十年に一度。
妖狐様の力を蓄える為に、生贄を捧げる。
そうする事で、妖狐様は我等に再び幸と富を与えてくれるのだ。
だから、今度こそ────────。
ばたばたと荒い足音が響く。
白い着物に身を包み、何かの仕事に追われているかのように、村人達は動き回っていた。
そう──────今日は特別な日なのだ。
妖狐が力を蓄える神聖な日であると共に、村人に幸と富を与える日なのである。
だからこそ、今日は村は大忙しだった。
「嗚呼、忙しい忙しい!」
「長老は何処へ!?」
「供物に傷んでいる物がないか確認しろ!」
「化粧が間に合わないわ!」
「早く準備をしろ!」
「盃は如何したっ!?」
「花が一輪足りないわ!」
「茎も折れてるぞ!今直ぐ交換しろ!!」
「式典の用意を早く終わらせろ!」
「神官をお呼びして!」
「シワが付いてるじゃないか!別の服を着なさい!」
「贄は用意できてるのか!?」
「もう時間よ、婆様は何処にいらっしゃるの?」
「今度は逃げないように縄を用意しろ!」
「準備を終わらせるのだ!夜が明けてしまう!」
***
「…………はぁ、またこの日が来るのか」
そんな事を呟きながら、九尾の妖狐────太宰治は、布団から起き上がった。
この日は村の人々が太宰に贄を捧げる日である。
太宰にとっては只の迷惑でしか無く、毎回贄の子に村に戻れと云い、贄とか要らないから二度と持ってこないでと、言伝を頼んでいるにも関わらず、十年一度、必ず捧げてくるのだ。
抑々村人達は太宰が自分達に幸を与えてくれていると思っているが、実際は太宰の妖力の範囲内に勝手に巣食っているだけである。
「はああぁぁぁ………面倒くさ」
そう云いつつも、毎回太宰が行くまで贄の子供が震える躰で頭を垂れ続けている為、放っておいたら死んでしてしまう。
流石の太宰も此れには重い腰を上げ、態々帰れと云いに行かなくては成らない。
「寝かせて欲しいなぁ………」
そう云いながら、太宰は布団から立ち上がり、寝間着を脱いで着替える。
この山は主に太宰の意思に反映されている。
だからこそ、普段村人は山に立ち入る事はない。村人達自身が、特別な日にしか入ってはならないというきまりを作っているのだ。
そして其の特別な日が、今日である。
然し何故、村人が入れるのかが不思議だ。
太宰が承認した訳でもない。
ならば山自身の意思か、太宰に贄を与えると云う代償をもっての所為か────。
何方にしろ、今日は太宰にとって本当に面倒くさい日なのである。
「如何しよ、普通に行きたくないんだけど……」
玄関前の廊下で腰を下ろし、両脚を両腕で抱えながら太宰は呟いた。
本気(マジ)の本心である。
***
──────カラン………カラン………
下駄の音が鳴り響く。
既に村人は山を降りた後で、目の前には大量の供物と白い箱が置いてあった。
「あれ?今回は贄がいない……?」
太宰が口先から言葉をこぼす。
目の前に震える躰で頭を垂れる贄の子供はいなかった。
太宰にとっては仕事が減るので、何方かと云えば助かる方である。
「却説、この箱には何が入ってるのかな?」
コンコンっと、太宰は軽く箱を叩いた後、箱の蓋をゆっくりと持ち上げた。
「げっ……」
思わず顔をしかめて立ち上がる。
箱の中には十歳程の子供が入っていた。子供は静かに眠り、腕は後ろに回され縄で縛られている。
「要らないって云ってるのに……」
太宰は縄を解こうとしゃがみ込んだ。太宰の瞳に子供の顔が鮮明に映る。
「っ!」
目を見開いた。
其の子供の顔立ちと赫色の髪に、太宰は深く見覚えがあったからだ。
「此れは此れは……」
口を小さく開きながら、太宰は言葉をこぼす。
そして、薄っすらと笑みを浮かべた。
「────随分と面白い贄が来たものだ」
***
「ん………」
赫色の髪をした少年がゆっくりと目を覚ました。腕が縄によって縛られ、動きが制限されている事に気付く。
