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グレンシスが相槌を打ったあと、再び沈黙が落ちる。
王城にはたくさんの人がいるはずなのに、まったく人気がない。話し声も足音も聞こえない。
風に揺られる葉の音しか聞こえないここは、まるで二人だけの世界に移動してしまったかのようだ。
ティアはこくりと唾を呑む。
グレンシスの口から放たれた言葉は、ただの相槌でしかない。今、彼が何を考えているのか、ティアはさっぱりわからなかった。
対してグレンシスは、自分の足の間にすっぽり収まっているティアを、じっと見つめている。
無意識なのか、意識的にそうしているのかわからないけれど、ティアは深く俯いている。
俯く角度が深すぎて、ティアのゴールドピンクの髪が左右に別れ、白く細いうなじがよく見える。それをグレンシスは熱のこもった視線で見つめている。
つまりグレンシスにとって、ティアの告白はその程度のことだったのだ。
適当な相槌で流せるほどの、ついつい好きな人のうなじに意識を向けてしまうほどの、とても軽いものだった。
とはいえグレンシスは、胸に秘めていたことを自分に伝えてくれた事実がたまらなく嬉しい。このまま、ティアのそのうなじに口付けをしたくなるほどに。
「オイデ オイデ ココニオイデ ツタエ ツタエ ワタシノモトニ イタミモ ツラサモ アワトナリ キラキラトカシテ ミセマショウ メザメルトキニハ ……えっと、続きは……忘れてしまったな」
結局グレンシスは葛藤の末、こんな言葉を口にした。
「ティア、続きを教えてくれ」
ちょっとそこにあるものを取ってくれ。そんな感じの口調で、グレンシスはティアに頼んだ。
「えっと……メザメルトキニハ ヤスラギヲ アナタニイヤシヲ アタエマショウ です」
意味がわからないまま、ティアはグレンシスの問いに答える。
そうすればグレンシスは途切れてしまった移し身の術の呪文を最後まで紡ぎ、そっとティアの頭を撫でる。
「あのぉ……グレンさま」
「なんだ?」
「グレンさまは移し身の術は、使えません」
「そうだったな」
グレンシスは当たり前のことを真面目に指摘され、軽く笑い声をあげた。続けて、手厳しいなと呟く。
きっとグレンシスは、癒そうとしてくれていたのだ。しかも、万人に伝わる方法ではなく、ティアだけにしかわからない方法で。
(移し身の術は、血で受け継いでいくなんて嘘だったんだ)
グレンシスが紡ぐ移し身の術の呪文で、ティアは癒された。不安で暴れ回る心も、恐怖に怯える身体も、今はとても凪いでいる。
水面が風に揺られるように、さわりさわりと心にさざ波が立つ。
その波を更に煽るように、グレンシスは吐息交じりの甘い声で、ティアの耳元に言葉を落とす。
「なぁティア、こっから言うのは、全部俺の独り言だ。だから、聞き流してくれればいい」
独り言だと宣言をされるのは初めてのティアは、思わず首をかしげてしまうが、こくりと頷いた。
「俺はお前の事を子を産むための存在だと思ったことは一度もない」
「……っ」
「それに望む望まないに限らず、子供がいない夫婦などたくさんいる。そしてその夫婦が皆、不幸だとは限らない。ちなみに俺は一応貴族ではあるが、幸い次男だ。だから家督を継がなくて良い。世継ぎ云々という責任はない」
「……」
「勘違いしないでくれ。俺はお前と一緒にいたいだけだ。お前に求婚をしたのは、ずっとずっと、手を取り合って生きていきたいからその約束を形にしたかっただけだ」
そこで、ティアははっと息を呑んだ。
これまで目の前にかかっていた霧が晴れ、急に視界が明るくなったような錯覚を覚えた。目から鱗が落ちるとは、まさにこのこと。
グレンシスが紡ぐこの言葉が独り言だという前提を忘れ、体を捻る。当然のようにグレンシスと目があった。
ブルーグレーの瞳は、嘘も偽りもない澄んだ氷の色だった。
「でもなぁ、俺はこんな話を聞かされて、ちょっとだけ喜んでいたりもする」
「へ?」
ティアが間抜けな声を出せば、ここでやっとグレンシスは、ほっとした笑みを浮かべた。
それを見せるのが恥ずかしいのか、照れているのかわからないが、グレンシスは表情を隠すように自身の顎をティアの頭のてっぺんに乗せた。
「お前がそんな具体的に、俺との結婚について考えていてくれたからな。俺はてっきり、お前に釣り合わないから、無理だと言われたような気がしていたんだ」
「そ、そんなわけないですっ」
あり得ないと思えるほど的外れなことを言うグレンシスに、ティアは全力で首をぶんぶんと横に振る。
「良かった。ほっとした。ああ、それとティア、お前は知らないかも知れないがな──」
中途半端なところで言葉を止めたグレンシスは、ここでぎゅっとティアの身体を後ろから抱きしめた。
続く言葉を聞いて、ティアが逃げ出さないように。
「子を作らないように愛し合える方法などいくらでもある」
「馬鹿ぁ!!」
グレンシスの予想通り、ティアは真っ赤になって大声を出すと、拘束している腕から逃れようと渾身の力で暴れ出す。無論、逃亡など無理である。
諦めきれない今度は、ぽかぽかとグレンシスを殴り始める。
「なんだ言い出したのは、ティア、お前だろう?」
グレンシスの口調は呆れかえっているのに、その瞳はどこまでも優しかった。
遠慮なしにグレンシスの胸のあたりを叩くティアを、可愛くてしかたがないといった感じで眩しそうに目を細めて見つめている。
ティアだってわかっている。わかっているからこそ、叩く手を止められないのだ。
グレンシスはずっと胸に抱えていた自分の不安を、下品なネタに変えてくれた。少々ぶっ飛び過ぎだとは思うけれど、でも、これくらいのインパクトは必要だった。
おかげで自分は、今まで悩んできたことは何だったのだろうと思ってしまうほど、馬鹿馬鹿しい気持ちになれた。
でも素直に感謝することができず、羞恥半分、照れ隠し半分で手を上げてしまう自分を、グレンシスは笑って受け止めてくれている。
(なんて優しいのだろう。なんて器が大きいのだろう。なんて、なんて……)
ティアはそれ以上、言葉が思い浮かばなかった。ちょっとでも気を抜けばすぐに泣いてしまいそうになる。嬉しすぎて。恥ずかしすぎて。
こんな溢れる感情を言葉にできなくて、もどかしくて。それでもやっぱり伝えたくて。
こういう気持ちも切ないのだと、ティアは初めて知った。