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「あ、ごめ……」
「いいわよ、お母さんが片付けておくから」と、僕が落とした、コップの破片を集め始めるお母さん。そんなお母さんを見ながら、お父さんは、アルフレートと向き合って、手を組み替える。あまりに衝撃的な話に僕はついていけなかった。アルフレートのお母さんは明るい人で、エネルギッシュな人だった。でもそんな人が死んで……そして、新たにつまむかていたことも全く初耳だった。しかし、その妻も子供も……
僕も、気になってアルフレートのほうを見たが彼の顔色は変わらなかった。ただ、彼の持っているマグカップが少し震えているようにも思う。
「そう、だったんですね。教えてくれてありがとうございます」
「いや……こんなタイミングで言うことじゃないんだろうけどね。アルフレートくんには、知る権利があると思ったんだよ」
と、お父さんは言葉を新調に選びながらそう言った。
アルフレートからしてもそれは衝撃的な話のはずだ。知らないうちに、母親が死んで、再婚して子供ができて……でもその子供は魔物に殺されてしまって。ここ十一年の間に起こった出来事があまりに悲劇で、目も当てられない。
今、アルフレートのお父さんはどうしているのかと聞きたかったが、僕は聞き出すタイミングを見失ってしまった。それに、僕が聞いたところで、それをアルフレートが聞きたいとは限らないし。
(そんな……ことが……)
文通にはそんなこと書かれていなかった。最も、早い段階で、文通が途切れてしまったのだが、この村が不作に悩まされ、いろんな悲劇に見舞われていたことも、すべては知らなかったし。僕は知らずに、新たな家で、家族とそして学園で暮らしていたと思うと、なんだか情けない気持ちになる。故郷のことをもうちょっと考えてもよかったんじゃないかと。
「はい。それで、父は今何を?」
「国に、勇者の本当の父親だから給付を受けている。そのお金で、毎日酒を飲んで……今は働いていないよ。周りも、彼だけがお金をもらっていると指を指せなかった。何せ、この村一番の悲劇人だからね」
お父さんはそういうと息を吐いた。
アルフレートはまた動ぜず「そうでしたか」と静かに言った。それから、コップを片づけ終わった母さんが、様子を見に行く? とアルフレートに言うと「考えます」とだけ、彼はかえした。そんな状態になっている父親に会っても彼も辛いだけだろう。だからといって、故郷に帰ってきて会わないのは冷たいと思うし。
僕たちは、その後学園の話や、王都の話をした。両親は楽しく聞いてくれたし、僕が頑張っていることを褒めてくれた。ロイファー家でも褒められることはあったが、こうして自分から褒められたいとアピールしたことはなかった。本当の家族。久しぶりに感じる本当の家族の温もりはやはり心地よかった。
だからといって今のロイファー家が、というつもりもない。どちらも、自分のいるべき場所、家族なんだと思う。
僕たちは、村を一周したら帰ることを伝え両親に別れを告げた。両親はいつでも戻ってきていいからね、と優しくいってくれ、僕はまた涙が出そうになった。もう十八だし、泣くのは恥ずかしいと思ったが、別れ際、もう一度二人を抱きしめた。両親は、大きくなっても僕を子供だと優しく接してくれる。それが何よりも嬉しかった。
「アル、この後どうする。その……」
「一応、家に帰ってみるよ。よかったら、付き合ってほしいけど」
「もちろん付き合うよ。僕も、その顔を見せたいし」
あの場では言わなかったが、アルフレートは家族に会いたいと思っていたようだ。しかし、どこか遠くを見ていて、寂しそうにラピスラズリ飲瞳を揺らすので、心配になってくる。そりゃ、あれだけの悲劇を語られてしまったら、精神的に参るところもある。きっと、アルフレートは両親と連絡を取っていなかったのだろう。だから、ここで何が起こっていたのか何も知らないと。
アルフレートは「ありがとう」と笑って、自分の家に向かって歩き出した。
「知らない間に子供が生まれてたんだ。弟だったかな、それとも妹だったかな」
「アル」
「お墓参りぐらいは許されるよね。さすがに……俺も、仕送りすればよかったかな」
