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「すてちゃえばいいんだよ?」
玲子から押し付けられた、嘆願書めいたものを、お咲はポイと床に投げた。
居間では、大人達が唖然としながらお咲を見ている。
月子は、騒動の後、台所から駆けつけた。てっきりお咲が泣いているものと思っていたが、けろりとし、なおかつ勇猛にポイと放り投げる始末……。
「なっ?お咲に任せてよかったろ?」
二代目が、複雑な表情をお咲に向けながら言った。
「なんつーか……お咲の家は、かれこれ取立てが来てたんだなぁ……」
中村も、腹が座っているお咲の様子から察したようで、言葉が続かない。
「母ちゃんが言ったんだ。いやなやつがきたら、誰もいないと言えって!」
さも当たり前の様に言うお咲の姿に、月子は胸が締め付けられる。
取立てから逃げるために、お咲は親に利用されていたのだろう。それを、お咲は言葉通り信じ対応していたのだ。
「……まあ、お咲。偉かったな。というか……反対を表明するということは、当日来ない学生もいるということか……」
お咲云々よりも、岩崎は玲子のやり方に戸惑いを隠せないようだった。
「あーー!だからっ!京さんが、女学生に、一緒になろう!って言ってやりゃー収まるだろっ!で!月子ちゃんには、俺がいるとっ!」
良い案じゃないかと二代目は悦に浸っているが、
「バカも休み休み言えっ!!」
岩崎の雷が落ちる。
「もしものことを考えないといけないな……出演の順番を考え直さないと……」
渋い顔をしつつ、岩崎は立ち上がると自分の部屋へ向かった。
二代目と中村が声をかけるも、岩崎は振りきるように行ってしまう。
重い空気が流れ、月子にも演奏会が暗礁に乗り上げたのだと分かったが、黙って見ていることしかできない。
「あーー、これは、お咲の練習のことも考えないとなぁ……」
中村が腕組みしながら、考え込んだが、そうだ!と叫ぶ。
「月子ちゃん!おれ、ここで、お咲と練習するわっ!どうせ、演奏会まで数えるほどだろ?学校だって、半日しか授業はない。なら、休みを取っても授業に遅れもでなない。ゴタゴタに巻き込まれるより、ずっといい!」
「なーるほど!それもありだな!中村のにいさんのバイオリンの音で、あの女学生も追い払えるだろうし、仮に、西条の義理姉が訪ねて来ても、追い返せるだろう?」
男二人に、キィキィバイオリンが鳴ってるんだ、邪魔者はすぐに追い返せるし、月子のことも守れると、二代目は中村の案に賛成した。
「あの、二代目さん……」
月子は、二代目が言った西条の義理姉という響きに首をかしげる。
どうして二代目が、佐紀子がやって来た事を知っているのかと。
「ああ、月子ちゃん、心配いらない。義理姉は、男爵家に現れたらしいんだ。男爵家に援助してもらうつもりだったらしいけど、断ったと、岩崎の旦那が言っていた。と、なると、月子ちゃん頼って来るのが筋というより、もう、やって来てるんだろ?それも聞いたよ。だから、俺が一緒にいてやるからなっ!!」
「だったら、なおさら、おれもいる!」
二代目と二人きりにはできないと中村がいきり立つ。
なんだと?!うるせぇ!と、二代目と中村が言い争いを始めたとたんに、ぐうーとお咲の腹が鳴る。
「あっ!お咲ちゃん!待ってね!」
月子は台所へ戻った。
二代目が用意した料理と月子が作った物とを盛り付けるが、上手く箸が動かない。
あまりにも色々なことがありすぎた。そして……。
佐紀子の事を聞いてしまい、ここを訪ねて来た事を思い出してしまっていた。
その恐ろしさのような、戸惑いを感じ、体が強ばったのだ。しかし、岩崎が助けてくれた……。
月子は、ふと、部屋にこもった岩崎の事を思い出す。
きっと、仕事で忙しいはずだ。
岩崎には、簡単に食べられるようお握りにした方が良いかもしれない、などと采配し始めると、月子のざわついていた心は落ち着きを取り戻す。
それが、何を意味するのか、月子にもぼんやり分かり始めていた。
しかし、それを認めるのは、なんだか面映ゆく、少しばかり逃げたくもなっている自分の心持ちに、月子はくすりと笑い、岩崎のために、お握りを用意し始める。