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そして、宝物庫と言える、塗篭《ぬりごめ》では、相変わらず、緊迫した空気が流れていた。


「つっ……」


どうしたことか、いきなり晴康《はるやす》が、呻き、崩れ混んだ。


一瞬、緊張の糸が切れる。


「晴康!」


守近が、慌て、晴康を抱き上げようとするが、


「触るなっ!!」


怒鳴り声と共に、晴康の体に添えた守近の手は、振り払われ、取りつくしまもなかった。


「私などに触ると、穢れが、移りますよ。大納言様」


自嘲的に笑い、晴康は、頭が痛むのか、こめかみを抑えつつ、よろよろと立ち上がる。


「ああ、あなたの一味、いえ、手配した者のなんと大胆な事。仕込んでおいた、式札を、焚き付けに使うとは。まあ、悪党のすることは、荒い」


晴康には、薄ぼんやりと見えていた。西市、その裏路地の長屋にたむろする男女の姿。髭モジャの袖に仕込んでおいた、式札を、女が、びりりと破り、竈《かまど》の火の中へ放り込む。


そこに集まる者達の中には、見知った顔がある。八原《やはら》とかいう、新《あらた》の下に付いていた若者、さらに、荷運び場で、働いていた、男達の姿もあった。


──新のお陰だよ。全く、妙なもんを仕込みやがって。

──松虫姐《まつむしねえ》さん、俺が、ここと繋ぎを取ったんだぜ、少しは、色付けてくれよ?

──何いってんだ、八原、新に言われて、動いただけだろう。お前の手柄じゃあないよ!

──手柄なら、松虫姐さん、あたし、だろ?髭モジャから、あのヘンテコな札をスッて来たんだから!


「はあ、まあまあ、そうゆうことですか。これは、惨敗。さすがは、大納言様ですね」


「晴……、美丈夫《びじょうふ》よ、横になれ!顔色が悪い。息も、苦しげではないか!!」


「ええ、ええ、そういたしましょう。穢れある凶を呼ぶ童子は、立ち去ります。そして、決して、あなた様の栄華のお邪魔はいたしません。ですが、私に、手を出すのなら、容赦はいたしませんから!」


「……守恵子《もりえこ》は、どうなる?」


呟く、守近の面持ちは、どこか、切なげだった。


「それは、あなたが、既に、決められている。今さら、どの口で、そんなことを言う!!」


外で立ち聞きしている、常春は、崩れ混みそうになっていた。


漏れてくる晴康の声は、未だ、聞いたことがない程、感情のこもったものだった。


そして、親として接しようとする守近を、これでもかと、避けている──。


常春の頬に、涙が伝っていた。


「……守恵子を、駒に使うなと、お前は、言いたいのだろうが、これも、家の為、そして、いずれは、守恵子にも、栄華が巡ってくる」


「そんなもの、守恵子様は、望んでいない。家の為の栄華などと綺麗事にすり替えて、あなた自身の為ではないですか!よろしいか!これ以上、無茶な手をお取になるなら、私は、この屋敷に、いえ、守恵子様に、呪いを掛けます。我が命を引き換えにしてね」


──晴康、もう、止めろ!

常春は、心の内で、叫んでいた。


暴走し始めた、友を引き留めたかった。いや、そうしなければならないと、気がせいた。


呪うなど、いや、晴康は、既に、守近を、怨んでいる。だから、皆もろともに、と、言っているのだ。


「……そうしたいのか?そうしたければ、そうしなさい。でもな、お前が、犠牲になる必要は、ない。悪いのは、この私なのだから。そこまで、追い詰めてしまった私なのだから……」


守近が、晴康に言った。決して、責める訳でもなく、むしろ、父親として、晴康の前に立っている。


二人の間に、何かが、あった。きっと、晴康も、この屋敷の子供でありたかったのだ。


それを……自らの力のせいで……。望まない生きたを背負わされた。


側では、家族と、呼べた者達が、楽しげに笑っている。


晴康は、じっと、堪え、見ているしかなかった。


だから──。


つい──。


「守恵子は、幸せになれぬのか?」


「はい、このままでは、無理でしょう。汚いやり方で、望んでもないことを押し付けられては、幸せなど、訪れるはずがない」


「では、いかようにすれば……」


「それは、あなたが、考えること。そもそも、なぜ今、なのですか!」


「……今……とは?」


「今があるなら、次もある。汚れのない、次が……」


くそっ、と、晴康は言い捨てる。


「あなたの事など。私は、守恵子様には、苦労させたくないだけなのに!」


「晴康!」


守近の、叫びを、背に受けながら、晴康は、塗篭から、駆け出した。


「……来てくれると、思ってた」


そして──、常春の姿を見た晴康は、ふうと、小さく息を吐くと、そのまま崩れ混んだ。

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