アルフレートは歩いている途中でぽつぽつとそんなことをこぼし始めた。もしかしたら、両親の前では我慢していたのかもしれない。いろいろと悟られたら、アルフレートがこの十一年間何をしてきたか、すべてバレるから。一人で戦ってきたこと、それは親からしたら心配物の何物でもないし、勇者だからとはいえ止められるに違いない。
それと、アルフレートは人一倍昔から強がりだったから。
仕送りをできなかった理由は、村の中で格差を生んでしまうからと公爵に言われていたかららしい。また、他に注意を持っていかれ、鍛錬が厳かになれば、それだけ世界を救うことができなくなると厳しく言われていたからだという。今まで話してくれなかった、エルフォルク公爵家の話を聞き、僕は胸を痛めた。言っていることは正しいのかもしれないが、それを、まだ幼いアルフレートに強いるのは、と思ってしまう。時間は巻き戻せないので、どうにもならないが、きっと苦しい幼少期を過ごしたのだろう。そして、数年後、僕と夜会で再会した時は、完璧な勇者で貴族になっていて。
それも、アルフレートの努力のたまものだったのだ。
凸凹とした、地面を踏みしめながら、アルフレートの家の敷地へ入る。移動はそんなにも時間がかからなかった。隣にあるのがアルフレートの家なのだが、庭には、草が生い茂っており手入れされていないことがまるわかりだった。
家も不用心に窓が開いているし、茶色くなったボロボロのカーテンが風に揺れている。
僕たちは、慎重に家の扉をノックする。すみません、と声をかけると、酒の瓶が転がるような音が中から聞こえ、ガッと、こちらに人がいることなど無視して扉が開かれる。
扉から出てきたのは、一瞬誰だかわからなかったアルフレートの父親だった。
ひくっ、と酒臭いげっぷを鳴らし、結構の悪そうな顔をして出迎える。アルフレートと同じラピスラズリの瞳はすでに濁っており、白目は濁り、血管が見えた。その手には、まだ酒の入った瓶が握られている。
「……アルフレートか」
「うん、父さんかえってき――」
爽やかにあいさつしたアルフレートの横に先ほど握っていた酒瓶が飛んでくる。後ろの垣根に当たって、それは盛大に砕け、飛んできた破片がアルフレートの頬をかする。ツゥと流れた血に僕は目をむきながらも、アルフレートの父親に目を向けた。
「この疫病神がッ!」
アルフレートの胸ぐらをつかみ、つばを吐き散らしながら父親は怒鳴った。木々に止まっていた小鳥たちが一斉に羽ばたき、周りの空気が一気に冷え固まる。
僕は唖然として、それを止めに入るでもなく、かたまることしかできなかった。
「お前のせいで、家はめちゃくちゃだ。お前が、勇者に選ばれたせいでな!」
「父さん、言っている意味が」
「黙ってろ、疫病神。お前が、お前が、お前が、お前が、お前が、お前が! 勇者なんかに選ばれたせいで、うちは、どれだけ苦しい思いをしたと思っているんだ!」
悲痛な叫びは、鼓膜を震わせた。
だが、僕にはいっている意味が分からず、アルフレートのほうを見る。アルフレートは、ただ無心で父親を見下ろしていた。父親の身体は少し曲がっていたが、きっと背を伸ばしてもアルフレートには届かない。体格も違う。頬は痩せこけ、腕だって棒のようになっている。爪も青紫で、腹だけが出っ張っている。父親は、アルコールが切れたこともあってかさらにむしゃくしゃと、髪をかきむしる。
先ほど、両親に聞いていた話とは違った。苦しい思いをしている、というのは給付を受けているのであればないのではないかと。毎日、酒に溺れられるような生活をするお金は――そう、一瞬でも思ってしまった自分を殴りたい。
もはや、アルフレートの父親は、自分の知っている姿ではなかった。その目に宿っているのは、あの日ランベルトに向けられたものと同じものだった。その人に対しての煮えたぎり、尽きぬ殺意と、憎悪。それを、実の父親から向けられるアルフレートの気持ちを考えるだけで胸が痛んだ。
でも、アルフレートは、そういう負の感情を感じないように加護で制限されている――
「妻は死んだ……二人目の妻も、子供も。お前が勇者なんかになったせいで、もう一人とせがまれた。お前を生んだ妻は、疫病にかかって死んだ。町の医者は無理だといった、王都に行って大金をはたいてみてもらった。だが、それもだめだった。勇者の母親だと奥の手のように言うのは苦しかった。それでも、周りの奴は言うんだ『勇者を生んだだけの癖に』ってな! 日に日に弱る妻を、誰も助けない。あざ笑い、役目を果たしたんだという。死んでもないのに、葬式の話をしやがって!」
