コメント
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美しい、、、美しい、、、美しすぎて目がぁぁあ、、、心臓がぁああ、、、
ほぅはぁぁぁ!!!!最高です😭😭
どうも皆様、サカナです
記念日が多いね…
韓国、インドの建国記念日、推しの誕生日、終戦記念日…
推しの誕生日は終わったので、終戦記念日のお墓参りする日帝さんです
ちょっとよくわからん話になっちまいました…
戦争、死の描写にご注意を
8月15日、まだまだ蝉が鳴き喚き、太陽が照りつけている。
大きな日本家屋の近くにある小高い丘には、小さな2つの墓があった。
菊の花や和菓子が供えられ、丁寧に掃除がなされている。
片方は空こと大日本帝国海軍航空隊、もう片方は海こと大日本帝国海軍。
2人とも大日本帝国陸軍の兄弟であり、今は亡き誇り高い軍人たちの名だ。
あの日も、よく晴れた夏の日だった。
今ほど暑くはなかったが…死の危険は、こちらの方が断然多い。
最初に死んだのは空だった。
特攻隊として敵陣に突っ込み、そのまま。
今では非合法なクスリを摂取し、嬉々として死んでいった。
天皇陛下万歳!と叫びながら、敵機と正面衝突。
真面目で礼儀正しく、頭でっかちだとも言われていた空。
自分の任に誇りを持って、末っ子のくせに1番に死んでしまった。
次に死んだのは海で、米軍の砲撃による戦艦の爆発に巻き込まれたらしい。
空はかろうじて愛機から腕などの一部が見つかったが、海の場合は肉体など残っておらず、全て魚に喰われただろう。
真面目ではあるが、兄弟間の中ではお調子者で、空との喧嘩が絶えなかったのをよく覚えている。
空が死んだ後は喧嘩にもならず、ただ戦艦に乗って海上で戦い続けていた。
その後、8月9日に爆弾を受け、奇しくも生き残ったのが陸。
海と空の三つ子の兄であり、陸軍将校として華々しい戦果を上げ続けていた。
米国の気まぐれで生かされ、長年祖国の地で大人しく暮らし、後悔に苛まれながら生きていたのだ。
息子たちができる日まで、ずっと己を責めていた。
その頃は御国のために死ぬことこそ本望とされていたのだから、生きてしまっては意味がない。
立派に死んだ英雄の弟たちと、生き残った弱虫の兄。
そんなレッテルが張られ、指を指されながら生きてきた。
みんな生きていたかっただろう。
自分はなんと情けなく、弱いのだろう。
御国のためにも死にきれず、米国の手によって生かされるなんて。
それでも陸は我武者羅に生きて、生きて、生きていた。
持ち前の真面目さと適度なマイペースさで、頑張って生きてきたのだ。
大日本帝国憲法を廃止し、日本国憲法ができた時。
時代が昭和から平成へなった時。
2人の子供を抱いて、陸はようやく泣くことができた。
弟の死に悲しむ暇なんてなく、心を押し込めて実家を守り続けていた日々。
今はもう日帝と呼ばれているが、それでも2人を忘れることはなかった。
今日は8月15日。
日帝にとっては絶望的であり、希望的であり、複雑な日。
未来への羨望、敗戦の恐怖、たった数日前の弟たちの死。
思い出される気持ちは数あるが、やはり陸は安堵が大きい。
小さな墓石の前に、青年が1人。
軍服ではなく和服を着込み、いつも隠していた秘密を曝け出して、上等な日本酒を持っている。
「日本は平和になったぞ、お前ら。ほら、酒は好きだったろ?全員弱いが、美味いものな。奮発して高いものを買ったんだ、味わえよ」
お猪口に注いだ一杯を飲み干し、徳利に残る中身を墓石にかけた。
太陽に照らされ、きらりと光る
「…いつか、俺がお前らのところに行ったら、感想を聞かせてくれ。またな」
背を向けた方向には、青い海と入道雲が浮かぶ空があった。
『『絶対に聞かせてやらねえから!』』
と笑う声が、風に乗って聞こえた気がする。
陸は住み慣れた我が家へ、子供達のいる我が家へ歩を進め、決して振り返ることはなかった。