顔をしかめながら、少しづつ起き上がった。
「おや、やっと起きたのだね。おはよう」
少年は声がした方に視線を移すと、側に居た太宰がしゃがみ込みながら笑顔でひらひらと手を振っている。
「は、」
目を見開きながら、少年は声をこぼした。
そして思考がフリーズしたかのように少年の表情が固まり、微塵も動かなくなる。
「ん?」
一向に返事をしない少年に、太宰は笑顔の儘首を傾げた。
そして次の瞬間──────「ゔわぁッ!?」
少年は足の力でのみ後退りし、障子に勢い良くぶつかる。
「な、なっ……」
唖然とした表情で、少年はパクパクと口を動かした。
「否々、何もそんなに驚かなくても佳いだろう?」
溜め息混じりの声で太宰が云う。
「っ!」
少年は太宰が喋った事に驚いたように、躰が一瞬びくりと動いた。
「ぉ、お前真逆っ………」
「ん?」
太宰が首を傾げる。少しの恐怖を交わらせた目を見開きながら、少年は云った。
「“妖狐様”なのかっ!?」
きょとんっと太宰が目を丸くした。
少年の言葉が響き渡り、やがて薄っすらと消える。
再び静けさが染み渡った後、太宰が口先から言葉をこぼした。
「妖狐……様────って、私……?」
「ぁ…嗚呼……………」
太宰の言葉に少年が強く頷く。沈黙が太宰に襲いかかった。
「……?」
少年の思考に太宰への疑惑が浮かんだ瞬間────「ぶはっ!//w」
太宰が腹を抑えながら勢い良く吹き出す。
「一寸待って//ww君が私を“妖狐様”///www!?ひーっ//ww腹筋壊れるって///wwあっははは/////wwwww」
「ぉ、オイ………笑い過ぎだろ…」
良く判らないが、何となく自分が莫迦にされているように感じて、少年は不機嫌そうな表情をした。
「ふwふふっ……//ww、っ……それで?一体如何したのさ?……ん゙ッ//wく、ふふふ////www」
太宰は嬉し涙を拭い話題を切り出そうとするも、却って今度は思い出し笑いをする。
笑いを堪え、太宰は呼吸を落ち着かせて行った。
「はーっ………で?一体何処の鬼に喧嘩ふったの?」
「おに……?」
そう云って、少年は首を傾げる。
少年の意外な回答に、太宰の中にあった笑いの種が吹っ飛んだ。
「おや、記憶までも失ったのかい?珍しい能力を持った鬼もいるものだ」
「はぁ?先刻から何の話してンだよ……」
「何って君の話だよ、私が判らないのかい?」
「妖狐様じゃねェのかよ……?」
手負いの獣が天敵の動きをジッと見つめるような表情で、少年は太宰を見ながら云う。
「本当に記憶が無いようだね、如何せ酒を飲みすぎて酔っ払った挙句、其処等の鬼に喧嘩ふっかけたのでしょう?」
溜め息混じりの息を一つ吐いて、太宰は云った。
「此れだから君は──────っ!」
太宰は何かに気付いたかのように、目を丸くする。
「…ん?如何した?」
少年が太宰の顔を覗き込むようにして聞いた。
太宰の瞳に少年が映る。
「っ………ねぇ」
何処か小刻みに震えた手を少年に近付け、太宰は頬に触れる。
「何故──────“目が黒い”のだい?」
声が震えていた。
「如何して……」
眼の前で予想外や意外な事が起きた時のように、太宰の表情には微かに信じたくないと云う気持ちと、焦りが入り込んでいる。
「如何してって………」
何を云っているんだとでも云うような顔で、少年は云った。
「俺は産まれた時から黒目だ」
「────────え……」
声をもらす。太宰の顔から感情が消えた。少年から手を離す。
「大丈夫……か…?」
首を傾げながら、少年は聞いた。
然し太宰は返事をしない。
「ぉ、オイ……?」
太宰の異変に少年は対応に少し焦り、顔を覗き込むように前に出た。
「──────嗚呼、そう云う事か……」
ポツリと太宰が呟く。
少年にはその言葉の意味が判らなかった。代わりに少年は太宰が返事をするよう話し掛けた。