なあ! と、アルフレートに怒鳴るが、アルフレートは、冷たくラピスラズリの瞳で見下ろすだけだった。
それに、父親は、少し恐怖を覚えたようだ。胸ぐらをつかんでいる手が緩む。
「……二人目の妻は、前妻を失った俺に優しくしてくれた。だが、あいつの目的は勇者を生むことだった。俺の精子を腹にいれたら、それからは無視だ! それで、生まれた子供は、全く才能のない凡人。だが、王都に行けば、お前のもとに行けば同じ教育が受けられるだろうと、村を出た。それで、それで……魔物に襲われて二人とも死んだ。今だってそうだ、勇者を生んだだけの家、勇者アルフレートがいて存在価値のある家……だが、もう存在価値も、理由も、支援する意味もないといわれた! 全部、全部、お前のせいだ! この悲劇は、俺の苦しみは、全部お前のせいなんだ!」
と、父親は落ちていた鋭利な石ころでアルフレートに襲い掛かった。ダメ、と僕は咄嗟に飛び出したが、その前に、アルフレートの頭にゴッと石が突き刺さる。先ほどよりも多く、頭から出血し、額に、そして頬にその血が流れてくる。それでも、アルフレートは無表情だった。いや、笑って……
「ひっ」
「……そう、辛かったよね。俺は何もしてあげられなかった。父さんに、母さんにも。その、生まれたっていう知らないきょうだいにも。俺は何もしてあげられなかった」
「ば、化け物が……化け物!」
父親は持っていた石を落とす。だが、次は化け物とののしって、部屋の中へと戻ろうとする。アルフレートにできた二つの傷はあっという間にふさがって、彼は目を細めた。安心させるように笑顔を作ったが、それがよくなかったのだろう。さらに、父親は顔を青ざめさせて「俺たちが産んだ子供じゃない。お前は、化け物だ」と対には腰を抜かして、後退する。
さすがにこんなこと言うなんて、父親として恥ずかしくないのか、と怒鳴りたくなったが、それを見越してか、アルフレートが僕を止める。
「ごめん、父さん。親不孝で。でも、うん……これもごめん。俺は幸せになるから」
「アアアアアアアアアッ! お前が生まれてこなければ、よかった。お前が勇者じゃなければ!! 幸せでいられたのに!」
支離滅裂な言葉を吐き散らし、発狂する父親。目からは大粒の汚い涙が出て、鼻からも水が垂れる。顔を何度もひっかくようにして叫んで、叫んで、疲れ、ぷつんと糸が切れたように「帰れ勇者」と一言言って家の扉を閉めてしまった。僕たちの間に静寂が戻り、そしてアルフレートはゆっくりとこっちを見た。
「父さん、変わっちゃったね。ごめん、つき合わせちゃって」
「…………っ、アル!」
「おわっ、どうしたの。テオ」
なんで笑っていられるのかわからなかった。僕を安心させるため? それとも、自分を安心させるため? 理由はわかんないし、どっちでもないかもしれない。でも、そんなふうに笑うアルフレートは見ていられなかった。
泣いてもいい。だって、実の親にあれだけ拒絶されたのだから。生まれてこなければよかったなんて、どんな暴言だろうか。毒親にもほどがある。今彼が生活できているのは、アルフレートが勇者だから。
でもきっと、それもアルフレートは嫌なんだろう。父親もきっと、それが不服なんだろう。であれば、家族の関係はさっぱりと断ち切ったほうがいいのかもしれない。血が引いていくように、頭がクリアになっていく。
アルフレートが泣けない代わりに泣くのは、違う気がして。彼が悲しむならいいけど、僕が悲しむのはお門違いだ。
ぎゅっと、彼に抱き着いて、大丈夫だよというように頭を擦り付ける。アルフレートは意味をちょっとだけ理解してくれたみたいで「俺は大丈夫だからね」と言ってくれた。大丈夫じゃないでしょ、と言いたかったが、口が開かなかった。
目の前で起こったことを、誰か嘘だと夢だといってほしい。それほど、僕は、彼が本来傷付くくらいの傷を負ってしまった。この里帰りが、アルフレートにとって、意味のないものだったとか、悲しい記憶として刻まれることが何よりも嫌だったから。
(アル、泣いてもいいんだよ。泣いてよ、アル……)
彼の服を涙で濡らしてしまう。
それでも、当の本人は「ごめんね、こわかったよね」と僕を落ち着かせるために優しい砂糖みたいな言葉を吐くのだ。