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買った本の一部が受け取った紙袋に入っていなかったらしく、シスさんが店の中に戻ってすぐの事。店の出入り口のすぐ横に立って彼を待っていると、不意に「——こんな所に居たんですね!」と言いながら背の高い男性が私の元へ駆け寄って来た。
(誰だろう?)
シスさん以外に知り合いと言えるような相手は私にはいない。面識がある相手なんてせいぜい買い物をした店や宿屋の店員くらいなものだから、誰かが私を探すだなんてありえない。なのに声を掛けてきた男性は妙に親しげで、もしかして思い出せないだけで、私達は本当に知り合いなのかもと思えてきた。真っ白なローブを着ていて顔は口元付近くくらいしか見えていない。だが何処かで聞き覚えのある声だったからか、『知っている人かも』という考えに拍車が掛かる。
「……?」
だけど、どうしても思い出せない。誰だっただろうか?と必死に記憶の中を探していると、「此処は人が多い。さぁ、こちらへ」と言いながら男性が私の手首を掴んで引っ張った。その時、フードの奥に緩く束ねた金色の髪がちらりと見えた。
(金色の髪?……何処かで聞き覚えのある声、まさか——)
自分の中で一人、思い当たる人物の名前が浮かぶ。姉・“ティアン”の婚約者であり、“|カーネ《私》”の幼馴染でもある、最古参の公爵家現当主・“メンシス・ラン・セレネ”様の名だ。五歳の頃からずっと会っていない美しい金色の髪の少年の姿が目の前の男性とかぶって見える。だからか、腕を引っ張られ、裏路地に入り込んでも私は抵抗する事なく男性の後ろについて行ってしまった。
(まさか、“この体”を探しに来たの?あんなに嫌っていたのに……)
探してもらえていて嬉しい様な、その相手が“ティアン”である事が悔しい様な……。苛立ちまで混じった複雑な心境が胸の内を侵食していく。
「昏睡状態にあったと聞いた時から心配していたんですが、まさか家出までするだなんて……。その話を聞いた時は本当に驚きました」
狭い路地の奥で立ち止まり、男性が振り返りながらそう言いって私の両手をギュッと掴む。シスさんに握られた時とは違い、何故か全身の肌がゾワッと粟立った。
「でも……どうして私の元にすぐに来なかったんですが?家を出たと聞いて、ずっと貴女が来るのを待っていたんですよ」
「……え?」
待っていたと言われても、ピンとこない。メンシス様が“ティアン”を待つ様子なんて全然想像出来なかった。
「さ、危険因子である神官達もまだ全員は逮捕されていないらしいので、此処も危険です。国外に逃げる伝手がありますから、すぐ一緒に行きましょう」
背後から腕をまわして私の肩を男性が抱く。するとしばらく状況を伺っていたララが、『……カカ様、この人本当にカカ様の知り合いなノ?』と警戒心丸出しの姿で訊いてきた。
わからないとも、そうだとも言えずただただ困惑顔しか返せない。心底参っていると、男性は裏路地を更に奥へ奥へと進んで行った。
「待って下さい。ひ、人違いでは?」
どうしてもこの男性がメンシス様であると確信が持てず、私がそう口にして、足元に力を入れて彼の歩みを無理に止める。すると彼は「——は?」と不機嫌そうな声をこぼした。立ち止まり、男性がじっと私を見てくる。
(……この人、碧眼じゃない)
ずっと会ってはいなくてもちゃんと覚えている。メンシス様は絶対に宝石の様に美しい碧眼だった。髪色は同系色でも、目の前のこの人がメンシス様ではないとわかり、私はそっと胸を撫で下ろした。
「私が間違えるはずがないじゃないですか!確かに髪色は違いますが、そんなものは染めるか、マジックアイテムでどうにでもなるんですからね」
そう言って男性は頭から被っていたローブのフードを片手で脱ぐ。男性の顔を見て、声に聞き覚えがあった理由がすぐにわかった。
(あ……。この人、神殿で会った神官の一人だ)
馬車での事故に遭ったあの日。神力の測定をする為にと連れて行かれた神殿で私に双子の話を耳打ちして、『姉を殺しても意味は無い』と遠回しに釘を刺してきた神官だ。名前は……名前は、ダメだ思い出せない。聞いた事もないのかもしれない。
「私達は恋人同士なのに、間違えるとか……はぁ……そんな」
深く溜息をつき、男性が有り得ないとでも言うみたいに頭を横に振る。
(恋人同士って……一体どういう事?)
それこそ有り得ない話だ。ティアンのメンシス様への愛は異常とも言える程に深いものだった。病的なまでに執着しているに近かった。欲しい物が手に入らず、必死に焦がれ、いっそ自棄になっているとも言っていい程に。それなのにそんな姉が他に恋人を作っていただなんて、そんな話をされても到底信じられない。
「あ、あの……どうして私が此処に居ると思ったんですか?」
「そんなの簡単ですよ。ティアン様が知っていそうな地域は此処くらいですからね。だって貴女は沢山私に話してくれたじゃないですか、『婚約者が会ってくれない』『婚約者が恋しい』『会いたい会いたい会いたい——』って」と言って、ギリッと男性が奥歯を噛み締めた。
「……」
その話ならば納得だ。 ……じゃあ何故、この男性は自分と姉が交際していると思っているのだろうか?と疑問が生じる。メンシス様とこの地区の関係性は不明なままだけど、それをこの人に訊ける様な雰囲気ではなかった。
「あんなに沢山、私だけに愚痴を言って、必死に私の気を引こうとしてくれている姿を見るのは本当に楽しかったし、嬉しかったんです。なのに……何故すぐに来てくれなかったのですか?待っていたのに、今か今かと、神殿から破門にまでされる覚悟までしていたのに!」
「——痛っ」
私の肩を掴む男の手に力が入る。感情的になっている男の目は焦点が合わず、現実を全く見ていない様だった。
(この人は、絶対に関わってはいけない類の人間だ)
今更そう思ったがもう遅い。こんな裏路地では助けを呼べる者なんか何処にも居ない。ララは側に居てはくれているが、いくら彼女が威嚇したってこの男には見えてはいないから付け焼き刃にすらなっていない。こんな男性を一瞬でも『メンシス様なのでは?』と思った過去の自分を殴ってやりたくなった。