なんとなく妙な雰囲気を打ち破るように、玄関の戸が勢い良く開いた。
「京介さーん!おじゃまするわよぉー!」
やけにご機嫌な芳子の声が響き渡る。
「……なんでまた。義姉上が……」
岩崎は、来客が多いと愚痴りながら玄関へ向かった。
「おっ、ちょうど茶が入ったとこだ。これ持って行くわ。月子ちゃんは、ゆっくりしてな!」
寅吉が盆を持って、岩崎の後を追う。
「なんなんだろうねぇ、言ったり来たり、うちの人も」
お龍が、呆れながらふうとため息をついた。
「……月子ちゃん。本当に大丈夫かい?」
笑っていたお龍が急に真顔で月子へ問うて来る。
「え?お龍さん?」
「……祝言だなんだと、周りはうかれているけど、月子ちゃんは大丈夫なのかい?」
お龍の表情は、世話焼き女将から、母親のように柔らかなそれになっていた。
「……お龍さん」
ポツリと呟く月子に、お龍は、話を聞くとばかりに頷いた。
「月子ちゃん、やっぱり、不安なんだね?」
周りにいきなり言われて、見も知らずの相手と祝言を挙げる。それが、幸せだ、言うことを聞いていれば良いのだと正当な理由のようなものを押し付けられて、がんじがらめにされ……。
「不安、というより、居心地が悪いよねぇ。だけど、皆、そんな道を通って来たんだ。それにね、相手は京さんだろ?なにかあれば、男爵家も放っちゃいないし。まあ、京さん、なんてあたしら呼んでるけど、結局、京さんも男爵様だもんねぇ。だから、幸先は、安泰だよ?安心して良いと思うんだけどけど?」
「……お龍さん。私……」
月子は胸の内をズバリとお龍に言い当てられた気がして、そのまま黙りこんでしまった。
「……男爵家……かぁ。そこだろ?心配なのは?」
何もかもお見通しなのだと、月子はお龍へ小さく頷く。
「お龍さん。私なんかでいいんでしょうか?確かに、京介さんは……私のことも大切に思ってくださいます。そして、男爵ご夫婦も……」
「でも、身分が違うと。そこだね?」
「はい。私は、学もありません。たまたま、西条家にいた。それだけの人間なんです。なのに、男爵家へ嫁ぐなんて……」
「月子ちゃん。そんな私だから、皆は、月子ちゃんを選んでくれたんじゃないのかい?身分がどうのってのは、最初からわかっていたことだろ?それに、京さんなんか、いつの間に、月子ちゃんにぞっこんになってる。そんな、私なんかが、そう、月子ちゃんだからこそ、いいんじゃないのかねぇ?」
お龍は、今にも泣き出しそうな月子の手をそっと握った。
「まっ、確かにねぇ、さすがのあたしだって、男爵家へ嫁ぐとなると、しきたりやらなんやかや、心配になるどころか、恐ろしいよ。でも、京さんは、次男坊だし、こうして、あたしら平民の暮らしを送っているわけだし……いざとなったら、こんな私ですからって、笑い飛ばしておけばいいんだよ!そう!こんな私なんか、を、皆、求めてるんだからさ!」
自分の生まれ育ちを恥じることはない。もし、何かしらバカにされるようなことがあれば、岩崎もいる。だから、そんなもの、開き直って笑い飛ばしておけ……。
お龍は、月子の中でくすぶっていたものを言い当て、優しく勇気付けてくれた。
「まっ、余計なことかもしれないけどさっ、このお龍様の言うことを聞いていりゃー間違いない!!」
言って、お龍は、月子の背中をドンと叩くと、くよくよしなさんなとばかりに、ニカリと笑った。
「お龍さん。そうですよね、こんな私だって、初めからわかっていた……ことなのだから……」
「そうそう!!そんな、こんなの、私なんかでいいんだよ!月子ちゃん!!」
お龍の言い分は、月子の心に響いた。なにか付き物が落ちたような、気持ちがどこか楽になった。
育ちや身分は、初めから分かっている。それでも、月子を受け入れてくれたのだ。
自分がやるべきことは、落ち込むことではなく、皆の気持ちに答えること。くよくよせずに、少しでも、男爵家に馴染むこと……。そう、側にはいつも……大切な人がいてくれるのだから……。
岩崎が、様々な嫌がらせから守ってくれた事を月子は思い出していた。
こんな自分でも、岩崎はしっかりと寄り添ってくれている。
だから……。
もう、考えるのはよそう。お龍の言う様に、笑っていよう。
月子の中で、何かが変わった。
そんな月子の変化を見てか、お龍は満面の笑みを浮かべると、再びぎゅっと月子の手を握った。