れに行くか」
アデルが即座に返した。
「今回は守る方が先だ」
ヴェルニは少しだけ笑った。
「分かってるよ」
そのやり取りの向こうで、イルダの警戒音がもう一度鳴る。
帰還の設計は、ようやく始まった。
だが同時に、敵の反撃ももう始まっていた。
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