「オイ如何したンだよ、俺の事を喰うンじゃねェのか?」
「喰う、か…………」太宰が少年に近寄る。「そうだね、ではそうしよう」
「ぇ、は?」
少年の表情に焦りが混じった。太宰の手が近付く。
「っ゙!」
恐怖と此れから起こる痛みを堪えるように、少年はきつく瞼を閉じた。
「……」
太宰が優しい笑顔を浮かべる。
『──────痛いの痛いの飛んでいけ』
太宰は何処か巫山戯るようで、そして楽しむように呟いた。
少年の手首を縛っていた縄が霧消し、きつく縛られた事によって生じた痛みと皮膚の赤みが一瞬で晴れる。
「えっ……」
目を丸くして、少年は自分の手首を見た。
「……ねぇ、君の名前は?」
しやがみ込んで少年と目線を合わせながら太宰が聞く。
少年は目を白黒させながら答えた。
「な……中原、中也…………」
「──────うん、じゃあ中也、私の贄になる気はない?」
「……別に、俺は元々其れで此処に来たンだぞ?」
首を傾げながら中也は答える。ニコッと太宰が笑顔になった。
「それじゃあ中也、君にコレをあげるよ」
太宰は付けていた青い宝石の首飾りを、中也の首に掛ける。
それは月光を反射してキラキラと輝いた。
「君の赫い髪に良く似合う」
中也の眼の前で煌めきと揺らめきが起こる。目を見開いた。
「……そぅ、か…?」
髪の毛を弄りながら、中也は何処か嬉しそうな顔で云う。
太宰はニコリと笑顔を向けた。
「……………中也、今日はもう帰って佳いよ」
唐突に太宰が云う。
「ぇ……何でだ?俺を喰うンじゃねェのか?」
此れには中也も驚いたようだった。
「贄になれと云ったのは私だけど、食べるとは一言も云っていないよ。私は只話し相手が欲しかっただけさ」苦笑しながら太宰が云う。「此処最近は暇だったからね」
すると、太宰が先程中也に渡した首飾りを指さした。
「コレには私の妖力が込められている。────簡単に云えばコレで私達は“繋がっている”のだよ」
「つながっている……?」
中也が少し目を見開く。
「そう、だから私が呼んだら直ぐに来てね」
上機嫌な笑顔で太宰は云った。
「ぁ、嗚呼………」
意味が佳く判っていない中也は、曖昧に答える。
「中也も若し何かあったら私の名を呼ぶと良い」
「呼ぶ、?“妖狐様”をか?」
「そうだよ、でもその妖狐様って云うの禁止」
「妖狐様は妖狐様だろ?」
「失礼だねぇ、私にだって名前は在るよ」
「えっ…在るのか!?」
中也が目をぱちくりとさせながら云った。
「一寸何だい其の顔。失礼極まりないよ、君」
太宰は呆れた視線を向けて立ち上がる。
「名前は、何て云うンだ?」
中也の質問に、太宰は口元に小さく笑みを浮かべた。
「私の名は太宰治。太宰と呼び給え」
「──────太宰……」
「うん、宜しくね中也」
太宰の言葉に、中也は小さく頷く。
其の日こそが、妖狐と贄が出会った日である。
***
村へと山を下りていく中也の背中を、太宰は見つめる。
「____…」
ふと、太宰は右手を胸元に寄せた。然し普段からあった青い宝石の首飾りは無い。
当たり前だ、中也にあげたのだから。
「………………はぁ」
憂鬱な溜め息を太宰は吐く。
「あれから数百年が経ったよ……中也」
太宰は瞼をゆっくりと閉じた。光を帯びた追憶が、脳に流れ込む。
『──────また遊びに来るからなっ!』
少し重くなった瞼を、太宰は開いた。
色彩が一瞬にして消える。
「遅すぎるから何かあったのかと思ったけれど………真逆、ねぇ…?」
顔を上げ、きつく閉じられた唇が震えた。
視界には此処ぞとばかり、酷く美しい光を放つ満月が映る。
「若しかしたら、君はもう──────」
──────私の知る中也ではないのだろうか?
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